ハービー・ハンコック自伝 その2

前回の続き。

〈ウォーターメロン・マン〉 

 一九六二年末、私は初めてラテン・グループに入ってライヴを行なった。グループのリーダーはキューバのコンガ奏者モンゴ・サンタマリアだった。(略)

[三日目の夜、ドナルドが兄貴分として確認に来て]

 休憩のとき、ドナルドとモンゴが話し始めた。ドナルドは根っからの学徒で、興味のある人とは誰とでも音楽の歴史や理論を語りたがった。彼はモンゴとアフロ・キューバン音楽やアフリカン・アメリカン・ジャズについて話し込んでいた。モンゴは「この二つの音楽をリンクさせる素材を探しているんだが、いまだに適当なものが見つからない、でも、アフリカから発生した音楽を結びつけるものはかならずあると思う」というようなことをドナルドに語っていた。(略)
するとドナルドがとつぜん「おい、ハービー、〈ウォーターメロン・マン〉をモンゴに聴かせてやれよ」と言った。

(略)

[私の演奏を]頭を振りながら聴いていたモンゴは「続けて弾いてくれ!」と言い、ステージに上がってコンガでラテン・ビートを叩き始めた。彼はそれをグアヒーラ[訳注言う:三拍子を主体とする独特のリズムをもつキューバの農民の歌]と呼んでいた。そのリズムは曲に完全にマッチしていた。ベーシストが私の左手を盗み見て曲の流れをつかみ、ベース・ラインを弾き出した。間もなくバンド全員が加わり、ラテン・フレイヴァー・ヴァージョンの〈ウォーターメロン・マン〉の大ジャム・セッションになった。

 すると、それまで椅子に座っていた客が立ち上がり、カップルでダンス・フロアに向かい始めた。またたく間にフロアは人でいっぱいになった。(略)

演奏が終わると、メンバーは口々に「これはヒットするぞ!」と言いながら私の肩を叩いた。モンゴが「これをレコーディングしてもいいかい?」と言った。

「もちろんだとも!」と私は言った。夢を見ているような気がした。(略)

[23歳にならない]若輩の私が大ヒット・レコードに恵まれたのだ!出版に関するドナルドの忠告のおかげで、かなりの金を儲けることができた。

ACコブラ

[印税でプロモーションツアーに使える車を買うつもりだったが]

「ステーション・ワゴンだって!」とドナルドは顔をしかめながら言った。「冗談だろう」(略)

「ハービー、おまえはスポーツカーが欲しいと思ったことはないか?」

「ないよ」(略)

「いいか(略)ACコブラという新しい車がある。フェラーリを打ち負かしたレースカーの一般向けヴァージョンだ」(略)

[ドナルドに言われるまま、見るだけとショールームに行くが、店員たちから冷やかしの23歳の黒人と鼻であしらわれ]

「六〇〇〇ドルだろ。買うよ。金は明日もってくる」。私は頭にきていた。(略)

[書類にサインしている間に通りかかったジミー・ヒース達が整備士を横に乗せ先に一回り。サインが終わると]

ドナルドが私にジャガーのキーを放り投げ、私は彼にコブラのキーを渡した。そしてドナルドは私の代わりにコブラを運転してブロンクスに帰った。(略)

[半年後ドナルドが乗ってる時にもらい事故で修理に大金がかかったが、第六回生産モデルは]

とてもレアな車であり、価格は私が支払った五八二五ドルの何倍にもなっている。そして私はいまもその車を所有している。

マイルス・デイヴィスクインテット 

[マイルス宅に招かれ「何か弾いてみろ」と言われ無難に〈星影のステラ〉を披露、「いいタッチ」だと言われ、翌年、抜擢の噂が耳に入るも信じられず。だがドナルドは]

「いいか、ハービー、マイルスから電話がかかってきたら、いまは誰のグループでも演奏していないと言うんだぞ」(略)

[でもあなたには恩義があると言うと]

「いいから聞け!」と彼はきつい調子で言った。「もしおまえがこの話を受けるのにおれが横槍を入れたら、おれは鏡に映る自分の顔を見られなくなる(略)マイルスから誘いがあったら、おれの言ったとおりにしろ」

(略)

[翌日マイルスから誰のとこでも演奏してないか確認の電話、それからマイルス宅で三日連続のリハーサル、火曜日にスタジオに来いと言われ]

「マイルス」と私は困惑して言った。「おれはバンドのメンバーになったのかい?」マイルスは階段の途中で振り返った。顔にはかすかな笑みが浮かんでいた。「おまえはレコードを作るんだ」。そう言い残して、彼は去って行った。

コブラvsマセラティ

[グループ加入前、最後の仕事]

ジュディ・ヘンスキはヴィレッジ・ゲイトに出演するウディ・アレンの前座を務めていた。(略)ライヴが終わったあと、マイルスがクラブに姿を現した。

「車に乗せてやろうか?」と彼は私に訊いた。

「いや」と私は言った。「自分の車で来たから。買ったばかりなんだ」

マイルスは、一瞬、私の目を凝視した。「だけど、それはマセラティじゃないだろ」と彼は言った。(略)

「そんなのじゃないよ」と私は言った。「でも、けっこう格好いいんだ」

 私たちは階段を上り、ブリーカー・ストリートに出た。そこには私のコブラが止まっていた。私がそれを指さすと、マイルスは鷹揚に「ああ、たしかに格好いいな」と言った。そして彼は通りを歩いて行った。(略)

信号のところでマイルスの車が追いつき、私の車に並んだ。彼が私を見た。私も彼を見た。二人とも次に何が起こるかを悟った。信号が青になると、私たちは同時にアクセルを床まで踏み込んだ。

 私たちは六番街を疾走した。信号は瞬時に青になった。私のコブラが彼のマセラティに勝った。二十ブロックほど進み、赤信号でマイルスが追いつくころには、私は悠然とタバコに火をつけていた。私は鼻高々で彼を見た。マイルスは車の窓を下ろして言った。「その車から降りろ」

「何だって?」と私は言った。「なぜだい?」

「そいつは危険すぎる」と彼は言った。そのとたん、まるで見計らったかのように信号が青に変わり、彼の車は急発進して夜の闇に消えていった。

謎めいた言葉

 マイルスと共演して素晴らしかったのは、彼が私たちに大きな自由を与えてくれたことだ。彼は、あれをやれ、こんなふうにしろ、とはけっして言わなかった―――探求するための土台だけを私たちに与えた。曲を演奏し、深く入り込めば入り込むほど、私たちは新たなインプロヴィゼーションの地平に分け入った。どの曲も同じサウンドにはならなかったし、途中で曲の見分けがつかなくなった。どんなにお馴染みのジャズ・スタンダードでも、演奏しているうちに予想もつかない展開になった。私たちはそれを“コントロールされた自由”と呼んでいた。(略)

 私たちは毎晩、綱渡りをしていた。たまにマイルスでさえ曲の流れを見失うことがあった。

(略)

マイルスは音楽の構造、音符やキーやコードについては何も話さなかった。彼は自分が創り出したいサウンドを色や形にたとえて話した。あるとき、通りを歩いていた女性がつまずいたのを見て、彼はその女性を指さし、私たちに「あれを演奏してみろ」と言った。

(略)

 初めのうち、私は張り切りすぎた。マイルスに私ができることを見せようとして、必死になりすぎたのだ。マイルスがイントロを演奏するときは、彼のバックで、装飾音や分厚いコードでスペースを埋め、多くの音を使って弾いていた。彼は何度かピアノのそばに歩み寄り、静かにさせるため私の両手を切る真似をした。その仕草はマイルス特有の癖だろうと思っていた。だがのちに、それには重要な意味が込められていたことが分かった。

(略)

あるとき、どのように弾いたらいいのか確信がもてなくなり、何を期待されているのかが分からなくなった。(略)

[マイルスにどうすればいいと訊ねると]

「だったら何も弾くな」と、顔も上げずに彼は答えた。(略)

私はピンときた。そのとき、彼が私の両手を切る真似をした理由を理解した。楽器の音を出さないことにより、その楽器が発するサウンドが大きく変わるだけでなく、曲全体のサウンドも根本から変わるのだ。それが典型的なマイルスだった。

 (略)

 質問に対して謎めいた言葉を返し、その意味を解き明かさせる。これもまた典型的なマイルスだった。

(略)

[ある若手が自分の演奏について感想を求めると]

「おまえはガールフレンドとあんなふうにダンスするのか? あんなふうにキスするのか?」。その若者のプレイには情熱が欠けていた。だがマイルスはそれをストレートに言わなかった。

(略)

 マイルスはまた、つねに自分自身を開拓しようとしていた。デトロイトのクラブで演奏していたとき、彼はトニーと私を振り返り「どうしておれのバックで演奏するときのおまえらは、ジョージのときと同じやり方じゃないんだ?」と訊いた。ジョージ・コールマンがソロをとるとき私たちがリズムを複合させていることに、彼は気づいていた。そうすることによって、私たちの演奏はより自由になった。(略)

 私たちがそうしていたのは、当時ジョージがジョン・コルトレーンに影響を受けていたからだった。トレーンのバンドはリズムと拍子に関して並外れていた。(略)

私はマイルスが馴染んでいたのとは違ったアプローチ、違った雰囲気で演奏をスタートさせた。最初のうち、彼は悪戦苦闘していた。彼は途切れ途切れに短いフレーズをほとばしらせた。トニーとロンと私が彼のバックでリズムを壊し、バラバラにしていたからだ。そこには彼が慣れ親しんだパレットはなかった。それは彼を混乱させた。彼は肩を動かし、身をよじりながら、何とかしてリズムに乗ろうとしていた。マイルスは文句を言わなかった。私たちは一晩中そんなやり方で演奏を続けた。彼のソロは終始不安定だった。しかし翌日の夜、彼は私たちにもっとやれと言った。私たちはリズムをさらに予測もつかないほど不規則に変化させた。だがマイルスは前日より巧く対応し、長いフレーズを吹けるようになっていた。彼はそのリズムを自分のなかに取り込み始めていた。そして三日目の夜になると、彼は凄まじいサウンドでソロをとった。私は彼に追いつくため必死に演奏しなければならなかった。その夜、私はこのバンドがまったく新しいレヴェルに到達したことを知った。

「バター・ノートを弾くな」

[マンネリに陥り]私はもがき苦しんでいた。自分の演奏するすべてが同じサウンドのように感じられてならなかった。私が悩んでいるのを察知したマイルスは、ステージ上で私の背後に来て「バター・ノートを弾くな」とささやいた。

 その言葉が何を意味するのか分からなかった。(略)バターとは何だろう?バターといえば脂肪だ。脂肪といえば過剰だ。私は過剰に弾いていたのだろうか?(略)

コードのなかでもっとも明白な音はサードとセヴンスだ。(略)そこで私はサードとセヴンスを抜かした(略)

コードだけでなく、右手によるインプロヴィゼーションもそのやり方でやってみようと思った。(略)

 クインテットはいっさいリハーサルをしないので、実験は次の日の夜、ぶっつけ本番でやることになった。(略)私のプレイは一貫性がなかったし、随所で中断せざるをえなかった。(略)ぎこちないプレイになったと思う。しかしその夜、私が客から受けた拍手は、その週のどの夜よりも大きかった。彼らは私がアイデアを膨らませ、何か新しいことに挑戦しているのを感じ、それを気に入ってくれたのだ。(略)

私はときどき隣り合った二つの音――セカンド――を弾いた。(略)コードはとても開放的なものになった。そのためソロイストには余裕が生まれ、インプロヴィゼーションの方向についての選択肢が広がった。それは独特のミニマルなサウンドを生み出した。私にとって重要だったのは、それによって音楽とインプロヴィゼーションの作曲的な要素に関し、目の前にまったく新しい世界が開かれたことだった。

 いったんバター・ノートなしで演奏することに慣れると、私はもう一度その音を使って演奏し始めた。いまやそれはバター・ノートではなかった。それを弾かなかったのは、そうしなければいけなかったからだ。もう一度それを弾き始めたのは、そうしたいと思ったからだ。この経験によって私のすべてが変わった。

(略)

 皮肉なことに、何年も経ったあと、マイルスはじつのところ「ボトム・ノートを弾くな」と言ったらしいという噂を聞いた。

トニー・ウィリアムス

 クインテットで演奏し始めたとき、トニー・ウィリアムスはちょうど十七歳だった。それが問題を引き起こした。私たちが出演するクラブに入るには若すぎたのだ。彼はマイルスに言われて口髭を生やした。それでもトニーはティーンエイジャーに見えた。

 クラブのオーナーは合法的にトニーが店に入れるようにするため、いろいろと工夫を凝らした。彼らは未成年の客のためにクラブにロープで囲いをし、その囲いのなかではソーダしか飲めないようにした。またトニーがステージにいるときにはアルコール類を売るのを止めるクラブもあった。あるライヴで、マイルスは別のドラマーを雇ってファースト・セットを演奏した。その間、客は酒を飲むことができた。そしてセカンド・セットではトニーがドラマーを務め、アルコールの販売は休止された。

(略)

 トニーのプレイを愛していたマイルスは、彼のためにいろんな配慮をした。最初の約二年間、私たちはあらゆる曲をアップ・テンポで演奏していた。バラードでさえ速いテンポでやった。通常の三倍も速いテンポで演奏することもあった。(略)

マイルスはミディアムやスローにおける演奏能力が身につくまで、彼のパワーを最大限に生かしたアップ・テンポ・ナンバーを中心に演奏しようと思ったのではないだろうか。

(略)

トニーはマイルスが所有するアパートに住んでいた。(略)彼らはときどき家賃や借金のことで口論していた。トニーは喧嘩っ早く、若いシカが角の威力を試すかのようにマイルスにぶつかった。(略)

 後年になって聞いたことだが、大胆にもトニーは演奏に関してマイルスを責めていたらしい。トニーは憑かれたように学んでいた。さまざまなスタイルについてすべての知識を得ようとしていた。いくつかの曲の構造を最初から最後まで暗記しようとさえした。とつぜん、あたかもそれがみんなで議論していた話題であるかのように「ヨーロッパの和声における旋法の時期は十二世紀にさかのぼる」などとレクチャーし始めることもあった。一心不乱に勉強していた彼は、自分の言葉に関心を示さないマイルスに腹を立てていた。(略)

自分の父親ほどの年の差がある人間に説教することにまったく疑問を抱いていない様子で、「なぜ人の話を聞こうとしないんだ?」とマイルスに食ってかかった。トニーにとって、人が他人を批評できるかどうかの唯一の基準は能力だった――年齢でも経験でもなく、能力だけだった。

ウェイン・ショーター

 ウェインはコンポーザーとしてもプレイヤーとしても並外れていた。彼の心の動きは私の知っているどんな人間とも違っていた。おまけに彼には遊び心と好奇心があり、それが彼の音楽から滲み出ていた。

(略)

ソロに入ると、途中でストローリングをやり始めた。(略)とつぜんウェインは幽霊のような異様な音を出し始めた。彼のサックスから出るのは、空気が震えるような、あるかないかの微かな音だった。それを聴いてトニーと私は顔を見合わせた。“うわ、この音はいったいどこから出てくるんだ?”と私は思った。そのささやき声のような音は奇妙に美しかった。そんなサウンドは聴いたことがなかった。

(略)

だが、いったん話し出すと私たちを大笑いさせた。彼は物真似が得意だったし、多くのジャズ・ミュージシャンと同様、言葉遊びが好きだった。車に乗るときは「おまえはフロントに乗れ、あとのみんなはブラックだ[訳注: back を black と言い換えている]」と言った

(略)

ウェインは(略)ヨーダを思わせた。喋り方は風変わりだったが、とても思慮に富んでいた。(略)ファンタジーとコミックに入れ込んでおり、好んでスーパーマンのTシャツを着た。

(略)

 マイルスはウェインを愛した。ウェインが完璧な曲を書いたからだ。

次回に続く。