本当の翻訳の話をしよう 村上春樹 柴田元幸

 

本当の翻訳の話をしよう

本当の翻訳の話をしよう

 

帰れ、あの翻訳

村上 ジャック・ロンドンリバイバルの価値があると思います。僕、昔から好きなんですよ。(略)

『マーティン・イーデン』 、僕は英語で読んで心を打たれたし、翻訳でも読まれるといいなと思いました。

(略)

カーソン・マッカラーズ、個人的に大好きで、『心は孤独な狩人』(略)自分で訳したいくらいなんだけど、何せ長いからなあ……(略)

『結婚式のメンバー』は、今僕が訳しているところです(略)

『悲しき酒場の唄』の三冊はつねに出版リストに入ってるべきだと思うんだけどなあ。『黄金の眼に映るもの』『針のない時計』も個人的には好きだけど。 

 

結婚式のメンバー (新潮文庫)

結婚式のメンバー (新潮文庫)

 

 

二葉亭四迷との共通点

村上 小説文体というのがだんだんできてくると、その文体で書かないと小説ではないという決まりみたいなものができてしまうんです。僕がちょうど小説を書こうとした頃は、現代文学という縛りがあって、それじゃないと駄目、という雰囲気がありました。僕はそれを書くつもりがなかったし、書いても上手くいかなかったので、じゃあ英語で書いてみようと思った。そうすれば楽だろう、縛りから逃げられるだろうと思ったんです。それは[ロシア語で書いてみた]二葉亭四迷も同じだったでしょうね。江戸の文章から抜け出すには別のシステムを持ってこないと抜け出せなかったのだと思う。僕の場合、翻訳と書くことが最初からやっぱりどこかでクロスしているんですね。 

(略)

あの頃は大江健三郎中上健次村上龍というメインストリームがあり、そこから抜け出そうとするには、たとえば筒井康隆的なサブジャンルに行くしかない。僕はサブジャンルに行くつもりはなかったので、そうなると新しい文体をこしらえるしかない。もともと僕は小説を書こうというつもりはなかったから、逆にそれができたんだろうなという気がします。

(略)

文体に対する提案といえば漱石が浮かびますが、漱石は漢文の知識と英文の知識、江戸時代の語りみたいな話芸を頭の中で一緒にして、観念的なハイブリッドがなされていたと思うんです。だから漱石は翻訳をする必要がなかった。

(略)
漱石は文体に対してコンシャスだったと思うんです。だから彼を超える文体を作る人はその後現われなかった。少しずつバージョンアップしたけれど、志賀直哉川端康成も根底にあるのは漱石の文体なんです。戦後、大江さんあたりから変わってくるわけだけど……。

 柴田元幸講義 日本翻訳史 明治篇

僕を含め二十一世紀日本の外国文学翻訳者は、翻訳の精神を誰よりもまず森田思軒から受け継いでいると思います。にもかかわらず、実践している訳文自体は、精神としては思軒の正反対と言ってもよさそうな黒岩涙香の文章にはるかに近い、というねじれた事態になっています。二人とも明治二十年代から、新聞を主たる舞台として活躍し、森田思軒は翻訳王と言われていました。坪内逍遥は思軒のことをこんなふうに書いています。

(略)

英文如来を森田思軒氏とし独文如来森鴎外氏とし、魯文如来を長谷川四迷氏とす。

(略)

 では、思軒自身は翻訳についてどう考えていたのでしょうか。(略)

とにかく極力直訳で行こう、という姿勢です。

(略)

 思軒の訳文は「周密文体」と言われました。一語一句を極力原文どおり丁寧に訳した文章ということです。そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれませんが、それを当たり前にしたのが森田思軒なのです。それまでの翻訳では、変えたり、削ったりが普通だったから。なかでも極端に自由に変えた翻訳は「豪傑訳」と言われました。そういう自由な翻訳を実践したなかで、いまでも名前が残っているのが黒岩涙香です。

(略)

涙香の出世作『法庭の美人』の序文です。「タイトルを変えてしまうなんて不当ですよね、我ながら僭越だと思います、でも本文はもっと変えてるんです、何せ翻訳してる間は原書を家に置いてオフィスで仕事してたんで、訳しはじめてから終わるまで一度も原文を見ませんでしたから。だからこれを翻訳って言うと実はまずいんですけど、創作だって言うと盗作だって言われるんで、あえて翻訳と呼ばせてもらいます。本文でもそうですから、タイトルが違うのも責められて当然です。でも私、翻訳者じゃないんで、そのへんはよろしく」といった感じでしょうか。

(略)

訳していた作品もかなり違っていて、森田思軒はかなりハイブラウで、代表的な訳業はジュール・ヴェルヌヴィクトル・ユゴーでした(どちらも英語からの重訳)。一方、黒岩涙香は今では忘れられたような大衆小説を次から次へと訳していました。

(略)

[思軒と涙香の訳文比較があって]

当時は格調高く思えたこの手の文章は、言文一致運動の流れの中で急激に古くさくなっていき(略)森田思軒は亡くなってしまいます。

(略)

[『法庭の美人』は実際に原文と比較してみると]案外違わないんです。約している間、一回も原書を見なかったというのが信じられないくらいです。

(略)

[涙香の]訳文はまるで原文のかたちをとどめていなくて、「直ちに」「直ぐに」「早速」といったたぐいの言葉が連発され、物語がスピーディーに進んでいきます。(略)[だが森田の]『十五少年』よりはるかにわかりやすい――つまり現代の日本語に近い――ことは認めざるをえません。

(略)

明治の翻訳を考える上でわくわくするのは、すべてどれが正解かわからない状態でやっていたということです。その後、二葉亭四迷的な翻訳が文学的とされ、ハイブラウな部分ではそっちに進み、大衆的な面では黒岩涙香的な訳が主流になったわけですが、もし言文一致の流れがあれほど大きくなければ、森田思軒のような漢文調がもっと続いたかもしれない。誰もがいろんなスタイルを使えたし、どれが主流・正解になってもおかしくないという緊迫感があった。「である」調か「ですます」調か、程度しか選択肢のない現代よりはるかにスリルを感じます。

(略)

 鴎外の翻訳は鴎外節ですらない文章になっている、翻訳者が自分の臭みを消しているばかりか作者まで消してくれているから、読者は作品そのものと向き合える、ということですね。「清潔な交渉」というのはたしかに『諸国物語』を読んだ実感にも合っている気がします。
 好きでもないかもしれない作品もガンガン訳していた鴎外と、ほとんど翻訳をしなかった漱石の対比が面白いなあと僕は思っています。漱石はとにかく翻訳ということに懐疑的でした。彼の小説の登場人物たちもそうです。

(略)

翻訳の教育的意義ということは認めていたと思うんですが、翻訳において露呈する二つの文化の違い、という点にはどうも懐疑的な発言が目につきます。漱石自身、自分の作品を誰かが翻訳したいと言ってきても、「あれは大した出来ではないから」などと言って断ってしまう。もちろん、自分が翻訳することにも燃えませんでした。いわゆる訳書も一冊もない。その理由が、翻訳が苦手だったからという話ならわかるんですけど、英文学講義録『文学評論』のなかの引用文訳を読むと、これが実に巧いんですよね。

(略)

鴎外はシベリア鉄道でドイツの新聞を取り寄せて、まるでツイートするみたいに、次から次に記事の内容を雑誌に紹介していました。

(略)

まあなかには小説の素材になりそうな面白い話もあるんですけど、誰それが何をしたというだけの短いものも多く、なぜ鴎外がこれをしなくてはいけなかったのか不思議です。しかも鴎外はこれを匿名で連載していて、連載は人気がなかったそうです。当時の日本にはまだ、西洋に追いつき追い越すためには西洋のものをどしどし取り入れなくては、という空気があったのでしょうが、鴎外のこの百年早いツイートは、そういう次元を超えている気がします。
 もちろん、つまらなくはないです。そこがまた不思議なんですけど、「(此決闘は九日に無事に済んだ)」というあたりの淡いユーモアがやっぱり効いてるんでしょうか。(略)

 短篇が上手いのは

村上 はっきり言ってチェーホフはそんなに上手いと僕は思わないんです。少なくとも今の時点から見れば。あと吉行淳之介をみんな上手いと言うけど、そんなに上手いと思わない。でもどちらもそれほど上手くないところがいいんですよね。『若い読者のための短編小説案内』でも紹介しましたが、短篇が上手いのは安岡章太郎小島信夫、それから長谷川四郎

(略)

ヘミングウェイのニック・アダムズものを読んだ人と読まない人とでは短篇小説に対する考え方が違ってくると僕は思うんです。あれは本当に素晴らしいし、短篇小説というもののすごくきっちりとした手本になっている。あと僕自身について言えば、フィッツジェラルドの「リッチ・ボーイ」を読んだのと読まなかったのでは、僕の中での短編小説の在り方が違ったなと思う。

(略)
「リッチ・ボーイ」は僕も訳したけど、どこから見ても見事に書けている。その書き込み力は、短篇の原型として、一種の黄金律として、今でも僕の中に残っています。

(略)

 昔は短篇からふくらませて長編を書くということもありましたが、最近はないですね。『女のいない男たち』のいくつかの短篇について、「続編はないんですか?」と訊かれるんですけど、もうひとつそういう気がしないんです。たぶん僕の中での短篇の位置が変わってきたんだと思います。

藤本訳ブローティガン

村上 藤本さんの翻訳で読んで興味を持って、それで原文を手に取ってみたという感じですね。まずは翻訳が最初だった。ぼくが大学生だった六〇年代の終わりから七〇年代のはじめにかけて、藤本さんの翻訳したブローティガンは、一種の、ガイディング・ライト(導きの光)のようなものでした。

(略)

それに飛田茂雄さんや浅倉久志さんの翻訳したヴォネガット。翻訳者と作家の密な関係があって、非常に幸福な時代だったと思います。僕が翻訳に興味を持ったのは、そういう人たちの影響があったのかもしれない。

(略)
柴田 藤本さんの訳文って、日本語としてすごく自然というわけではないんですよね。

村上 翻訳というものは、日本語として自然なものにしようとは思わない方がいいと、いつも思っているんです。翻訳には翻訳の文体があるわけじゃないですか。

(略)

僕が自分の小説を書くときの文体があり、そして僕が翻訳をするときの文体というものがもしあったとして、両者は当然違いますよね。会話がまず違ってくる。  

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