危機の政治学 カール・シュミット入門

 

危機の政治学 カール・シュミット入門 (講談社選書メチエ)

危機の政治学 カール・シュミット入門 (講談社選書メチエ)

 

シュミットが注目した、カトリック反動思想家、メーストル、ボナール、ドノソ。

メーストル『フランスについての省察』(一七九六年) 

 メーストルの立場はフランス革命に対するカトリックの側からする徹底した反動とされていますが、彼が目指していたのは単純な過去への復帰ではありません。シュミットがメーストルの問題意識を受け継いだ理由も、ここにあります。
 『フランスについての省察』で、メーストルはこう述べています。革命を導くのは人間ではなく、革命が人間を導くのだ。革命の舞台に登場する悪漢たちは道具以上のものではない。彼らが権力を行使しようとするや否や、彼らは恥辱の中に打ち倒される。共和制の設立も彼らの意図ではない。彼らは自分たちが何をしたか理解せずに、成り行きのままに行動したにすぎない。そこには「神の意志」に基づく「摂理」が働いている。革命が行われたのは神の意志であり、摂理による人間に対する「懲罰」だ、とメーストルは言うのです。

(略)

すべての命、すべての富、すべての力は、革命家の手に握られる。そして、かかる怪物のような権力、血と成功に酔いしれる。これまで見たことのない、そして間違いなく二度と見られない驚異的現象であるが、これはフランスを懲罰するための驚くべき力であるとともに、フランスを救う唯一の手段なのである。


 ひとたび革命が始まってしまったからには、フランスと君主制を救うことのできるのはロベスピエールジャコバン独裁以外にない。もとより革命の指導者たちが君主制の再興を意図しているわけではない。にもかかわらず、彼らは神の摂理によって自分たち自身の意図とは正反対の結果を生み出そうとしているように見える。

 

革命が生み出したすべての怪物たちは、続く場面では、王制のためにしか働かなかった。(略)彼らのおかげで、国王はその光輝と権力のすべてをもって王座に復帰するだろう、おそらくはより増加した権力をもって。(略)

 そうしたメーストルの立場から見れば、政治制度を人間が意のままに設立し、作り変えることができるという考え自体が間違いだということになります。


いかなる憲法も熟慮の帰結ではない。人民の権利は決して書かれることはないし、少なくとも制憲行為あるいは成文基本法はそれ以前に存在した法を明示的に宣言したものにすぎない。そうした権利は存在していたから存在するという以上のことを言うことはできないのである。

(略)

 憲法(国家体制)の形成においては状況がすべてを決定する。人間は状況の一部にすぎない。ある目的をもってなされたことが別のものを成就させる。イギリスの憲法は、まさにその結果にほかならない。「人民の権利」の大部分は主権者の譲歩によるものであり、これは歴史的に特定することができる。これに対して、主権者たる君主や貴族の権利は「構成的かつ根底的」なものであり、これは日付も著者ももたない。憲法においては書くことのできないものが常に存在するし、書かれれば書かれるほど国家体制は脆弱なものとなる、とメーストルは言うのです。
(略)

無謀な改革は、望んだものを獲得させるどころか、すでに獲得していたものを喪失する結果になるだろう。だからこそ、「革新はまったく稀にしか行ってはならないし、常に節度と細心の注意をもって行わなければならない」と。そうした意味において、国制の第一の基礎となるのは言うまでもなく宗教的な力でした。

(略)

 革命によって破壊された秩序を真に再建するためにこそ、宗教の力が必要である。そうした観点から教会と教皇について論じたのが、晩年に書かれた『教皇論』でした。

ドノソ・コルテス

 しかしながら、その後の政治的天変はドノソ・コルテスの立場を大きく旋回させることになります。一八四六年にローマ教皇となったピウス九世は、一連の改革、政治犯の釈放や出版検閲の緩和などの自由主義的政策を推進し、イタリア統一の担い手として期待されていました。ドノソも当初は教会と近代民主主義との和解の方向を目指す教皇の政策を好意的に見ていましたが、一八四八年のフランス二月革命の衝撃を契機としてピウス九世は右旋回し、ドノソも反自由主義の陣営に移行していきます。二月革命の影響はスペインにも波及し、議会から非常時の独裁的権限を付与されたナルヴァエス将軍は、マドリードバルセロナ、ヴァレンシア、セビリアの革命的蜂起を鎮圧します。一八四九年一月四日、ドノソは議会での演説でこれを支持します。

 「独裁についての演説」と呼ばれるこの演説で、ドノソ・コルテスはこう述べています。今日の危機は、もはや君主制の再建、立憲君主制では対応できない。歴史の教えるところによれば、強力な宗教的諸力が国民の中で働いているならば、専制の到来は阻止されるけれども、宗教的な力が眠り込むところでは、それだけ政治的専制の力は増大する。

(略)

 諸君、可能な抑圧の方法には、内面的なそれと外面的なそれ、宗教的なそれと政治的なそれの二つの方法しかありません。宗教的な温度計が高くなると抑圧の温度計は低くなり、宗教的温度計が低くなると政治的な温度計、政治的抑圧、暴政の可能性が高まるのは自然なことです。これは人間の法則、歴史の法則なのです。

(略)

宗教的な抑圧がほとんど機能しない今日、無政府状態に陥る危険を阻止できるのは強力な政治的抑圧しかない。立憲政府では、革命に対抗して正統な国家の存在を保証することはできない。それができるのは独裁だけである、というのがドノソの結論でした。

(略)

 ドノソ・コルテスの立場から見れば、決断を求められる今日の時代において、社会主義自由主義に対して決定的な優位に立っていることになります。「社会主義学派には神学的なところがあるからこそ、反神学的で懐疑的な自由主義にまさっているのであり、悪魔的であるからこそ、神学的であり神的であるカトリック学派に屈するのである。彼らがカトリシズムを憎悪の的にして、自由主義には軽蔑の念しか抱かないとすれば、それは彼らの本能がわれわれの主張と類似しているからに違いない」。まさにカトリシズムに正面から対立する神学的敵対者こそ、社会主義だったのでした。

 ドノソ・コルテスが社会主義の代表として想定していたのが、プルードンでした。

二つの「完全社会」

  教皇と皇帝を聖俗の二つの中心とする「キリスト教共同体」を最終的に解体したのは、宗教改革です。(略)

教会と国会を独自の「二つの社会」とする観念が成長していくことになります。そした転換点に立っていたのが、宗教改革に対抗するジェズイットの思想家ベラルミーノでした。[とフィッギス]

(略)

世俗権力に対する教皇権力の優位、世俗権力に対する教皇の「間接的」支配権を主張するのが、ベラルミーノに代表される「間接権力」の理論でした。

(略)

 フィッギスにとって、単一の普遍的なキリスト教共同体の解体、二つの完全社会としての国家と教会の分離の過程は、同時にまたヨーロッパ国際法の形成の過程でもありました。

(略)

 国家と教会とが分離し、そして普遍的な帝国から国民的な領邦国家が自立していくにつれて、これらの関係を規制する新たな法とその理論が必要になります。その担い手となったのが、ビトリアからスアレスに至るスペインの新スコラ学派でした。

(略)

彼らにとって、すべての法の基礎には自然法があり、それが世俗法と教会法を包括する融合体を形成していたのでした。中世ヨーロッパのキリスト教共同体から継承された自然法と、それに基づく法的統一体への信仰の下で初めて、世俗の主権国家相互を規制する共通法としての国際法は成立した。そうした環境なくしては国際法が育つことはできなかっただろう、とフィッギスは言うのです。
 カトリックの新スコラ学派の自然法思想を継承してヨーロッパ国際法の理論を完成に導いたのが、スペインに反旗を翻して独立を勝ち取ったオランダのグロティウス、イタリアのプロテスタントで一五八〇年にイギリスに渡って国際法を講じたジェンティーリなど、プロテスタント系の国際法学者でした。

(略)
 グロティウスやジェンティーリが継承した自然法思想は、国家の絶対的独立と人間存在の悪を強調するマキアヴェリ的な立場とは対立するものであった。

(略)

 フィッギスのこうした議論は、第二次大戦後にシュミットが『大地のノモス』で正面から論じる「ヨーロッパ公法」の内容と大幅に重なり合うものでした。

(略)

シュミットにとってキリスト教共同体から「ヨーロッパ公法」への決定的転換点に立っているのが、アルベリコ・ジェンティーリでした。

(略)

 ジェンティーリは主権国家が相互に「正しい敵」として行う戦争、もはや戦争理由の正不正によって区別されない、いわゆる「無差別的戦争概念」を初めて明確に提示したのでした。

(略)

[それに比べグロティウスは]いまだ「決定的な点で動揺していて不確実なまま」にとどまっている。

(略)

 グロティウスにはスコラ哲学的な「正戦」の観念が残存しており、戦争を行うには「正当な理由」がなければならないと諭じている。だが、戦争に正当な理由がある、というのは交戦当事者なら誰でも主張することであって、問題はその「正当な理由」を判定する上級審が存在しないことにある。そうした「正当原因」という実質的内容は問わずに、「正しい敵」としての主権者が行う「正しい戦争」という形式的・法律的な基準によって戦争概念を決定的に転換したのが、ジェンティーリなのでした。「神学者たちよ、汝らに疎い事柄には口出しするなかれ!」という彼の言葉をシュミットは再三引用していますが、それはまさにヨーロッパの法的秩序とそれを担う思考が神学から法律学へと決定的に転換したことの表明であったのでした。シュミットがみずからを「法律家」と規定する時には、この中世キリスト教共同体の解体の中から──その伝統を踏まえながら──生まれてきた「ヨーロッパ公法」と、その法的思考の担い手の末裔であることを意識しています。その意味において、『大地のノモス』はヨーロッパ公法の変容・解体に対する、いわば鎮魂歌でありました。シュミットの議論の焦点が、フィッギスにあっては並列されていたジェンティーリとグロティウスの間の「正戦」と「正しい敵」の定義をめぐる相違(略)を明らかにすることにあったのは、そうした理由に基づいています。
 それでは、中世キリスト教共同体の解体の結果として生まれたヨーロッパ公法の秩序において、教会、とりわけローマ・カトリック教会はどのような位置を占めているとシュミットは考えたのでしょうか。

ホッブズ、「可死の神」としての国家

 シュミットは、一九三八年に出した『リヴァイアサン──トマス・ホッブズの国家論における』で、ホッブズの政治神学的意義について検討しています。この書物は、ナチス体制下、シュミットが一九三六年に親衛隊から攻撃を受けたあとの微妙な時期に書かれていることもあって、ナチス体制に対する距離感の表現として解釈されたり、反対にそこでほのめかされている反ユダヤ主義的な発言にナチスヘの追従を読み込んだりされることが多いのですが、あまりそうした側面にこだわると、ホッブズについてのシュミットの基本的な立場が見えなくなってしまいます。

(略)

 シュミットによれば、国家を「可死の神」とするホッブズの規定には、きわめて論争的な性格が込められています。ここで参照されているのは、再びフィッギスの議論です。ホッブズは中世キリスト教伝来の「地上における神の代理人」という定式で国家を規定しているが、これはローマ教皇がみずからを「地上における神の代理人]としたことに対抗したものである。国家と国王は「地上における教皇代理人」ではない。こう主張することによって、ホッブズは中世キリスト教共同体における教皇の権威と皇帝の権力との関係を逆転させた。だからこそ、ホッブズの国家は権威ではなく権力の担い手でなければならなかった。その意味において、ホッブズの「可死の神」としての国家を、中世キリスト教共同体の解体、信仰分裂による内戦の克服を世俗権力優位の下に果たそうとするエラストゥス主義の系譜に立つものとするフィッギスの指摘は当たっている、とシュミットは言うのです。

(略)

 普遍的教会たるローマ・カトリック教会の支配から世俗国家を解放して、その権力の下にキリスト教徒でもある市民を服属させること、ここにホッブズの主張の眼目はありました。そして、ここから、神と教会の権威から完全に切り離された、契約によって構成される主権的人格としての国家が導き出されることになります。ホッブズにおいて主権者は、もはや神に由来する「平和の擁護者」ではなく、地上の世界に平和を創造する者である。したがって、全能の神が地上の権力を正当化するのではなく、むしろ国家権力の全能からその神的性格が導き出される。国家権力は人為の所産であり、人々が締結した「契約」の所産となる。しかしながら、シュミットの見るところ、ホッブズにおぴて最終的に前面に出てくるのは第三の側面、機械としての国家でした。

(略)

ホッブズにあっては「権威」と「権力」は一括されてしまい、教会の宗教的な真理要求から完全に切り離されることになる。(略)

結果、国家は技術的で中性的な権力機構となる。技術的・中性的な国家の確立とともに、国際法の転換もなされることになります。

(略)
 国際関係は、技術的な合理性に基づく組織的一体性と計算可能性によって保障された主権国家の間の国家間関係になる。そこでは、戦争も「正当原因」をめぐる問いから解放されて、「正しい敵」とのルールに則った紛争処理の手段となる。ホッブズの中性国家は、宗教内戦の中から登場するヨーロッパ公法の原理を提示したのでした。ホッブズが「宗教改革の完成者」であるというのは、まさにそうした意味においてでした。
 しかしながら、ホッブズの国家論において優位を占めつつあった機械的国家像、技術的・中性的国家の発展は、他の要素を押しのけてリヴァイアサンの解体をもたらすことになります。 

(略)

 ホッブズは最後の最後で私的な信仰、内面の留保を認めてしまった。国家権力の及ぶのは外面的な礼拝のみであって、内面の信仰はそのかぎりではない。ホッブズ国家論に内在していたこの綻びは、ユダヤ人哲学者スピノザによって拡大されて、ついには私的信仰の優位へと逆転される、という議論は、シュミットの反ユダヤ主義の表出として読まれたり、他方ではナチスの抑圧を経験したあとには、逆にこの「内面の留保」をシュミットは評価するようになった、などとさまざまな解釈がなされています。

 しかしながら、ここでまずシュミットが述べているのは、そもそも公的礼拝と内面の留保との対置はホッブズの内在的な論理から見て矛盾している、ということです。

(略)

 神への崇拝は私的にのみならず公共の場でもなされなければならない、それが理性の命ずるところである、というのがホッブズの考え方でした。したがって、それは統一的に行われなければならない。さもなければ、コモンウェルスは神への崇拝をもたないということになるからです。

 ホッブズにとっての難点は、それを市民的・世俗的コモンウェルスたる国家において統一しようとしたことにありました。普遍的な教会の「権威」による統一的崇拝を否定して、なおかつ何らかの形で統一的な公共的崇拝を遂行しようとする場合には、世俗の国家による宗教的な権威の代行というのは不可避的な結論でした。シュミットが問題にしたのは、まさにその点だったのです。

 この「真理でなく権威を」という立場、あるいは「権威」と「権力」の等置から、ホッブズの国家像は解体していくことになります。内面的信仰の許容は「神の代理人」としての主権を内側から掘り崩し、主権的人格としての国家、神話的な「可死の神」としての国家像は崩壊する。旧約聖書の巨大な怪物としてのリヴァイアサンという神話像は、今やホッブズの国家像そのものを排撃する手段となる。