日銀と政治 暗闘の20年史・その2

前回の続き。

日銀と政治 暗闘の20年史

日銀と政治 暗闘の20年史

 

 日銀法再改正のうごめき

財政緊縮と構造改革――。(略)

圧倒的な国民の支持を得た小泉純一郎首相を前に、自民党は沈黙した。

(略)

 [だが対日銀では違った。山本幸三渡辺喜美舛添要一らが「日銀法改正研究会」初会合]

「今日のデフレ状況が深刻化したのは昨年の日銀の無謀なゼロ金利解除に端を発するもので、日銀の無作為は許しがたい」と批判。「もはや日銀法を改正して日銀が動かざるを得ないようにするしかない」と厳しかった。

(略)

一九九八年以降、日本の経済は「インフレ」から「デフレ」に変わった。政府・日銀が一体となって政策協調をしなければならないはずなのに、それができていない。その原因は新日銀法にある――という理屈だった。

(略)

[記者会見で速水にインタゲは『馬鹿げた金融政策』と言われた山本らは公開討論を申し込むも拒否される。政府内でも竹中が賛同していたが、小泉が「インフレ・ターゲットは難しい。制御できないから」と語り議論は打ち止めに] 

小泉の術中にはまった青木

[竹中が不良債権処理の「竹中プラン」を小泉に説明すると]

自民党の役員会にいきなり提示するよう指示した。
 これは、通常のプロセスではなかった。(略)
 ところが、小泉は「一足飛びに役員会に出せ」と譲らない。竹中はその意図を測りかねていた。
 だが、実際に小泉の言う通りにすると、その理由は見えてきた。竹中の説明に対し、参院のドンである青木幹雄幹事長はいらだち交じりに、こう言った。
 「これでは選挙は闘えない。選挙前に株を下げないでもらいたい」

(略)
 だが、青木の発言に好感を持つ国民は少なかった。やりとりが報道されると、むしろ「不良債権処理を進めようと奮闘している」竹中の姿勢が際立ち、青本との対比で、竹中への世論の支持が広がった。
 もし、自民党の通常のプロセスを経ていたら、青木もこんな露骨な反応をしなかっただろう。つまり、小泉は最初から、青木の「抵抗」を想定し、それを利用しようと計算していた。青木はその術中にはまり、竹中プランに反対して自ら「抵抗勢力」になった。そして、小泉=竹中は世論の支持を得て、政治的な政策推進力を獲得したのである。

 福井総裁へ

 [2003年]新日銀法になって二回目の正副総裁人事(略)

 小泉純一郎が当初、念頭に置いていたのは民間人であった。(略)「清新さ」を求めたのである。そこでにわかに浮上したのが(略)中原伸之である。中原は東亜燃料工業の元社長で、米ハーバード大の大学院で経済学を修めた人物である。自民党中川秀直国対委員長らの後押しもあった。
 だが、日銀は、審議委員時代にことごとく執行部と対立を続けてきた中原を受け入れることはできなかった。ある財界人によると、前日銀総裁三重野康は「中原だけは絶対にダメだ」と説いて回っていた。(略)

[竹中も中原を考えたが、日銀の反対で無理だとわかっていたので]
 目に止まったのは財務官だった黒田東彦である。(略)

 だが、財務省が黒田を推すことは考えられなかった。(略)主流の主計局畑ではなく、事務次官も経験していない黒田は、財務省「公認」の候補者になり得なかった。

[そこで部下である岩田一政を軸にすることに。塩川のつなぎで小泉に会った宮澤は福井を提案。財界人を招いた食事会で]

奥田硯牛尾治朗は、福井を推した。「金融政策のプロの福井は安定感がある」という理由だった。
 財務相塩川正十郎は「(前財務次官の)武藤敏郎を入れてもらいたい」と語った。(略)
 竹中はこの時、「やはり財務省事務次官経験者以外を推すことはないんだ」と思い知った。大ベテランの塩川の提案に水を差すようなことは言えるはずもなかった。
 竹中は事前の予定通り、岩田一政(内開府政策統括官)を推した。

 小泉はそれぞれの意見を聞き置くだけで、その場で結論を言わなかった。だが、小泉はほどなく、人事を決めてしまう。奥田や牛尾が推した福井俊彦を総裁に、塩川が推した武藤敏郎と、竹中が推した岩田一政をそのまま副総裁にするという案だった。三人の意見をそのままホチキスで留めたのである。(略)
 この人事案は、日銀に不満を持っていた中川秀直らに衝撃を与えた。日銀職員出身の総裁が二代連続で続くことになったからだ。
 このとき国対委員長だった中川は、その立場を利用して、福井に注文をつけることにした。(略)

 「政府はデフレ脱却に全力を挙げている。前任の速水さんは政府との意思疎通がうまくいかなかったが、そういうことがないようにしてもらいたい」
 福井は「それで結構です」と応じたという。

(略)

 景気回復をしているのに、なぜ福井は量的緩和の強化を進めたのか。理由の一つが、六月から八月にかけての長期金利の急騰である。(略)
 金融機関が長期金利の上昇で一斉に国債を売り、それがさらなる金利急騰を招く――。(略)金融市場では「VaRショック」と呼ばれている。
 このため、福井は、量的緩和の出口を論じるのは時期尚早という認識だった。
 ただ、理由はこれだけではなかった。当時の日銀幹部によれば、福井は速水日銀のゼロ金利解除の失敗をよく研究していたという。

「福井さんは政治家に言われる前に動くという姿勢だった。そうやって信頼を勝ち取っていくことの重要 性をわかっていた」

復興増税を巡る争い

 もともと菅直人は財政への危機感は薄かった。ところが[G7に出席し]

「菅さんの考え方が、行きの飛行機と帰りの飛行機では、一変していた。ドイツや英国、フランスが、キリシャをつぶすつぶさないと議論しているのを見聞きしているうちに、日本の財政への危機感が芽生えたのだろう」

[と同行した大塚耕平]

(略)

菅は参院選後、消費税の増収分で社会保障を充実させる「社会保障と税の一体改革」を打ち出す。(略)

 だが、民主党内には菅への批判が渦巻くようになる。

(略)

[民主党内反菅の松原仁、自民の山本幸三、みんなの渡辺喜美、リフレ学者らが「デフレ脱却国民会議」。さらに松原は政権転落で雌伏中の安倍に接触したが]

安倍は腹を決めかねていた。

(略)

「二〇兆円規模の日銀国債引き受けで救助・復興支援に乗り出すべきだ」

[というアピール文を配布する山本幸三](略)

山本は復興財源を増税でまかなうことは、断じてあってはならないと考えていた。

[だが自民党内の反応は冷たく、仲間は田村憲久のみ。だが震災から一ヶ月後、民主党出身の参院議長西岡武夫から「話を聞きたい」と連絡]

「あなたに賛成だ。一緒にやろうじゃないですか」(略)

与野党の主流派は復興増税へと走り始めていた。(略)

[超党派の反主流派会合、自民のトップを誰にするか]

山本は言った。

安倍晋三だよ。いま、説き伏せている最中だよ。彼も分かってきた」(略)

「彼には憲法や安保のイメージしかない。そのままだったら、二度と復活できない。もし、もう一度、首相になりたいなら『経済の安倍』になるしかない」(略)

「雌伏のとき」を過ごす安倍の野心をくすぐろうという作戦だった。

(略)

[野田が首相に選ばれた日]

増税によらない復興財源を求める会」(略)

安倍は運命の人に出会った。それが、リフレ派の親分(略)

講師役の岩田規久男はこう締めくくった。

「これは明らかな失政です。政府・日銀が緩やかなインフレを起こす政策を打ち出せば、凍り付いたお金は再び動き出し、デフレから脱却できます」(略)

[岩田が席に戻ると安倍は]

「もっと早くあなたのデータや理論に出会っていればよかった」(略)

それは、安倍の「強い日本」を取り戻すという国家像とシンクロするものだった

 「安倍相場」の出現

 選挙戦が始まると、安倍の金融政策をめぐる発言は、世間の注目を集めるようになる。政権交代をすれば、安倍が首相となるためである。

(略)

「二~三%のインフレ目標を設定し、それに向かって無制限緩和をしていく」(略)

[この発言は30年来の友人財務省出身の本田悦朗教授の助言によるものだった]

「強力な言葉を使わないといけない。理屈を説明しても国民は分からない」

本田のアドバイスはこれだけだった。

だが、安倍の大げさとも言える表現は、市場に大きなインパクトを与えた。(略)

[日経平均が八千円台から九千円台に]

安倍はこのとき、上機嫌で本田に電話をしている。

「本田君、効いたよ!『無制限』ってすごいねぇ」

(略)

安倍の言葉が市場参加者の期待を生み出す「安倍相場」の出現であった。

(略)

東南海地震に備えるための公共投資は必要だ。建設国債は、できれば日本銀行に全部買ってもらう。これによって新しいマネーが強制的に市場に出て行く」[という安倍の発言が大きな波紋を呼ぶが、白川は即座に全否定]

(略)

「安倍です。この考え方は間違っていますか?」[と米国の浜田宏一に国際電話](略)

選挙戦で訴えている政策の中身をぶつけると、浜田は「まったく先生のおっしゃる通りです」と答えた。

(略)

[浜田は]野田首相や白川の主張を真っ向から批判したのだ。
 浜田が白川と初めて出会ったのは一九七〇年のことだ。浜田が東大経済学部の教員、白川が学生という関係であった。(略)

[その聡明さには感銘を受けた浜田だったが]

白川が日銀に就職した後、二人の関係は冷え込んでいった。浜田は「彼は出世への道を進むと同時に、世界でも異端というべき『日銀流理論』にすっかり染まってしまっていった」と酷評するようになった。

(略)
 安倍は浜田と白川の関係をよく知っていた。それゆえ、安倍は白川に対抗するには、浜田の言葉が有効だと考えたのである。(略)
 「浜田宏一教授から『非常識なのは野田さんの方だ』とのファクスが来た。金融の泰斗にお墨付きをいただいた」

(略)
 国際的な権威の浜田から太鼓判をもらったと胸を張った。
(略)

 安倍相場の勢いは止まらなかった。(略)円相場は一ドル=四円ほど下がった。(略)

安倍は自身の発言を追いかけてくる現実に背中を押され、ますます自信を深めるようになる。

 アベノミクス

[命名者の田村憲久らが使い広まる]

 「二%という目標に向けて、これはもう大胆な金融緩和をやってください、日銀はひとつ責任をもってやってください」
 安倍はたたみかけるように言った。言葉にはトゲがあり、命令口調だった。(略)
 安倍は衆院選の結果という「国民の民意」を前面に出して、従うよう迫った。
 心配をしたのは麻生だった。(略)あまり白川を追い詰めすぎれば、任期を残して辞めてしまい、発足したばかりの新政権が揺らぎかねない。そう考えていた。
 麻生はもともと、伝統的なケインジアンの考え方に近い。(略)

 麻生は、白川の主張に理解を示しつつ、安倍が選挙中に主張してきたこととの折り合いをつけようと考えていた。

(略)

[浜田の宿泊先に集結した本田悦朗、中原伸之、岩田規久男]

首相・安倍晋三にいかに初志貫徹をさせるか――。これがこの日のテーマであった。

四人が心配していたのは[麻生の動向](略)

[福岡出身の]白川と麻生が近いことも危惧していた。(略)

この日の議論は「首相に代わって、いかに麻生を説得するか」という一点に絞られた。

(略)

 安倍が、首相になってから、自らの意思に反して物価目標政策の実現に協力してきた白川だが、それと引き換えに得るものがあった。

 それは、日銀法再改正の阻止である。(略)

 麻生は白川の気持ちを痛いほど分かっていた。共同声明が決まった一月二一日、首相官邸で記者団にこう語った。

「日銀法改正は今のところ考えていない」

白川は自らの進退と引き換えに、新日銀法を守った。

次回に続く。