人々の声が響き合うとき 熟議空間と民主主義

前半をチラ見。

人々の声が響き合うとき : 熟議空間と民主主義

人々の声が響き合うとき : 熟議空間と民主主義

 

非対称選挙戦争

 法的に独立した組織(内国歳入庁による番号にちなんで五二七グループと呼ばれる)が選挙戦の広告に莫大な費用をつぎ込むようになったため、米国では世論操作の危険性がますます高まっている。(略)

[対立候補ネガキャンやデマ攻撃をすると立候補者は責任を問われるが]

法的な独立性を隠れ蓑に、国家安全の文脈では「非対称戦争」と呼ばれる新しい方式が出現した。(略)

[反撃先がわからないテロ攻撃と]同様に、五二七グループが対立候補者に攻撃をしかけると、反撃のために跡をたどることは難しい。(略)

ある五二七グループの組織が、実は大統領候補の息がかかった者により設立されたものであっても、候補者は関係性を全否定することができるのだ。
 非対称(選挙)戦争と相互確証破壊はいずれも、選挙代理人や名目上は無関係の第三者を用いて争点を強く印象づけ、論争を形作り、マスコミ報道を独占し、それほどセンセーショナルでない話題は取りあげられなくなるようにしてしまう。

(略)

 米国の政治体制は熟議という理想をもって創始された。(略)

しかし、説得産業の進歩により、エリート層が世論を形作り、それを民主主義の名のもとに引き合いに出してくる、という構図ができあがった。

(略)

 世論操作のたくらみがもっとも効力をもつのは、関心がない、または情報が与えられていない大衆が相手の場合だ。国民に政治への関心がない場合、その意見を変えるのにさほど労力はいらず、プライミングを行うのも容易である。 

 米国の民主制

上院は元来、間接的に選出された小さな審議(熟議)のための機関として意図された。議員数が多すぎれば、「多いためにおこる混乱」 (『ザ・フェデラリスト』第五五篇)をもたらすのみである。選挙人団は元来、大統領候補者としてもっともふさわしい人物を選挙人が自由に選ぶための、各邦の熟議のための機関として意図された。そして、憲法に関わる案件を決定する際に好まれた方法が「大会」――各邦での憲法制定会議と憲法批准会議――だ。後に政党がこれに熟議機関としての大会という発想を得て、党全国大会が盛んになった。しかし、こういった集会はたいてい、昨今の選挙人団に負けず劣らず、熟議のための機関としての機能を果たしていたとは言いがたい。代議員(または選挙人)が選ばれれば、大統領候補が誰か決まったも同然で、結果は知れたものとなる。

(略)

 マディソン(略)は「連続した濾過により大衆による選任を洗練するという政策の提唱者」だった。よく知られた『ザ・フェデラリスト』第一〇篇の一節で、代表制には「世論が、選ばれた一団の市民たちの手を経ることによって洗練され、かつその視野が広げられる」効果があり、「このような制度の下では、人民の代表によって表明された公衆の声のほうが、民意表明を目的として集合した人民自身によって表明される場合よりも、よりいっそう公共の善に合致することが期待される」と述べている。

(略)

 米国建国の父は、熟議を可能にする社会的条件に敏感だった。例えば、大規模な市民集会は、どれほど市民自体が考え深く、高徳であっても、熟議をおこなうには人数が多すぎるため危険だと考えた。

(略)

建国の父たちが憲法を制定した際になくてはならないと考えたものは、熟議的な世論の形成と表現を可能とする状況をつくりあげることだった。 

(略)

  建国の父たちは、他者の利益に反する情念や私益により生みだされた徒党は悪をなしうるという可能性を明らかに憂慮していた。彼らが恐れていた絵図というのは、古代アテネの群衆とシェイズの反乱を組み合わせたようなものだったようだ。(略)

建国の父たちは、世論は熟議のプロセスというフィルターを通した場合、公共の利益によりよく仕え、多数派の圧制下で起こる危険性のある暴徒的行動を回避することができると考えた。 

アイオワ

大統領予備選挙は一斉ではなく順番におこなわれるため、アイオワ州ニューハンプシャー州など、序盤で予備選がおこなわれる小さな州の有権者が、小さな州にはまったく似つかわしくない重大な影響を選挙戦の行方に及ぼすことになる。また、最初の選挙戦であるアイオワ州党員集会には熟議的要素があるものの(民主党の党員集会では、投票者は秘密投票ではなく公開投票により意見を表明する。これには、有権者が投票に対してより真摯な姿勢で臨むという効果もあるかもしれな号、選挙区ごとの選挙人の人数は、過去二回の選挙における民主党の得票数により決定される。選挙区ごとの選挙人の数には大きな差があり、そのため選挙人ひとりあたりの有権者の数にも大きな差が生じる。地理的な区分(選挙区)と伝統的な選挙人の割り当てが組み合わさると、政治的平等は無残なことになってしまう。これらはどれも、大衆民主主義の身近な制度が政治参加をうながす一方で、つねに政治的平等を乱している例である。だが、こういった弊害は修復できる。すべての選挙区に平等な投票権をもたらす制度をつくることは可能なのだ。しかし、社会全般で市民に熟議をうながす確実な方法を制度化することはより困難である。

実質的バランス 

 英国で実施された犯罪についての討論型世論調査では、参加者たちは当初、犯罪の解決策はより多くの犯罪者を刑務所送りにし、より多くの刑務所を建てることだと考えていた。こういった強硬派は主張が激しかった。しかし、参加者たちはこの週末の間に、英国の収監率がすでに西欧で最高であること、刑務所の運営に莫大な経費がかかること、収監にいたるような犯罪は全犯罪のうちごく一部であることなどを学んだ。この状況下で、刑務所はすでに過剰収容になっており、その財政負担は非常に高い。こういった点を考慮すると、犯罪対策は刑務所だけに任せるのでなく、未成年者と成人での異なる対処や、少なくとも犯罪の元凶に対する何かしらの対処などといった対策も練られるべきだと考えられる。サンプル集団がこの週末で学んだことの中には、情報として分類できるものもある。実際のところ、アンケートの回答を見ると知識量は大きく増えており、後の討論型世論調査でも見られたように、知識量の増加は意見の変化をもたらした。だが、参加者が学んだことの多くが、アンケートではあまりとらえられない。学習量を示すのはむしろ、おそらくそれまであまり検討したことのなかった自分の意見の問題点について、様々な意見をどれほど耳にしたか、ということなのだ。そのため参加者たちは、刑務所の費用や収監される人数を考慮に入れ、刑務所自体の効用の限界について以前よりも深く考えるようになった。単純に言えば、実質的バランスを欠いた熟議は、議題の賛否が考慮されないため、十分に機能しないのだ。 世論は相対する主張がおこなわれる中で形成されるべきだと思うならば、実質的バランスは情報に劣らず不可欠なものである。