マルセル・デュシャン アフタヌーン・インタヴューズ

 アートと金儲け

一九一五年には、アーティストとして生きるというのは、カネ儲けを目指す提案としては存在していなかった

(略)

美学の観点からすればたいへん有害だと思います。(略)こんなに生産が活発になっては、凡庸な結果しか出てこない。

(略)

アート生産に速さ、スピードが持ち込まれるが、そういうのはいいと思わない。

(略)

レディメイドを売るつもりなんて一度もなかった。(略)

カネ儲けしようって魂胆を頭の片隅に持ってなくたって、何かをすることはできるんだ、と示すための振る舞いだったわけです。(略)

[レディメイドは]一度も売ってない。それだけじゃない、展示だって一度もしていません。二十年前までは、レディメイドを見た人はひとりもいなかった。 

生きてる絵をつくる

わたしの場合、身辺に何があるかってことにはまるで興味がないし、気に障りもしない。何ともひどい絵のカレンダーがあったって、どんな家具だって我慢できる。自分の生活に趣味を持ち込んだりしないから。趣味という経験が、なるべく自分の生活に入り込んでこないように気をつけてる。悪趣味だろうが、いい趣味だろうが、どうでもいい趣味だろうが、入ってこない。わたしは室内装飾家ってのには実に反対だ。

(略)

それで楽しくなったり楽しくなくなったりする必要なんぞないわけですよ。それが厄介なところです。趣味は、アートがどういうものでありうるかを理解する助けにはなってくれないんです。難しいのは、生きている絵をつくること、五十年経って死んだときに、美術史という煉獄に戻っていける、そんなような絵をつくること。(略)

[アーティストの意思とは関係なく何かが残る]

社会がそれを差し押さえて、自分のものにしたわけです。アーティストなんて重みがない。何の重みもないんです。社会は欲しいものを何だってかっさらっていく。

シュルレアリスム

いま現在、若い世代はシュルレアリスムをクソマジメに扱ってるから、おかげでシュルレアリスムは退屈になってきてる。

《列車に乗った悲しい若い男性》、《裸体》

[《列車に乗った悲しい若い男性》]
あれは一九一一年の十月か、十一月だった。パリからルーアンの家族のところに列車で行ったときのものです。で、列車に乗った悲しい若い男性ってのはもちろんわたし自身でした。(略)

ただキュビスムの影響を受けた一点の絵ってだけで。わたしのキュビスム解釈は、何本かの平行線の繰り返し、人体構造やら遠近法やらにはまるでおかまいなしの図式的な線の繰り返し、というようなところがありました。それが最初で、そのあと一九一一年の末に《階段を降りる裸体》の最初の習作が来た。(略)

 《裸体》のスケッチの一番目は小さなドローイングで、ジュール・ラフォルグの詩に向けて手造りした挿絵でした。(略)

わたしは昇っていく裸体をつくった。単に漠然とした、シンプルな鉛筆描きの、階段を昇る裸体です。たぶんそれを見ていて思いついたんだろう。昇るかわりに、降りるようにしたっていいじゃあないか?というのはつまり、そのスケッチをもとにして大きな絵をやるんなら、昇るよりも、降りるということの堂々たる雰囲気のほうが、わたしの静態的な表現には似つかわしいだろうと思ったわけです。

(略)

連中[レジェ、グレーズ、メッツァンジェ]はわたしの絵を見たら(略)どうも自分たちの理論とは違うと判断したわけです。(略)連中からすれば、キュビスムというのは本質的に静態的だった。運動というアイデア、階段を降りてくる女性っていうアイデアは、まるで連中の気に入らなかった。それに、同じころ未来主義者たちがその手のことをやっていたのを知っていたかもわからん、わたしは知りませんでした

(略)

フォーヴの世界みたいな世界、一九〇九年やー〇年のピカソとブラックが描いていた風景みたいな初期キュビスムの世界じゃあ、運動を記述するなんてことは誰だって思いもよらなかったんだ。(略)
完全に静態的だった。それに、静態的であることを自慢にしていた。ひっきりなしに、いろいろ違う断面からモノを示してみせるんだが、それは運動じゃあなかった。おおよそ、対象の面をすべていっぺんに見るという、一種四次元的な発想だった。なのでわたしはその先へ進んだ。〈大ガラス〉の方向で最初にやったのが《チョコレート挽き》でした。 

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