公開性の根源—秘密政治の系譜学・その2

前回の続き。

公開性の根源?秘密政治の系譜学

公開性の根源?秘密政治の系譜学

 

王の二つの身体、『エイコン・バシリケ』

政治神学は支配に正当性を付与するために、主権者の経験的身体を超越的身体へと架橋する。したがってその力は、二つの身体の亀裂をうまく縫合できるかどうかにかかっている。(略)
[主権的身体の分裂が明確になったのが]ピューリタン革命による国王チャールズ一世の処刑(略)
議会派が掲げた「王を守るために王と戦う」というスローガンとともに、王の二つの身体は暴力的に切断される。(略)国王処刑は、象徴的身体から切り離されたチャールズ・スチュアート個人の自然的身体の受難にほかならない。
(略)
チャールズ処刑の数日後から市中に出回り始めた一つの著作、すなわち国王弁明書『エイコン・バシリケ(王の像)』(略)
チャールズ一世による「私」語りの自伝という体裁[だが、実際は](略)獄中での彼自身の手記をもとにして長老派の牧師ジョン・ゴードンが仕上げたものとされている。(略)
[目的は]自らの受難をキリストのそれにも似た殉教へと高めることにほかならない。つまり、まさに悲劇的運命の犠牲になるということをもって、ほかならぬ王の崇高さの証明にしようというのである。
(略)
無実の死を通じて、チャールズという「王の像」は、一種の政治神学的なオーラを帯びることになる。無垢なる彼はいかなる復讐も望むことなく、自分を害した不当な敵たちを赦そうとする。(略)
殉教者となることによって、王の権力は転倒したかたちで正当化される。(略)
[ベストセラーとなったことで]この著作で描かれた無垢な殉教者としてのチャールズ像は、多くのイギリス人にとって王の潔白を証するものに思えたのである。
 『エイコン・バシリケ』のこうした反響を危惧した革命政府は、かねてから急進的な共和派ジャーナリストとして活動していた詩人ジョン・ミルトンに反駁書の執筆を依頼することになる。(略)『エイコノクラステス(偶像破壊者)』は文字通り、殉教者チャールズという「王の像」の破壊を企図したものであった。(略)
 ミルトンはこうした王の虚像に幻惑される「感情過多の行き過ぎた」大衆に対する不満を各所で述べている。(略)
殉教は本来、「自分自身」についてではなく、それを超えた「真理」についての証言なのだから、チャールズのように「自分の手で自分を殉教者であると記す」者は、「下手くそな画家」のようなものである。(略)
 こうしたミルトンの努力にもかかわらず、『エイコン・バシリケ』の反響は衰えることなく、共和派は世論においていわばヘゲモニー上の敗北を喫することになる。

ギロチン刑

いまや処刑の機械化が行われる。この技術が可能としたのは、これまでにないほどの大量処刑である。ギロチンという処刑機械なしには、ジャコバンの恐怖政治はありえなかったのであり、それはいわばジャコバン独裁の物質的基盤を成していたと言える。
 ギロチン刑によってもたらされたのは「処刑の民主化」である。この刑が導入されることで、それ以前は一般的だったような、身分の違いによる処刑法の差別化も行われなくなる。また、ギロチンによる斬首という単純明快な方法は、身体と刑罰との接触を限りなく瞬間的なものにする。かつての身体刑とは異なり、ギロチン刑は人間の身体性とは無縁な出来事なのである。それは、刑の執行人がどれほど熟達した技量を備えているか、あるいは受刑者がどれほど強靭な身体もしくは精神力を持ち合わせているかとは無関係に、すべての人に平等な死に方を保証する。ここではじめて受刑者は、身体のある人間としてではなく、帰責能力のある法的主体として処罰されることが可能になる。個々の人間の物質的な身体性を捨象し、それを普遍平等な抽象的主体とする近代啓蒙の理想は、ギロチンとともにその実現への一歩が踏み出される。
 ギロチン刑は、刑を身体的スペクタクルとして行うのではなく、純粋に「等しきには等しきを」の原則に沿って罪人に帰責を行う近代的な処罰への一歩を示している。これによって生じるのが、処刑の脱劇場化である。処刑は民衆にとってもはや格別の興味をひく出来事ではなくなるのである。フランス革命期には民衆は公開で行われるギロチン刑に群がり、しばしばそれに歓喜喝采を浴びせたとされている。しかしながら実際には、ギロチン刑はかつての身体刑に比して見世物としての性格が著しく稀薄化し、民衆はそれに熱狂するというよりも、公開処刑そのものに無関心な態度を見せるようになったというのが実情のようである。瞬時かつ大量に行われた革命期のギロチン刑は、それ以前の処刑が持っていた演劇的・宗教的雰囲気を失うことになった。そこにはもはやいかなる悲劇性も感じられなくなり、受刑者からはその聖性が奪われるのである。
 もはや処刑のうちで英雄的に死ぬことはできない。それゆえフランス革命期には、処刑に代わって、しばしば自殺が自らの尊厳を保つための死の手段として選択されることになるだろう。

ライプニッツの「国家表」

一六七六年、三〇歳になったばかりのライプニッツブラウンシュヴァイクリューネブルク公の招聘によってハノーファーに赴き、そこで図書館司書および宮廷顧問に任命され、以後、死ぬまで当地を拠点として活動を行うことになる。(略)
ライプニッツは財政・社会政策の提言を行うとともに、ハルツ山地の鉱山開発といった事業にも関わっていく。(略)
[それは単純な実務的関心だけではなく]国の人口や産業に関わる諸々の知を集めると同時に、それらを一つの体系化された国家知にまとめあげようとする形而上学的な意志である。それをはっきりと表しているのが、一六八〇年にライプニッツが提案した「国家表」作成の構想なのである。(略)
それは「国の統治に属する全情報の核心を文字で簡単に叙述すること」である。重商主義政策を進めるこの時期の各国の官房には、資源・商業・食糧といった国家のあらゆる領域に関する情報が集められつつあった。
(略)
[支配者がその情報をすぐ利用できるように目録化する]
同時期に、彼は図書館司書としての立場から、アーカイヴの整備や記録保存のための官職の設置をも提言している。文書整理術は図書館の蔵書のみならず、国家の行政情報に関しても必要なのである。
(略)
一七一六年にライプニッツが死ぬと、彼の蔵書や草稿・手紙はすべて封印され、いかなる遺贈も禁じられたという(略)。官房学者ライプニッツのアーカイヴはまさにそれ自体が国家のアルカナだったのであり、彼の著述には国家そのものが凝縮していたと言うことができるだろう。
(略)
[プロイセンでは]一九世紀初めには毎年三万メートル以上の文書が新たにアーカイヴに加わるようになったとされ、本格的な文書行政の時代が到来する。しかしながら、こうしたアーカイヴの肥大化は(略)国家を一つの可視的な全体として呈示することを一層難しくしていく。
(略)
[対ナポレオン戦争の敗北をきっかけに]アーカイヴが「公的な国家業務の魂」とされ(略)集権的な国家アーカイヴが整備されていくのである。そうして行政事務の全面的な記録化への衝迫が始まる。
(略)
行政がもっぱら文書による統治として行われるようになるにつれ、例えばバクーニンのように、文書と政治支配を同一視する者も現れることになる。彼はそのアナーキズム綱領のなかで、政治支配を根絶するためにあらゆる司法・行政の文書を廃棄すべきことを主張する。
(略)
ドイツの統治実践を顕著に特徴づけていたのは、単に法を通じた支配ではなく、アーカイヴ化を通じた支配だったからだ。つまり、書字を通じて人々を臣従化=主体化していくような実践である。
(略)
 一九世紀ドイツに特徴的なのは、このような学校教育を通じた規律訓練が、行政官僚の養成と結びついていたことである。ナポレオンに屈服した後のプロイセン改革期には、憲法制定のような立憲上の改革は後回しにされ、何よりも行政改革が優先された。そうした行政機構の刷新に伴って、新たな国家官吏の育成が急務の課題となる。だがこの新たな官吏は、単に上からの命令に従うだけの機械であってはならない。それはむしろ、自分自身を統治し、自律的に行為するような主体であることを期待されたのである。当時のドイツ人文主義における「教養形成」の理念は、いわゆる「教養市民層」だけでなく、「官吏」を生み出すためのものでもあった。教養ある人間として教育された者こそが、官吏になることもできるのである。したがって新たな官吏とは、「人間であること」と同一視された「普遍的な」官吏である。「あらゆる国家公民は国家官吏である」というノヴァーリスの言葉が示すように、行政国家プロイセンは「教養形成国家」でもあって、そこでは人間としての人格的な完成と官吏であることとが一体となる。

カフカの世界

カフカの主人公たちは、超越的な法から命令を下されるのではなく、法の内容について自ら判断して行為することができる。
 したがって、カフカにおいて問題となっているのは、法による禁止ではなく、法ヘのアクセスなのである。つまりそこでは、単に法の遵守を要求されるのではなく、法の内容が不明確であることによって、各人が自由に法を解釈する余地が残されている。
(略)
カフカの世界は、法の支配する世界というよりは、むしろ法の解釈と執行によって支配された世界であると言える。(略)そこでは、法の命令がいかなるものであるのかが明確なかたちで顕わとなることはない。(略)最終審級としての法は事務室の無限の連なりのうちに姿を消す。「法はいつも隣のオフィスや、ドアの背後に、果てしなく存在しているものである(略)
権力の所在は、公衆の視線が集まる「壇上」ではなく、その背後の見えない「廊下、舞台裏、裏口、隣室」へと転位する。
(略)
かつて国王の廷臣や陰謀家たちが暗躍していた控えの間や回廊は、文書に没入する役人たちの事務室へと変容する。いまや重要なのは、法の超越性ではなく、法を執行する事務所の連なりからなる内在性の領野なのである。
(略)
[カフカ作品の]登場人物たちは官僚機構によって全面的に覆いつくされた世界に生きている。

カフカと保険

とりわけ重要なのは、カフカが保険会社に務めるサラリーマンであったという事実である。(略)
<span class="deco" style="color:#003399;">僕にとって保険制度そのものはとても面白いけれども、当座の仕事はやるせないものです。</span>
(略)
リスクの考え方に基づく保険制度において重要なのは、「それは誰の罪なのか」ではなく、「誰に損害を負担させるべきか」あるいは「誰が損害によってもたらされた欠損を引き受けるべきか」ということである。この機械技術時代においては誰もが予期しえぬ危険に晒されている。そして、人々がそのような危険に対処するための新たな連帯共同体が、保険制度なのである。
(略)
保険社会では、人は法に違反したことで責任を問われるのではない。すべての人は潜在的につねにリスクに晒されているがゆえに、皆がアプリオリに責任を負っているのである。それは、人間が自由な主体であるがゆえの責任ではなく、人間はリスクが遍在する産業技術社会に否応なく組み込まれた構成要素であるがゆえの責任にほかならない。
 それゆえここでは、責任を問われるのは自らの自由意志に基づく行為だけであるという古典的な法思想の前提が揺らぐことになる。こうした自由主義的な法治国家の原則の動揺は、カフカの作品の至るところで予感されている。『訴訟』の主人公ヨーゼフ・Kは自らの犯した不法行為が思い当たらぬまま、正体不明の訴訟手続きに巻き込まれる。(略)
つまり、先立つ法があって、それに違反したときに罪が問われるのではなく、人々のあらゆる行為は可能性としてはつねにすでに法に違反し、罪を負っているものとして監視されるのである。
(略)
自由主義から社会国家へのこうした移行のなかでより重要な学問分野として浮上してきたのは統計学であった。まさに統計学を通じてこそ、保険制度に不可欠なリスク計算が可能になるからである。
(略)
すでに大学時代に統計学を学んでいたカフカは、保険会社の職員となってからその重要性を一層痛感したはずである。現代の社会国家はもはや法的な基礎だけでは不十分であって、統計学を通じてこそその機能を十分に果たすことができる。
(略)
統計学の眼差しのもとでは、単なる所与の事実は、一定の蓋然性をもって規則的に起こりうる出来事へと変容する。その場合、その出来事が、なぜ、誰の意図によって起こるのかはさしあたりどうでもよい。重要なのは、出来事の根拠を探ることではなく、出来事の蓋然性を計算し、そこから社会全体の法則を導き出すことである。つまり、「統計学が明らかにしようとしているのは、個々のケースで見ると不適切だが総体としては適切でありうるような事柄である」。統計学は一個人の経験的観察からでは分からないような蓋然性と法則性の世界を顕わにするわけである。
(略)
統計学は、それに見舞われる個人からすれば悪夢のように偶然的に降りかかってきた事故の経験を、ごく普通のありふれた事例として把握する。不運はつねに起こりうるのであり、誰もその偶然性を逃れることはできない。保険社会とは法権利の平等ではなく、こうした事故の偶然性の平等に基づく社会にほかならない。
(略)
社会国家による行政介入のなかで生きる人々は、いまや純粋な「法の支配」のもとにはいない。
(略)
法を超える統治の領野は、一定の希望とともにある種の不吉さをも孕みながら、カフカにおいても両義的なものであり続けている。

スパイ小説

探偵小説は近代社会における人々の漠然とした不安から生まれた。一九〇〇年頃になると、ここからさらに新たに、秩序の破壊に対する不安を反映したジャンルが派生的に生じることになる。それがイギリスで誕生したスパイ小説である。
(略)
 スパイ小説は、一九世紀末から二〇世紀初めにかけての帝国主義対立を背景として生まれたものである。この時期のイギリスは、工業化を進めるヨーロッパ大陸諸国の追い上げによって、絶対的優位にあった従来の国際地位が揺らぎ始めていた。そうした状況のなかでイギリス国民のあいだに広がりつつあった帝国没落への不安が、国家の危機をテーマとするスパイ小説の興隆をもたらしたのである。
(略)
スパイ小説は、国家は一見平和のうちにあっても、実は「つねに戦争状態にあり、つねに脅かされ、つねに脆弱である」ことを示そうとする。平和という外見の水面下で繰り広げられる「秘密の戦争」こそが、スパイ小説のテーマである。
(略)
あらゆるところに敵の姿を見る被害妄想的もしくはパラノイア的な不安にとり憑かれているのである。(略)敵は政府のなかにまで入り込んでおり、すべては疑いから逃れられない。国家でさえ陰謀家の隠れた権力に対しては脆弱である。
(略)
 ハンナ・アレントの分折するところによると、植民地こそが秘密政治の最たる空間にほかならない。立憲国家のもとで公開性の原則に基づく政治が行われていたヨーロッパ本国とは異なり、植民地においては秘密と匿名性の支配が貫徹されたというのである。そうした帝国主義的な支配の中心的形象を成すのが、一方では「官僚もしくは行政官」であり、他方では「諜報機関員もしくはスパイ」である。
(略)
 植民地行政官たちにとっては、立憲国家や法律は「余計な障害」でしかなく、状況依存的な政令こそが何よりも優れた支配手段である。そうして、代表と公開性の空間は、匿名の権力行使である官僚制の背後に後退する。(略)
[クローマー伯やセシル・ローズのように]自分自身を「匿名性」のうちに抹消し、「舞台裏の権力」のなかに身を置くこうした行政官たちが、帝国主義的な秘密政治の担い手なのである。
(略)
[キプリングの小説『少年キム』は]スパイ活動を、命を危険に晒す冒険としてではなく、一種のスポーツとして楽しんでいる。(略)キプリングを含む多くのイギリスの植民地主義者は、単に傍若無人な侵略者として振る舞っていたわけではない。彼らはイギリスのパブリック・スクールに根差した紳士的なスポーツマンシップを身に付けていることを自認し(略)植民地での活動は、フェア・プレイの精神に則ったスポーツにも似たものであった。(略)
[ボーア戦争での英軍の苦戦を憂慮したキプリングの友人ベイデン=パウエル卿はボーイスカウトを創設した]
そのさい彼はキプリングの冒険小説に触発され、少年たちがそうした鍛錬を自然のなかのスポーツのようなものとして体験できるようにした。そうして少年たちは、いわばゲームを楽しむように、植民地空間で活動するのに必要なテクニックを身に付けるのである。(略)
 キムが夢中になるのは変装と演技のゲームである。(略)
[彼らは使命を帯びている]キプリングの言うところの「文明化の使命」を担うという役割、すなわち非ヨーロッパ世界を野蛮から救い出し、文明の恩恵を授けるという役割である。アレントが指摘するように、植民地へと渡ったイギリス人は、異国の地の人々を災いから解放するという「竜退治の伝統」によって突き動かされていたのであり
(略)
 そのような「少年時代の理想」に生きる植民地主義者たちにとって、植民地での活動は、いかに残虐なものであろうと「お伽話」のなかのゲームとなる。(略)
この紳士たちは偽善の仮面をかぶり、少年のように冒険ゲームに夢中になる。
(略)
 必ずしも否定的な概念ではなかった古代ギリシアのヒュポクリシスが、偽善という今日的な意味で理解されるようになるのは、もっぱらキリスト教の影響下においてである。(略)トマス・アクィナスなどを経てルターに至るなかで、それはしだいに、おのれの真の意図を隠し、他人を欺くための偽りの仮面として非難されるようになる。そうして、偽善としての表面的な演技に対し、本来性としての魂の内面が対置されるわけである。
 にもかかわらず、偽善としての政治的演技が意味を失ったわけではない。偽善はフランシス・ベーコンラ・ロシュフーコーなどバロック期の思想家によって再評価されるが、それは、真なる内面といった本来性の神話にこだわっていては、正義同士がぶつかり合う宗教戦争エスカレートは止むことがないからである。(略)
少なくとも偽善がある限り、相互に決して相容れることのない各人の内面が剥き出しのまま衝突する極端な闘争状態は回避されるからであり(略)
人々が建前としての偽善を顧みなくなるとき、政治空間は荒廃する。かつて丸山眞男は、偽善を嘲笑して「真情」や「本性」を求める日本の政治風土を指摘し、それが結局のところ本音や欲望の露悪的な垂れ流しに終わることを批判した。