「ジャズ・マガジン」を読みながら・その2 植草甚一

前回の続き。

「ヴィレッジ・ヴォイス」に出るドン・ヘクマンの
ジャズ連続談話を読んでみよう

「マイルスとのスパーリング」

「マイルスとのスパーリング」(七月三十一日号から)
 インタビューのためマイルス・デイヴィスの家に出かけると、シャドー・ボクシングをやっていた。踊り子のように軽くステップをふんでいる。しなやかな上半身を器用にくねらせながら、すばやいコンビネーション・ブローをやってみせ、ウーン、ウーンという掛け声が入る。
 『いいかい。むこうがパンチを出したら、こう外しておいてさ、この一発が入るんだ。ウーン、ウーン。調子がいいときなんか相手は一発でダウンさ』
 ボクシングの講談をききにいくとは考えていなかった。そこは、こっちが間が抜けている。マイルスの音楽は、いつも意表をつくから、そこに新鮮な驚きがあるのだし、だからボクシングの練習をしていたってふしぎになることはないのだ。
 『毎日の日課として十ラウンド練習しているんだよ』そういって膝小僧のあたりをパンパンパンと猛烈なスピードで叩いた。ぼくは右レフトを食いかけたが、うまく外して『いったいボクシングと演奏とは、どんな関係があるんだい?』ときいた。
 『だいいち強くなるじゃないか。それにトランペットを吹くときなんかでも、こうしていくらでもリズムを押し出していけるんだ』
 マイルスは、あの得意な背中の格好をしてみせた。
 『ボクシングの動きと同じだっていうのかい?』
 『そうだよ。息の使いかたが大切だな。こうして同じ調子で繰りかえすんだ。フー・フー・フー。浅く息をすればいい。ふかく息をしておけば、どんなビートも途中で出せるし、フレーズだって、どんなふうにも手加減できるってわけさ』
 シャドー・ボクシングが終ると、冷蔵庫からアップ・ジュースを出して飲んでいる。
『食事には気をつかうのかい?』
『肉食は四ヵ月まえから絶ったし、魚も食べないことにした。大豆サラダと野菜シチューだけにしているよ。あとはメキシコ料理とイタリア料理くらいだ。ジムに出かけるときは、野菜シチューと果物で充分さ。それに菜食主義は朝起きたときに気持がいいよ。仕事もよくできるしね』
 ウェスト・サイドに住みついて十年になるマイルス。褐色レンガづくりのスマートな住宅だ。だが家のなかに入ると、どこもかしこもマイルス趣味で出来あがっている。壁が平べったいのが嫌いな彼は、室内設計家に注文して出っぱらしたり、くねらしたり、らせん階段があったり、間接照明で感じを出したりしているあたり、彼のエゴか丸出しになったような印象をあたえる。
 そんなフンイキの部屋のなかで、ぼくはマイルスがきらいなジャズという言葉を、つい口にしてしまった。
 『きみはまだジャズっていうのかい。ジャズは白人用語になっているんだよ。ジャズといわれるたびに、ぼくは自分の黒い顔が見えてくるんだ』
 『うっかりしていたよ。エリントンもジャズという言葉がきらいだったな』
 『ミシシッピーのショーボート時代にはジャズでとおったけれどね、ぼくには使わないでもらいたいな。ジャズはウィスキーやタバコとむすびつくギャング時代の産物だった。酒の密売時代が終ったとき、ジャズという言葉も終りをとげたのさ』
 『ところで、きみの音楽には最近いろいろな新しい要素が入りこんできているね』
 『ロックと呼んでいるやつを、すこし調子を変えたりなどしているからだろう。そういわれたって、気にしていたらなにもできないよ。いままでにだれかピーンとくることをいったろう。要するにこっちでリードしなければならないんだ』
 彼は続けて語った。
『ぼくはサウンドを求めながらサウンドのために演奏しているんだ。そのときのサウンドが自分にとって気にいったら、すべてがうまくいくことになる。フィーリングがなくて情けない音を出している者は、自分では夢中になっていてもコーニイcornyになってしまうんだ。ぼくは気に入らない音は、すべて捨ててしまうし、そのときの残ったサウンドが、つまりぼくなのさ』
 リズム・セクションについてきいておかなければならない。(略)
 『(略)トニー・ウィリアムズやハービー・ハンコックロン・カーターは、ぼくがやりたいと思うことを喜んでやってくれたし、それがうまくいったのは、最初の気持のありかたが間違っていなかったということになる。チックにしろデイヴにしろジャックにしろ、やっぱり同じように、おたがいの気持がピッタリいったんだな。ぼくには三人の気持がよく判っているから、じぶんのソロのことは考えないで、みんなの気持になって作曲しているし、それがうまくいったときは自分のソロは自然とできてしまうんだ』
 マイルスは立ちあがるとバス・ルームに入った。そこは鏡だらけになっていて、丁寧に頭の毛の手入れをした彼はゴキゲンな表情で『どうだい男前だろう』といったものである。ぼくが返事をしないで突っ立っていると、マイルスはまたパンチをくりだしてきた。それをかわしなから『じゃ帰るよ』というと『そうかい』といった彼は、元気いっぱいな表情に微笑をたたえて『ボクシング映画を見る気があるなら、いっしょに付き合ってもいいんだがなあ』と玄関口でいった。

前衛ジャズ対談

「ダウン・ビート」増刊号と前衛ジャズの対談記事を研究してみよう

[行き詰まったジャズの打開策として現代音楽へ向かったのは]
間違っていたんじゃないかな。もともとジャズはポピュラーな音楽だし、そういう形態のものとして文化や教養と結びついているもんだ。そうした世界から飛びだしてソフィスティケートになろうとしたら、それは現代音楽の雑種になってしまい、ジャズとは呼べないものになってしまう。
 だから新しい名称をつけようとしているんですが、どうしてもピタリとくるいいのがない。
(略)
カテゴリーにはめようというのか間違っているんだ。なぜ特殊な形態のものを指すジャズという言葉にこだわるんでしょうか。ただ音楽といえばいいじゃないか。
(略)
[アイラーが]ジャズじゃないというけれど、ジャズは精神なんですよ、その精神がちゃんとあるではありませんか。
(略)
いかなる楽器からも、これほど個性的な音を出した者はいなかったので、すっかり興奮しちゃったんですよ。
 そりゃ信じられないほど高度なテクニックの持主だといっていい。ほかの人たちにもいえるね。
 クラシック畑の人たちの高度なテクニックとは比較できない性質のものでしょう。
(略)
クラシック畑の木管楽器奏者がテナー・サックスをいじっても絶対にアイラーのような音は出せないと思うし、その逆も成立するでしょう。それは吹きかただけでなくアイラー一人だけの音だということにもなってきます。クラシック畑の人が出す素晴らしい音は、ながい伝統によってそうなったんですが。
(略)
 ところで楽器をマスターした点ではオーネット・コールマンが一番だな。トラディショナル・ジャズに似たような即興演奏のやりかたも加えながら、楽器の幅を拡げている。音楽と動きと思考のありかたは、現代音楽の作曲家とよく似ているし、一歩ずつ確実な歩みで、ある一つの思考を展開していきなから、聴いているほうでは結論が論理的に納得いくようになるので気持がいい。彼が頭に浮べた小さな萌芽、千マイル先まで伸びつづけ、その最後になってなるほどと思ったとき、聴いているほうでは、最後の小さな萌芽へと引き戻されるようになる。とくに「平和」がよかった。
 これを聴いたときの気持を説明するとだね、どうしてもそうならざるをえない不可避性を感じた。つまりオーネットが聴かせたすべては、彼がやったようにしか起こらざるをえないということだ。(略)
いいかい、オーネットが何か違う瞬間に移るたびにだね、それはいつも論理的につながって、まえにやったことの正しい結果になっている。だから不可避的な全体としての結論にたっしていくわけだ。
(略)
譜面にとれない即興演奏はない、そうぼくは思う。きみは非常にこだわっているようだが、実存主義的に考えるとして、現在という瞬間しかないと信じてしまえば作曲家なんて必要ないんだ。レコードで録音するなんてことも、意味なくなってしまう。だがこれは矛盾しているから、作曲という作業で、一種の冷凍処理をほどこしてしまうんだよ。(略)
 いっぽう即興演奏家のほうは実存主義的な解釈による現在という瞬間に酔っぱらっている。ということは、その瞬間やっていることにだけ没入してしまっていて、それはちょうど一番高級なかたちの性的経験みたいなもんだな。ところが作曲家はというと、おなじような性的経験をあじわっているが、それを繰返し経験したい意識でもってやっているんだ。経験をバラバラにしたくない。バラバラになったら、忘れてしまうからね。ぼくがコールマンに感心したのはバラバラにならないことだ。すなわち現代音楽作曲家がいうオーガナイゼーション(組織化)だ。ほかの前衛ジャズメンにはオーガナイズする力が欠けている。だからマテリアルが形態をとらなくなってしまった。

前衛ジャズを聴きに行ったフランスのファンの愉快な話

[「ジャズ・マガジン」のESPディスク特集]に対抗したかたちで「ジャズ・オット」にコペロウィッツの前衛ジャズメン訪問記が出たのである。(略)
 彼がニューヨークへと旅立ったのは一九六五年九月(略)
そこが「スラッグス・サルーン」だったが、入口には用心棒みたいな大男がいて、顔見知りはパスさせているがそうでない者からは一ドル取っている。(略)
入口で様子をうかがっていると、ガヤガヤ話し合っている男たちのなかにハービー・ハンコックがいた。
 ハンコックはベースのドン・ムーアといっしょにチャールズ・ロイド四重奏団の新メンバーなのである。(略)
ソニー・マレーが聴きたいけれど、どこで演奏しているのかと重ねて質問したところ、そばにいたドン・ムーアが『あれがそうだよ』と入口で一ドルとっている大男を指し(略)
「ニュー・シング」が聴きたくてパリから来たんだというと、これがかなり悲観的なのである。
『ほとんどみんな出演するクラブがないんだ。オーナーは理解しようとしないし、商売になんかならないと考えている。
(略)
むこうからスタスタやって来るのがアーチー・シェップではないか!スェーターでサンダルをはき、真っ白いハンチングをかぶった彼はパイプをすっている。[自宅を尋ねる約束]
(略)
 ニューヨークで会ったミュージシャンは、みんな気さくな態度をしめしたが、シェップは誰よりも親切で気持ちがよかった。
(略)
前衛ジャズの担い手だが、この一年間の仕事といえばニューポートとシカゴのジャズ祭出演、そしてインパルスに二枚いれただけで、クラブ出演はしていない。(略)お座敷が掛かっても、あんまりギャラが安いので断るほかないそうだ。
(略)
 シェップの日課になっている練習時間になった。上半身まっ裸になった彼は、マウスピースに口をあてるなり、猛烈なスピードで吹き出した。一時間ばかり練習するといったのだが、そのあいだ一瞬も休まず呪われた人間のように息を吐きつけている。暑いので窓は明けっ放し、大勢の通行人が不思議な音がする窓のほうへ視線を投げかけては歩いて行く。
 シェップの顔面から、上半身から汗のつぶが床にたれ落ちる。そのまま拭きもせずに音を出しつづけ、もう一時間はすぎたろうと思ったときにふと止めると、麻袋の大きな切れっ端しを取って、汗だらけになった身体を拭きだした。なるほどこの汗じゃあハンケチでは間に合わないと思ったが、そのあとでタバコを口にすると、それがまるで落着いた吸いかただし、すこしも息せききっていないんで驚いてしまった。毎日こんな練習をくりかえしているのかと訊くと、そうだと答えて、『ほんのすこしずつ上達していくような気がする。よくベン・ウェブスターみたいだといわれたけど、ぼくが影響されたのはエディ・デイヴィスだったのさ』と語った。
(略)
[マリオン・ブラウンのトリオを聴きにいく]
 ラシード・アリというドラマーは複雑なテクニックで異様なほどの迫力を出す。深刻そうなシカメつらを和らげないのも印象的だ。(略)
そのとき警官が一人現われたが、ジロリと見回しただけで、すぐ姿を消した。何となく変なにおいがする。マリオンの演奏が終り十五分の休憩になったが、そのとき立ち上った司会者が『マリファナとアルコールは気をつけてくださいよ』と意味ありげにいった。また警官が現われると注意したのだろう。ふたたび演奏がはじまった。
 こんどはファラオ・サンダースのESPディスクに入った「セヴン・バイ・セヴン」だが、案の定、ちがった警官が一人また現われた。そしてジロリと見回したが、何もいわずに引き上げた。演奏は続いている。するとパトロール・カーのサイレンが外で繰りかえしピューピュー鳴りだした。大きな図体の女が窓から乗り出して見ていたが、短かいスカートだったのでエロティックとはいえないものが丸出しになったのに気がつかないでいる。こんなフンイキのなかで午前四時ごろに散会となった。
 アルバート・アイラーの録音は九月二十三日にあった。場所はカーネギー・ホールと向かい合った五六番街のジャドソン・ホールのなかにあり、ベル・スタジオと標札が出ている。(略)
アイラーは小柄で愛嬌があり、アゴひげがおかしな生えかたをしている。右の半分が真っ白で左の半分は真っ黒なのだ。
(略)
ゲイリー・ピーコックがまだ来ない。彼はボストンから汽車に乗って来ることになっている。
 ピーコックは一年ほど前からボストンの山中で禅を修行しているのだった。一九六四年にアイラー、ドン・チェリーソニー・マレーとヨーロッパに旅したとき大病にかかったので、その療養がてら裕福な両親の家に引込み、噂によると修道院で暮しているらしい。
(略)
 演奏が始まったとき、なるほどと思ったのは、全然リハーサルなしでやるという行きかたが、目のまえでそのとおり実行されたことである。アイラーがちょっとした指図をあたえたかと思うと、そのままブッツケ本番に入った。参考のため特記したいのは四時半に始まり六時半にすべてを終了したことで、リテークもやらなかったのである。『アイラーはいつもこうなんだよ』とソニー・マレーがいったそうだ。
 アイラーを聴いていると、こうしたフリー・インプロヴィゼーションにあって、ますますアイディアがよくコントロールされ、それがロジカルに展開されるようになったと感じないではいられなかった。
 ESPディスクには「エスポワール」(希望)という意味もあるそうだ。録音テープは、そのときのミュージシャンたちが編集することになっている。このアイラーのレコードは「スピリット・リジョイス」という題で、マリオン・ブラウン四重奏団のレコードといっしよに一九六六年一月に発売された。早く聴いてみたい。

次回に続く。