「ジャズ・マガジン」を読みながら・その3

前回の続き。

クリフォード・ブラウン

フランスの評論家アラン・ジェルベがクリフォード・ブラウン
レコードを聴きなおした

 バードが生きていたころ『ほんとうに素晴らしいね』とクリフォードにむかっていったものだ。『まったく信じられないくらいだよ。ちゃんと耳に入ってくる。きみが話しかけてくる音楽が。それなのに信じられないんだ』こんな言葉も追憶のなかに入りこんでくるだろう。ぼくは思い出さないではいられない。きみも、ほかの人たちも、ぼくたちみんな、クリフォードを思い出さないではいられなくなるし、そうしてジャズは、いまでも彼のことを思いだすと、涙を出して泣きはじめるのだ。
(略)
 クリフォードのあとを継いでやろうという有望な新人が幾人かいた。(略)
リー・モーガンは、ガレスピーの期待を裏切って一歩手前で方向転換したし、フレディ・ハバードにしても、とても駄目だと観念すると、ブラウニーヘの道からは、すっかりそれて歩きだしたのである。またドン・チェリーは、最初のあいだこそブラウニーの道に入りこんだが、頭のいい彼は、すぐそこで、まるで素質がちがうんだと気がつくと、ブラウニー追跡をやめ、とんでもない真似をやりだしたのだ。(略)
ということはクリフォードが、伝統的な意味で、ホンモノだった最後のトランペット奏者の一人だったということになる。
(略)
 ブラウニーが、自分に課した仕事は、つぎのようなものだった。森のなかに雑草が生い茂った空地がある。その雑草を彼は、むしり取りはじめる。すると道が見えはじめ、サッチモやディジーやマイルスやファッツが、ぶらりとやってくる。そういったイメージをあたえる理想的な王国をつくった。そうすると彼の音楽は、綜合化されたジャズということになるのだろうか。そうじゃないんだ。それは冒険から出発したジャズであって、そのなかには、ジャズが昔やった冒険もふくまれていたのだ。
(略)
ブラウニーという新しい太陽の出現。その凄い挑戦的な魅力。それは大波のような凱歌をあげながら、既成観念や価値を引っくりかえし、仮面を引き裂いてしまった。その仮面というのは、当時オツにすまして肥満したあげく、もう死ぬのではないかと見えたジャズの姿(略)
 ブラウニーは、バードがスキャンダルのたねを蒔くのをやめたとき、あの不思議な魅力のあるレスターが両手をたらしたままになってしまったとき、突如として出現したのだった。彼は消えかかったジャズの火を、また勢いよく燃やしながら、つめたくなったバップの灰をあたためたり、クール派の人たちを揺さぶり、麻痺状態になったウェスト・コーストに活気をあたえたりしたのである。
(略)
彼がやったことは、デミスティフィケーションdemystificationとしてのジャズだった。たとえばマイルスのケイレンするような囁き声にたいして、ブラウニーは、ファッツ・ナヴァロ風な心にゆとりがある温かい気持でブッつけた。ガレスピーの饒舌さにたいしては、マイルス風な瞑想的態度でのぞんだ。とおもうと、ナヴァロの悒鬱さをガレスピー風な飛躍性でハネとばしたのである。こんなわけで、伝統を重んじなから大胆であり、大胆であるけれど伝統から抜けられない、という逆説めいた解釈のしかたが生まれてくるが、要するに、あらゆる流派から、できるだけ遠ざかろうとしたのだった。(略)
[彼が]追求していったのは、どうしたら自分の頭のなかにある美しい歌を表現できるかということであった。それで極端にちがったスタイルを結びつけてみようという気持になったわけだが、そうしたスタイルには、それぞれに垣根みたいな囲いがもうけられ、その両側で、おたがいが、監視し合い、悪口をいったり嫉妬心にかられたりしている。ブラウニーはそういった垣根があるのに気がつかないで、引っくりかえしたのだが、おい!なにをするんだ、と怒鳴りつけることもできなくなった。というのはブラウニーが示したものが、あまりにも素晴らしかったからだ。
 そのとき彼は満二十三歳になっていなかった。(略)

ドラムセッティングの変化

ホイットニー・バリエットの

「ザ・サウンド・オブ・サプライズ」を読んで

 ここでバリエットはドラムスのセッティングの変化について語っているが、結局において新しいドラミングは神経をかきたてるように激しく叩く Agressive Nervousnessというスタイルになってきた。以前のドラマーはできるだけ控え目にリラックスするようにして、アンサンブルなりソロイストにたいしての補助的役割であることを自覚していたが、最近になるとドラマーの立場が変り、なかば遊離したような一種奇妙な機能をはたしながらメロディ・パートと背くらべをするようなことになってきている。こういうわけでメロディック・ドラマーという名称も出てきたが、どうも曖昧な言葉である。いずれにしろ、こうした考えかたには過去の偉大なドラマーが広い音域のなかでシェーディングをよく出したという観念が加わっていると同時に、ソロをながくしてメロディ・パートの役割をはたそうという意図が含まれているのであろう。
 いわばドラミングそのものの力とテクニックの妙技で演奏のなかへ侵入をくわだてたわけである。モダン・ドラマーは、ベース・ドラムによるビートで演奏にアクセントをつけるだけでは満足できなくなり、ライド・シンバルやハイ・ハットを派手に使うようになった。と同時に意識的にリズムを無視する傾向がみられる。バックグラウンドの役割をはたす場合のドラミングは、洗練された味と多様性と抑制力の三要素が不可欠とされているが、モダン・ドラミングでは、このことがすっかり忘れられてしまった。彼ら以前のドラマーは、どんなとき沈黙すべきか、どこでダイナミックな力をあたえるべきかを、よくわきまえていた一方、いろいろな楽器におうじてバックグラウンドの色彩をどう出すかということを心得ていた。たとえばクラリネットのためにはクローズしたハイハットをスティックで叩いて大時計がカチカチ音を立ててるといった感じを出す。ピアノのためにはシンバルをワイヤ・ブラッシで撫でながら絹ずれの音に似たようにする。トランペットのときにはライド・シンバルをスティックで叩いて陽気な鐘の音のような効果を出すといった具合であった。ところかモダン・ドラマーはもっぱらライド・シンバルをはげしく叩いてみせるだけで、メロディ楽器のカラーが単調化をきたしてくる。
(略)
 こうした点でマックス・ローチはいい例にあげられる。テクニシャンとして素晴らしい腕前をもつ彼は、あたかも一匹の蚊が止まったようなデリケートなタッチで演奏するし、そのバック・アップのしかたは十人のドラマーがいるのと変りがない。トリプレットやロールやスタカット・アクセントを休みなく続けながら、ベース・ドラムの強いパンチでパンクチュエートするあたり見事なものである。ところがソロに移ると、お喋りな人間がまくしたてるようになり、はたの者はみんな沈黙してしまう。
(略)
 アート・ブレイキーのドラミングにうつると、彼はローチとカトレットから学んでいる。ブレイキーの音色は嗄れた感じで、一種のムラがあり、ときおり原始人のようになって、シンバルから湯気が出るくらいに叩きまくったり、サーカス芸人のように歓声をあげながらスネアー・ドラムをロールする。彼の場合はローチのように装飾音を連続的に打ち出さないが、しばらくのあいだ抑制して叩いているかと思うと、急にスタカットやダブル・タイム・ビートやスティックでシンバルやドラムスのふちをカチカチやるといったように、手足のしびれた病人が狂暴化したのに似た真似をやらかす。いわば極度にドラマティックな奏者であると同時に、ときおりメロドラマティックになるのがブレイキーの特長である。
 フィリー・ジョー・ジョーンズはどうかというと、ローチとブレイキーの長所を一緒にして、これに彼ら以前の奏法を混ぜこんだワイルドなドラマーである。デーヴ・タフとカトレットとリッチの影響もうけたと彼自身がいっているが、その切れ味のいい音にはスイング・ドラマーらしいものが見られる。彼の演奏でバランスがくずれないときはローチとブレイキーを一緒にしたような激しいロールを派手にやってみせるが、もともと沈黙とダイナミックと驚愕をマスターしているドラマーなのである。ライド・シンバルの使いかたにしても控え目に絶えまなく叩きながら、スネアー・ドラムで繰りかえしアクセントをつけていく。そしてブレイキーのように、ときおり倍加ビートにして調子をたしかめる。

ミルフォード・グレイヴス論

イギリス人のジャズ研究は読んでむずかしいけれど、
ひとつミルフォード・グレイヴス論にぶつかってみよう

[ジャック・クックのミルフォード・グレイヴス論。まず遠回りして他のドラマーを研究]
 エルヴィン・ジョーンズのスタイルにみられる特色は(略)[シンバルを抑制し]補助的なビートと考えられていた装飾としてのリズム・ビートを押し出したことだった。(略)
たとえば「インプレッション」で聴かれるエルヴィンは、最初のあいだはだれでもよくやるシンバルの叩きかたをしているが、コルトレーンが途中で緊張した演奏へと盛りあげていくとシンバルの音は消えてしまい、やがて彼独自のフリーな奏法へと変化をみせていく。
 また、このレコードの「スピリチュアル」と「タンジー」はスローなナンバーであるが、ここでエルヴィンはシンバルとスネア・ドラムによるパターンで最初から始め、いまいったようなトリプレット・シンバルの反復奏法は使わないようになる。そして「アウト・オブ・ジス・ワールド」では、エルヴィンのフリー・スタイルが、もっともよく発揮されることになった。
 以上は、ほんの一例だが、たとえばオーネット・コールマンがハーモニーからメロディヘと移っていったのと同じような当然の帰結なのであって、ドラミングの傾向をさぐるうえで非常に重要なこととなってくる。
(略)
ついでマックス・ローチ(略)
彼がやる以前にもジャズ・ミュージシャンたちは、4/4拍子以外の方法でジャズの演奏ができると考え、いろいろと実験的な真似をやったりしたが、結局は失敗している。ところが一九五七年になったとき、ローチは3/4拍子によるジャズのレコードを出して、話題の的になった。それ以後もずうっと彼は、この線に沿って実験を試みてきた(略)
 3/4拍子のジャズは、最近では珍しくなくなった。しかし5/4拍子とか7/4拍子になると、若くて気鋭あるミュージシャンが試みているとはいえ、どこまで効果的になるか、もっかのところ疑問だという気がする。問題は、こういう試みをやってみようという雰囲気を、ローチがつくりだしたことだ。ローチが4/4拍子にかわるリズムの基礎を見つけだそうとした探究心のありかたは、ちょうどマイルス・デイヴィスがコード進行にかわる自由な表現手段として、モード手法を取りいれたのと、どこか似た点がある。
(略)
 それよりさきに片づけておきたいのは、グループ演奏におけるエルヴィンの精神がミルフォードに似ていることで、二人とも原則として複合リズムによる抑制されたムーヴメントを持続していく。またシンバル・ビートの有効性を否定した精神でも共通点があるし、そうした考えかたから生まれた変化にとむドラミングは、新しいスタイルのための決定的な要因となったのである。
(略)
シンバルは素晴らしいほど澄んだ音を出している。ドラムからは、これとコントラストをなすように、閉じこめられた感じがする、しめっぽくってズシリと重い音がしてくる。(略)もっと注意すべき大切なポイントは、一つのフィギュアが、どんなふうにして、つぎに生みだされるフィギュアと関係してくるのだろうかということや、同時に生みだされる二つ以上のフィギュアの結びつきかたを感じとるということにある。(略)
 ミルフォードの即興演奏は、パターンにつぐパターンで複雑に持続されていき、聴いているほうでは、そうした表面に幻惑されるので、なかなか内部へは入っていけない。しかし、その内部的生命も、きわめて論理的に展開されているのだ。この表面と内部との境い目にあって彼の幻惑的な手さばきがパターンとむすびついたりし、いわば三次元的な効果を発揮するのである。
(略)
ミルフォードは、どんな責任をじぶんに課しているのだろうか。それは表面に表れたリズムが生みだすパターンを、演奏中のサックスやトランペットが展開しているフレーズのありかたと、似たようなフレーズにすることなのである。(略)

響きと怒り」と「ニュー・レスト・レビュー」
に出た

前衛ジャズ論について

記事のなかにESPで新発売の「ファッグス」の広告が出ていた。ファッグには「部屋がムーッとしている状態」「部屋のすみに溜まったゴミ」の意味があるが、その発音はすぐfuckを連想させるようになる。(略)
Skin Flowersという歌が入っているらしい。これはペニスをピサの斜塔に見たてたもので、ちょっと聴いてみたいが、彼らはヴェトナム抗議の歌で自分たちの存在をはっきりさせる一方、こうしたエロティックな歌で人気をあつめている。
「ファッグス」は五人組でリーダーは二十七歳になるカンサス・シティ生れのエド・サンダース。(略)
ニューヨーク大学ギリシア文学を勉強したが、そのころからヘンリー・ミラーばりにセックスを歌いあげた超現実派の詩を書き、二十五歳のとき「平和の眼」という詩集を自費出版すると、本屋をはじめた。この本屋も「平和の眼」と名前をつけた。ついでサンダースは、やはり同じ題名のリトル・マガジンを発行しはじめ、リロイ・ジョーンズやアレン・ギンスバーグやグレゴリー・コーソなどが原稿を書いてやったが、一九六六年一月「平和の眼」書店に官憲が不意打ちを行ない、風俗紊乱のかどで、雑誌を全部没収してしまった。(略)
詩人仲間のトゥリ・クプファーバーグと相談し、ロック・バンドを編成して詩を怒鳴ってやろうということになった。
(略)
 ところで彼らはミュージシャンとしての素養なんかなく詩人にすぎない。ドラマーのケン・ウィーヴァーも詩人だった。ところがギンスバーグの「ロック・ジェネレーション」とかクプファーバーグのダダイズムの詩「ナッシング」なんかを怒鳴りだし、ヒゲだらけの男たちが夢中になって歌いながら着ているものを破りちぎって裸になってしまうので、みんな喜んでしまい「ファッグス」は昨年の夏あたりから会場は客がはみ出すほどになった。
(略)
[連想でファラオ・サンダースの話に]
 ファラオ・サンダースのソロを聴いているとき、十六倍の双眼鏡をとおして見るとソロの終り近くでは、口からのツバキがヨダレのように垂れだしている。それが双眼鏡なしだと汗が垂れたように見えた。東京公演三日目のときも双眼鏡を使っていると、トリオの演奏になり、コルトレーンが暗い隅のほうでタンバリンやカウベルやマラカスを振っていたが
(略)
タンバリンを床のうえに置くと何も手にしないで姿勢をもとに戻し、二階の客席のほうをしばらくジッと見ていたが、それから顔を下に向けると右手をひろげて眺め、その大きな手の指を、ちょうど口惜しかったときやるように、ゆっくりと握りしめたのである。おや何かイヤなことでも思い出し、それを我慢しているのかなと思ったが、我れに返ったようにピンと姿勢をなおすとピアノがあるほうへ歩き出したのである。こんな情景には、ついぞ舞台でブツかったことがないので、そのときぼくは茫然となった。
(略)
サウンド・アンド・フューリー」(響きと怒り)という新しいジャズ雑誌の話(略)
驚いたのは創刊号のトップに出たジャズ界の現状に関する考察と題したロバート・レヴィンの記事で、昨年の六月あたりESPディスク社長バーナード・ストールマンが裏切り行為をやったと暴露しているのである。
 どこまで信じていいか、分らないが、こう書いてあった。
 ストールマンは黒人ミュージシャンの味方になり、レコード会社が払わないでいた金を取り立ててやったり、前衛派の味方になってレコードを出したり、コンサートを催してやったりした。ところが、ESPレコードの出演料はユニオンが規定した最低額以下で、儲けはゴッソリと自分のふところに入れたのである。
 彼はESPディスクの宣伝のためアルバート・アイラーソニー・マレーをヨーロッパヘ旅立たせたが、出演契約の話はきめてやらなかったので、一文なしになった二人が帰国の旅費を打電したところ知らん顔をした。こんな無責任な弁護士ってあるだろうか。ソニー・マレーは軍の船に乗せてもらったが、帰国するとドラム・セットを売りとばし、建築工事の現場監督を目下やっているという始末だ。またアイラーのほうは、十三歳のドラマーといっしょにレコード録音するという恥かしい仕事で帰国の旅費をまかなった。
 ジャズ・コンポーザーズ・ギルドが組織されたとき、ストールマンは顧問弁護士になってくれと頼まれた。そのとき彼は月給をくれるなら受けると答えたそうだ。ギルドには金がないことを知っていたのである。それだけでなくギルドの旗揚げのため連続ジャズ・コンサートをジャドソン・ホールで催したとき、ストールマンは同じ週にカフェ・オー・ゴーゴーで前衛ジャズの催しをやるといった態度に出た。そしてこのときサン・ラは出演料五十ドルを前払いしなければ演奏しないと強気に出たくらい相手を信用してなかったが、ストールマンは五十ドル払ったあとでチャッカリと演奏を録音したのである。
 ESPにセシル・テイラーのレコードがないのでも判ると思うが、二人は仲が悪い。テイラーが喧嘩したときストールマンは『きみが、黒人に生れたのは本当に損だったな。白人に生れていたら、いまごろは二万五千ドル級の重役になっていたろう』と皮肉ったそうだ。こうしたことからテイラーは仲間のミュージシャンを口説いて廻り、あいつは欲張りの利己主義だから出演してくれといっても断われと忠告した。そしてあるミュージシャンは既に出演契約してしまい、テイラーはそれこそ拝むようにして取り消せといったが、安いギャラが断われないほど彼は貧乏していた。冬なのにストーヴにくべる石炭さえなかったのである。ストールマンが或る仕事の仲介で大金が入ることになり、リヴァーサイド・ドライヴの豪華なアパートに越したのは、この日のことだった。
(略)
 ある批評家が、アイラーの音楽語には子音がなく母音ばかりだといった。そのとおりであって、彼のソロを聴いていると変化するのはリズム・パターンだけであり、そのパターンは音域と音の色彩感で微妙な形態変化を示し、それが激流のような音楽語の連続になっているのである。
 こうした特色がほかのどれより端的に現れたのが「スピリチュアル・ユニティ」だった。
(略)
アイラーの音楽が、セリー音楽によって生れた豊富さにまで達するには、まだ相当の時間がかかることだろう。これまでのアイラーの音楽は同じような刺激のあたえかたをした。
(略)
 彼はそろそろ、より個性的であり、形態のうえでも統一されたものを出すようにしなければならないだろう。そういった発展段階の危機に直面するようになった。そしてアイラーの危機はジャズ全体の危機だともいえるのである。
 ジャズ・ミュージシャンのすべてが、より広い視野に立ち、その意味でアカデミックなクラシック畑の人たちと同じ位置にあってアイディアの交換をしなければならない状況になっている。しかしテクニックの面なり理論的の面なりでコンプレックスにおちいり、足ぶみしているだけなのではないだろうか。ジャズが非常に面白い変化を示しはじめ、その将来性が複雑さを予見させるとき、逆に意気阻喪してしまうようじゃしようがない。