まわり舞台の上で 荒木一郎 自身を語る

このタイトルと表紙だと、たぶん荒木一郎に興味がある人しか読まなそうなとこが勿体無い。接点のあった人達のエピソードも、荒木の語り口というか思考も面白いので、荒木一郎に興味がなくても読んで悔いのない内容。読んでいるうちに、荒木一郎の音楽を聴きたくなり、小説を読みたくなり、映画やドラマを観たくなること、間違いなし。
ただ後半出てくるフェイク論などもあって、この面白い話が果たして“すべて真実”なのかという懸念もなくはない。なぜならこれが真実なら、桃井かおりとか大変困った人だということになってくるわけで……、うーん。

まわり舞台の上で 荒木一郎

まわり舞台の上で 荒木一郎

 

女はみんなストリッパー

[両親が離婚、女優の母は仕事、一人っ子で寂しい荒木は友達に家に居てほしくて]
中学のときに、自宅でストリップ劇場作ったの。近所の女の子たちがみんなストリッパーになるわけ。このときに知ったことは、「女はみんなストリッパーの要素があるんだ」ってことだよ。見られることに、子どもながら、一つの快感を持ってる。だから、「ストリップやらない?」って相手を誘ったときに、それを断られるってことはほとんどなかったのね。ただ、断らない環境をうまく作ってあげることが大事。
(略)
 自分のそばに女の子がいることによって、男の子もそばにいるようになった。(略)そのうち、男がついてくるようになった、うちに女の子がいるかいないかは関係なく。スターになっていく頃には、男が常に周りに何人もいるわけ。(略)
ある女の子に、「イッチャンの夢を見るときに、一人で出てきてくれたことはないの」って言われたことがある。そのぐらい、いつも男に囲まれてるの。

洋画が人生の基盤

高校二年生のときに、一年間のあいだに二六五本、映画館で洋画を見たの。(略)それがやっぱり、基盤を作ってるよね。今の。映画でいろんな人生観みたいなものを勉強した。六、七割はアメリカ映画だったから、そうすると、やっぱり、「夢に向かってのアメリカンドリーム」だから、基本的には。人間っていうのはそう生きるんだってことをずっと教えられるわけだから、これは大きいよね。(略)
 ほんとにアメリカはすごいと思う。だから、昔の映画を、今、DVDでちゃんと見れば見るほど、細部にわたってキチッと作られてるんだよ。ブルーレイになる時代を予告してるかのごとく。あれはすごいなあと思う。(略)
 日本では、人間っていう部分を、どこか疎かにしちゃってるんだよ。特に、どんどんどんどん、そうなっていっちゃってるだろ。そうじゃなくて、一本の映画で、人に生きてることの楽しさとか価値観とか、そういうものを感じさせる。それが映画じゃないかなっていうふうに思うよね。

「モダン・ジャズ」

[趣味はと訊かれたら、旬の「モダン・ジャズ」と答えたいが]
モダン・ジャズ、好きじゃなかったのね。さっぱり分からなかった。中学からやってるドラムは、どっちかって言ったらスイング・ジャズなわけだよね。スイングはもちろん好きでやってるんだけと、「スイング・ジャズ」って答えるのはイモっぽいんじゃん。(略)
 それでね、毎日とにかくラジオでモダン・ジャズを聴くの。気持ち悪くなっちゃうの、ほんとに。もう、今でも覚えてる、ミルト・ジャクソンのヴァイブの音が気持ち悪くて、窓開けてハーハーってやったこともある。そのぐらい、嫌で。それでも聴いてた。とにかく聴こうと思ったの、もう好きになるまで聴くしかない、と。(略)
[あるとき、『サキソフォン・コロッサス』収録]「セント・トーマス」を聴いてると、「これ、前にも聴いたな」と思って、そこから、「こういう感覚が好きなんだ」ってなっていって、好きなやつを見つけていく――っていうのが始まりだよ。

六本木野獣会

渋谷っていうのは(略)十時ぐらいに全部終わって、真っ暗になっちゃうの。だからみんな六本木とか新宿に流れる。新宿はもういっぱい開いてて、朝までいられた。それこそ青線からあるわけだし。
 ところが六本木は何にもないから、自分たちで遊びを作っていかないと、無理なんだけど。(略)駐留相手の店が開いてるだけなの。(略)
 大原麗子なんかがいたっていう「野獣会」みたいなのは、実態が何なのか、こっちも知らなかった。そんなの見たこともなかったし。そんなのどこにあるのかな。マスコミが作ったもんじゃないかなと思うよ、いまだに……。僕らは遊んでたからよく知ってだけど、そんなのに誰も会ったことがない。とにかく、六本木は八時九時過ぎちゃったら、もう、何にもない。

カメラのカット割り

 生放送も、ビデオの場合でも、とにかく全部通しでいくしかないんだよ。ビデオでもカットしてつなぐだけですごい金がかかるって時代だから。(略)
『バス通り裏』のときは、四台のカメラが動いてるわけだよ。そのために訓練されました。(略)
自分が写らないと芝居はしないときもある。自分で勝手にカット割りしてるみたいなもんだよね。ここでカメラが来るからここで芝居をする、みたいに。(略)
ランスルーで、本番の前に一回やるじゃないですか。それでもう明確に分かる。さらにほとんど、カメラマンの台本を見に行っちゃうの。カット割りが全部書いてあるから、どこで自分が写るか、とりあえず、そこで見ておくんだよ。で、大体の自分の芝居を、カメラのカット割りに合わせて考えておく。そうすると、芝居しながら、カメラの位置が、自然に自分の身体、体内に、刻まれていく。
 あの体験っていうのは、カメラっていうものに対する、意識というよりも、一体感を感じたよね。つまり、自分がいくら芝居してもカメラによって変わるんだということが、刻まれていった。だから、カメラの動きにすごく敏感になって、「今、芝居しても、カメラがこう撮ってくれないと、この芝居は生きないな」と。
(略)
 後年、自分が俳優として映画に出るとき、「カメラの位置が」っていうことをよく言うから、それでケンカになったり、いろんなことがあるわけ。でも、こっちは何年もそれをやってきていたわけだから、カメラはどう撮るべきか、つまり「ここでもうちょっと寄ってほしい」とか、「ここは引いててほしい」、そういうことが自分で分かるようになってた。だから、後年、『悪魔のようなあいつ』で、やっぱりカメラに注文をつけて、チーフキャメラマンに、「役者でカメラを理解して何かを言ったのは日本に二人しかいない。荒木さんとショーケンだ」って言われたことがあるよ。

十朱幸代

十朱幸代っていうのは、ある種のステータスなんだよね、自分にとって。十六のときに初めてスタジオで見たとき、もうほんとにさ、こんなに綺麗な人が世の中にいるのかと思ったんだよ。(略)
[高級車、高級時計などを]いつか手に入れたい、いつか自分もこれに似合う人間になる」。そういうステータスを自分はいつも持ってて、そこへ向かってるんだよ、自分の人生って。
 十朱幸代は一つのステータス。冒さざるべきものというか。一緒に出てたから仲良くて、映画見に行ったりなんかするんだけとも、「自分がこの人に見合う人間になれるかどうか」っていうことがずーっとあるんだよ。(略)
自分が十朱幸代と歩いてる姿がガラスに映りますよね。「どう見ても付き人にしか見えねえなあ」とか、思うわけだよ

吉永小百合

目がとにかく綺麗でね。すごい印象に残りましたね(略)カブトムシの目にみたい。瞳が光ってて、綺麗な目をしてる。(略)すぐ仲良くしてくれて、大スターなのに、気さくでね。

『893愚連隊』

ほんとのヤクザも出てきて、変なおじさんですごい長い紫の背広着てて、一緒にロケバス乗ってたりして、面白かった。バキュームカーの運転手の役をやってる人で、すごい雰囲気出てるでしょ。そのヤクザが原作者なんだよ、『893愚連隊』の。とにかくすごい変わった人で、自分の家の玄関を冷蔵庫の扉で作ったって言ってた。だから、この映画がアイデア満載なのは、あの人のアイデアなの。たこ焼きをどう盗ってくか、バキュームカーの運転手に一万円を半分切ってやる、みたいなことは全部、彼のアイデア。彼が体験してきたものの中から話をまとめ上げていって、「ヤクザ対愚連隊」っていう形を作ってったのは、中島さん。
(略)
小道具の持ち方、いじり方で、全然芝居が違ってくる。(略)セリフをしゃべりながら[そろばんを]くるくる回して、それを胸ポケットにポンと入れるところでセリフを終わらせようと思ったわけ。(略)
 これ、失敗すると、当時、フィルムがすごく高いから、うるさいんだよね。失敗すると、こっちの責任になっちゃう。(略)
[本番で]そろばんは胸のポケットに入ったんだけと、セリフが余っちゃったんだよ。「ヤバいなあ」と……。(略)
それでどうしたかって言うと、とっさに着てた上着を脱ぎ始めるんだよ。で、上着を脱ぎ終わって畳の上にポンと置いたところでセリフを終わらせてる。だから、実際は誤算なんだよ。

[asin:B01GE42PBC:detail]

今井正の初テレビ映画降板理由

今井正さんのテレビ映画」って言ったら、みんな、もみ手すり手で行くと思うから、それを蹴ったっていうことをプロの役者さんたちが結構知ってて、小気味がいいと思ったんじゃないの。そういうことは応援するもんなんだよね。それで俺がダメになろうと、何だろうといいわけだからさ(笑)。(略)
助監督が言ってきたわけ、「今井さんは、セリフが全部キチッと入ってないとできないんで、みなさん、セリフをしっかり覚えてください」って。それで降りちゃった。覚えられないから。っていうか、例えば、ここでそのシーンを撮るのか、違うところで撮るのか、それによってセリフも違うっていうのが自分の中にある。だから、その現場の中でセリフが動くっていうふうに見てるわけですよ。倉本聰みたいな、よっぽどキッチリカッチリ書かれて「なるほどな」っていう台本だと納得できるけど、今井正の、そのときの台本はそういう台本じゃなかったんだよ。自分は台本書いたりするから分かるじゃないですか。「この程度の台本だと、場によって変わる」っていうふうに読むわけですね。だから、覚えてもしょうがない。そんなにしっかり覚えたら、かえって悪くなっちゃう、みたいな考えがあってさ。

作曲

歌手になる、という感覚はゼロだったけど、バンドをやっていて、ドラムもギターも弾いてたんだけと、とにかく、人の曲をあんまり覚えてられないんですよ、僕は。「いい歌だなあ」と思っても覚えられないから、「自分で作っちゃった方が早い」って思って、曲を作るようになったわけ。曲はパッと浮かびます。そうじゃなきゃダメだよね。浮かぶからいいものになるんだよ。(略)
[曲と歌詞は]初期の頃は、ほとんど一体になってできてました。だけと、あとになるに従って、曲が先行してくるようになって、「フンフンフンフン♪」っていう自分の歌が、「なんか、こう言ってるような気がする」って感じたものを歌詞にするようになった。そういうふうに最初のセンテンスが出ると、そのままずーっとセンテンスが自然につながっていく。
 だから、ほとんど、曲作りで悩むことはないてすね。生理作用みたいなものだから。トイレに行くみたいな感じだね。出さないと気持ち悪い、みたいな。作曲するのはギターがメインですね。でも、ギターがよそに置いてあって、曲がフッと順に浮かぶじゃないですか。ギター取りに行くのがめんどくさいから、その場で、パッパッパッと書いちゃって、あとからギター、っていうふうになる場合が多いね。
 曲を作るときは、人が常にいるんです。例えば、そこにいるある人に子どもが生まれて、子守唄みたいなの作ってほしいって言われて、パパッって四、五分で作ってしまう。

個人プロダクション

どこのプロダクションにも所属しないままやるわけだ。ただ『星に唄おう』があれだけヒットしちゃったので(略)まず、ファンクラブを作ったんです。(略)[それ]を「現代企画」っていうプロダクションにして、自分が社長になるわけ。その当時、全然、そういう個人のプロダクションはなかったんですよ。(略)大手のレコード会社、あるいは大手のプロダクション以外で歌手が売れるっていうことはなかったんです。
 作曲も作詞もやるし、歌うわけだし、自分のプロダクションを持ってるわけだから。そういう歌手は他にいないし、相手側もどう扱っていいか分からない。
(略)
[ビクターは]次の年から「作詞作曲部門」みたいなのを一個作ってました。でも、他に誰もいなかったから、自分だけだったんですけとね、結局は。
 作曲家は、吉田門下とか古賀門下じゃないとダメだっていう感じでした。なかにし礼さんなんかもまだ売れてなくて、レコード会社に一生懸命、日参してる時代だった。(略)
「現代企画音楽出版」ってのを作って、これが五十番目だったみたいで(略)
それまではレコード会社が全部、曲を持っていたけど、今度は出版会社が曲を持つから、そのうち出版会社に力が出てきて、その分だけレコード会社が弱くなって、徐々に崩れていくわけだよね。その崩れていくいちばんのきっかけのところに自分がいるわけですよ。それと時代を同じくして、シンガーソングライターっていうのが完全に一つのジャンルとして成り立っていく。

自分の曲は必ず「人」が対象

[「ひどい振り方」をした長く付き合った相手の気持ちになって作った『空に星があるように』]
あの曲は、歌手になるとかいうこととは、なんの関係もなく作ってた曲なんだよ。どこかに発表したいっていう気持ちは全然なかった。ただ、振り方が「ちょっとひど過ぎるんじゃないかなあ」と思って作ったんです。人の気持ちっていうものを、自分は結構、普通の人よりも感じ取る性格みたいだね。すぐに人の気持ちが分かっちゃうことがあるんです。だから、自分が振ったくせに、振った相手の気持ちになっちゃうわけだ。自分の気持ちとは反対の方向に行く場合が多いんだよね、自分の曲って。だから、失恋すると明るい曲を作るっていうこともあるし、それから、周りにいてくれる人の歌を、その人側で書いちゃう場合が結構ある。
 自分の曲は必ず「人」が対象になってるんです。例えばあるとき、二十歳ぐらいの女の子が子どもを連れてきて、僕らのサークルの中で遊んでたんだけど、いつも泣いてるんだよね。旦那に別れられて、子どもを抱えて、青春がなくて。そのときその子のために、「レモンのしずく」と「笑ってごらん」っていう曲を作ってあげたの、いつも泣いてるから。誰かの為に作った曲を歌うと、他の人が泣くっていう現象は、その頃から常に起きてたから、自分の曲は、「売れない」とか思ったことがない。自分の曲には人がそういうふうに反応するのだし、そうじゃなければ作ってもしょうがない。我欲のために作りたいと思ったことは一回もないわけですよ。「今夜は踊ろう」にしても何にしても。
 コンサートのときによくしてる話だけど、「あなたといるだけで」は車に乗っているときに作りました。大原麗子とは十六ぐらいのときに知り合ってて、何回もいろんなドラマや映画で一緒になって。ずっと仲は良くて、あるとき「付き合いたい」って言ったら、「いいわよ」って言われて(略)「でも、一郎ちゃんは十番目よ」って言われたわけ。別に、変な気持ちはなく、そう言うのが似合ってる、面白い子なんだよ。「十番目なんだ、何人も上にいるんだな」と思って、それから、自分の順位をどう上げていくか(笑)。で、あるとき「今二番目」って言われるんだよ。「一番は誰だろうなぁ」と思ってたら、しばらくして、「今日、京都から帰ってくるときに新幹線で隣で、一緒だったでしょ、あれが一番」って言われて、「あいつか……。あんなのが一番か」。自分の想像では違うやつだったんだよ。「あれが一番だったら、あれは抜けるな」と思ってさ(笑)。
 最後、品川にあった黒船ホテルで(略)テーブルに二人で座ったときに、「あれ、これって、自分が一位になってるんじゃないかな」と思ったんだよね。「一番になった」って麗子に言われそうだと思ったから、なるべく言わせないように、その日を過ごすんだよ。それで、帰るときに「別れる」って俺が言うんだよ。なんか、変な性格してるんだ。「一位と言わせちゃいけない、そこが男のロマン」。引くのがかっこいいんだよ、そっとね。
 翌日、すっごくいい天気で、起きて「なんて俺はひどいことをしたんだ、もったいないことを」って思ったわけ。あんなにいい女なのに、何も別れなくてもいいだろう(笑)。麗子は原宿に住んでたから、急いで原宿まで行って、家の近くから電話を入れるわけ。「昨日、ちょっと変なことを俺は言ったけども、あれ、取りやめにしない?」って言ったら「ダメよ!」って言われて。「一郎ちゃんはね、追ってるときがすごいのよ、手に入れたら終わりなの、あなたは。だから、もう、そこで終わるのがいいのよ」って言われて、今度は逆に失恋した感じになって(笑)。すごいいい天気で、車に乗って、「あなたといるだけで」っていう曲が浮かんだんだよ、車の中で。それで、「あなたといるだけで」を作りながら帰った。
 うちへ帰って、書き留められないような曲だったら、それは捨てていい。何も、「書かなきゃ」とか、そういう、欲張った感覚は全然ないの。これはある意味で大原麗子に贈ってる歌なんだよ。日記みたいなもの。フラれたんだけど楽しい気持ち、その気持を書き留める。
(略)
 ともかく、音楽っていうのは、聴く人の人生のBGMみたいに考えているんだよ。だから、映画の音楽を作ってるのと同じ。「自分は音楽を作るから、あなたの人生の中でうまいところに使ってくれ」っていうふうな感覚だよ。

ビクター

レコード会社のスタジオの中でもビクターだけは、アンプからスピーカーまで、全部ビクター。これはほんとすごいと思う。他のソニーとかヤマハは、自分たちのアンプやスピーカーは使わない、すべてJBLみたいな海外製品だけど、ビクターだけは違う。自分たちの誇りみたいなものを持っていて、主張がすごくあった会社ですよね。

リズムのもたり

音楽の中にドラムのリズムが入ってくるから。例えば「いとしのマックス」だと、♪チャツツターン、ンチャカ、タツツターンっていうメロディーの譜割りは、ドラムのソロみたいなものだね。いわゆるシンコペーション。完全にドラムを叩いてる形だよね。
 ギターを弾くリズムも基本的には倍にとってる。歌は結局、ジャズの歌い方になるんですけれども、やっぱり、4拍子は8拍子、8拍子は16っていうふうになる。基本的には16の感覚。(略)
レコードなんかの場合には32ぐらいまでいくときがあっても、基本は16ぐらいで抑えるという感じだけと、ステージだと、もっともたらせちゃう場合がある。そうすると、普通の人は分からなくなる。それは、モダン・ジャズやってたのが、大きいね。ドラムのリズムが常にこう、身体の中にあるから。
(略)
平尾昌晃さんが、「荒木に曲を渡すと、全然違う曲になって戻ってくる」。要するに、歌詞によって曲のシンコペーションが変わるんですよ。例えば、「もしもしかめよ」っていう曲はそのままの歌詞だと、♪モーシモーシカーメヨ、じゃないですか。モとシにアクセントがある。だけど、例えば僕が詞を振ると、同じ音符の中に振るんだけど、「もしも、貴方が」って振るんですよ。そうすると、♪モーシモ、アナータガ、っていうふうになるんですよ。♪モーシ・モーシ・カーメ・ヨー、が、♪モシモ・アナタガ、っていうふうに、詞の振り方で曲が変わって聞こえる。これは、前乗りと後乗りの違いなんだけど、結局、日本の人の歌詞は全部、前乗りなのね。自分はドラムをやってたりジャズが好きだったりするから、基本的に裏乗りになる。ンタ・ンタ・ンタ・ンタって。だから、日本語の歌詞を裏乗りで使うんですよね。
 日本の言葉っていうのは、どうしても前乗りの言葉なんて、そのまま使うと曲がイモっぽくなるわけ。いまだに、みんなそれをやるわけですよね。例えば、どうしても日本語の発音ってで頭に強さが乗るでしょ。「アラキ」って。ところが、外人だと「アラーキさん」って、ラに強が来るんだよ、アクセントが後ろに来る。で、日本人は前にしか乗れないから、いろんな人たちがロックをやっても、どうしても前乗りのリズム。だから僕なんかが聴くと、気持ちが悪いわけだね。

水の江滝子

「会いたい」って言われて、自分は歌手として出ることよりも、プロデューサーとしての水の江さん自身にすごい興味があったわけ。石原裕次郎を作った人でもあるし、どんな人なのかなあって。水の江さんがやってる原宿の中華のお店があって、そこに招待されて話をしたときに、すごく腰も低いし、優しい人で、「『君は恋人』っていうのを自分がやるから、そこに出てもらえないか」っていう話なんだよ。すごくいい感じのおばさんでさ。『君は恋人』に出るか出ないかっていうよりも、この人の仕事をしたいっていうのがあった。
(略)
女性でこれだけのことをやれる人はすごいと思ったよね。尊敬に値する。自分もプロデュースを手がけてる(略)からこそ、ああいう人はすごいっていうふうに思います。会社として、みたいな感じじゃなくて、自分のエネルギーで持っていってるっていうのがすごくよく分かるんだよね。サラリーマンプロデューサーみたいなのは(略)いっぱいいるじゃない。でも、水の江さん的な人が、昔はいたってことだね。

別名義

[事件後、「水木京子」名義で舟木一夫「北国にひとり」]
荒木一郎自体は出せないけども、曲は使える」っていうことだね。(略)「ナポレオン」「水木京子」「枯木華」、いろんな名前使ってるんだよ。別に、僕がやりたくてやったわけじゃなくて、「やってほしい」って言われたの。やっぱり、人が僕をつぶさないということだ。(略)
(略)[水木京子が]ぼくの作品だとわかったとたんに、なんとなく電波に乗らなくなってしまった」[と70年の週刊明星で荒木は語っている]

次回に続く。「ポルノの裏の帝王」になったりするよ!