カトマンズでLSDを一服 植草甚一

タイトル通り、9割ドラッグネタなんですが、最後の方にアングラ雑誌とウーマン・リブ話があって、そこからリブ話を。

カトマンズでLSDを一服 (植草甚一スクラップ・ブック)

カトマンズでLSDを一服 (植草甚一スクラップ・ブック)

 

フランス帰りのアメリカ人が異様に感じたニューヨークの女性

[『新婦人』1970年6月号]

 これはハーヴァード大学を卒業すると、二年ばかり「ルック」とか「ハーパーズ・マガジン」とかいった一流雑誌の仕事をしたあとで、フランスヘ勉強しに出かけ、昨年の暮に帰ってきた[エドワード・グロスマンという]人の話だが、ちょっと面白い。ニューヨークの女性が最近とても変った行動をとるようになったと、新聞でもちょいちょい報道されるが、この人の話で、そこがもっとよくわかるだろう。

(略)
コーヒーを飲んでいるあいだに、いやでも目につくのが、その店に来ている若い女性たちである。そして彼は、いままでにない奇妙な感じにおそわれることになった。
 というのは、たいていの女性が、なにかしら満足がいかないものがあるらしく、そういった気持が読みとれるような表情をしているからだ。

(略)

 グロスマンには学校時代に付きあっていたリタという頭のいいガール・フレンドがいて、グリニッチ・ヴィレッジのアパートで一人暮しをしている。ひさしぶりに顔が見たくなった

(略)

ヴィレッジを歩きながら、雑誌スタンドのほうに目をむけると(略)

色刷り表紙は、たいがいのが恥部を露出させているのだ。極端なミニ・スカートの女の子を見たときは、愉快になったり笑ったりしたが、こんなにまでなったかと思うと笑いは止まってしまったのである。
 リタはニューョークの良家の生まれであり、学校では比較文学をやったが、卒業してからはタイピストとして生活している。グロスマンがアパートのベルを押すと、ドアをあけた彼女はにっこり笑った。けれど昔よりは、ずいぶん痩せたな、それにオシャレだったくせに、まるっきり構わなくなったようだ。あまり褒められない格好をしている。それよりも気になったのは、話し合っていると辻つまが合わなくなってくることだった。

(略)

リタもグロスマンもまだ独身だ。彼女は、つい最近タイピストを辞めたという。その理由はボス[の出張に](略)同伴したところ、ホテルに泊った夜、しつこく要求するので喧嘩してしまったのだった。
 よくあることだからグロスマンは笑ってしまったが、それがいけなかった。再会したときから、眼の表情がきつくなったと思ったが、彼女のほうでは、どこがおかしいのかといった表情になり、笑わないでいる。それはグロスマンに理解力がたりないといってるような顔つきだった。そのとき急に立ちあがったリタがバスルームに入ったので、そばにあった雑誌や本を手にしてみた。「ヴォーグ」や新左翼の「ランパーツ」やセックス小説としてベストセラーになったフィリップ・ロスの「ポートノイの不満」。それから見たこともない「遊びはいい加減で」というペラペラな雑誌がある。「女性のための自由獲得」というスローガンがついているので、どんな中身なんだろうと思いながらパラパラめくっていると、リタがトイレから戻ってきた。
 『これは何の雑誌なんだい、レズビアンの機関誌なのかい』と、また冗談を口にすると返事しない。すこしたって『だから男って厭になるわ。それにパリにいすぎてアメリカのことがわからなくなったようね』といって、こんどは笑った。
 要するにアメリカでは革命が起こっている。黒人暴動があったり、学園闘争があったりしたが、女性も負けずに革命を起こしているというのだ。『それはどんな革命なのかい』と問いただすと、中心勢力の一つに「ウィメンズ・リブ」という団体があるという。そうしてくわしく説明してくれたが、彼女は、その会員ではない。けれど好奇心から、いろいろなパンフレットを読んでいるうちに会員になる義務みたいなものを感じはじめた。ことによると精神的な病気かもしれないと思い、精神分析医のところへ出かけてもみたが、納得がいくような原因はわからなかったというのである。
 遅くなったのでダロスマンが椅子から立ちあがると、あとで読んでごらんなさいといって、いろいろなパンフレットを渡しながら『女の敵には見せないように』と、さも会員らしい目つきで注意をあたえたが、そういったユーモアをとばすのが昔のリタだった。そうして、そのときはじめて二人とも大きな声を出して笑ったのである。
 以上が第一章であって、この記事は第七章までつづく長い内容のものである。それで、ごく簡単に、あとのほうを紹介してみると、グロスマンには、リタが直面しているようなアメリカ女性の精神状態が、漠然としていて、よくわからない。それで、まずフランス人とアメリカ人との比較研究をはじめた。つまりフランス人は生まれつき悲観主義者であって、そうなった理由は文化国家としての歴史が古いから、なにもかも実験ずみであり、あたらしいことを試みたって無駄だという潜在意識がはたらくためである。その結果、偉くなろうなんて気は、あまり起こさないのが普通であって、フランス女性のばあいだと、そういったペシミスティックな気持が、もっと強い。そこへいくとアメリカ人という国民は、がむしゃらなのが生まれつきの性質で、それが最近のようにセックスの自由が常識化されると、前向きな方向へと驀進しはじめ、極端に露骨なエロ雑誌の氾檻になったりする。
 こういうのが「ハード・セックス」と称するやつだ。エロ本では現在のところスウェーデンデンマークが世界一だろう。けれどアメリカの出版物のような穢さはない。(略)

ところがアメリカでは、歯みがきの広告からカメラの広告にいたるまで、どんな商品も「ハード・セックス」と結びつくようになった。テレビ・ショーでも、おおっぴらでセックスの話をやっている。
 いっぽう女性の自由獲得をスローガンとしている団体には、まえにあげた「ウィメンズ・リブ」ほかいろいろあるが、なかでも有名なのが「ナウ」(NOW――ナショナル・オーガナイゼーション・フォー・ウィメンの略称)である。こうした団体の発生は、すべて「ハード・セックス」時代の特殊現象であって、アメリカ女性が柔道や空手に熱をあげるようになったのも、彼女たちの目的を貫徹するための手段としてなのだ。
 というのも女性の自由獲得のためには政治的立場を確固としたものにしなければならず、したがってセックスは第二義的なものとなる。男性にとってセックスは必要だろう。けれど女性にとっては、どうでもいいものであり、いままでも人間生活における平凡なプログラムとしての行為にすぎなかった。もう化粧品なんか買うのはよそう。流行なんかに気をうばわれるな。男たちの遊び場所であるプレイボーイ・クラブのまえでピケを張ろうじゃないか。そのほか女性が男のたしなみのために使われている店がたくさんある。そういったものは消滅させてしまおう。
 こうした状況に拍車をかけたのが「ピル」の普及だった。実際のところアメリカはデモクラシー国家とはいえなくなってしまったが、セックスの面でも、そうなってきた。(略)

 男性抹殺の「スカム宣言」

を書いたヴァレリーソラナスの異常な生活

[『新婦人』1970年3月号]

 一昨年夏の事件というのは、思いだす人も多いと思うが、六月三日のお昼まえのことだった。「リアリスト」という新左翼派の雑誌編集長ポール・クラスナーが、愛児をつれてウールワース百貨店でオモチャを買い、それからユニオン・スクエア付近を歩いていた。そのときパッタリと顔を合わしたのが、「スカム宣言」を書いたヴァレリーソラナスという女性である。クラスナーは、まえに彼女から原稿を売り込まれたことがあったが、じぶんの雑誌には向かないので、わけを話して返した。それで顔みしりになったが、じつは三日まえに五十ドルたかられたばかりなのだった。
 ソラナスは、いつもビロードのハンティングをかぶってブロードウェイやグリニッチ・ヴィレッジを歩いている。器量は普通なみだが、顎がすこし長くて、ロをかたく結び、それに眉毛のあいだの生ぶ毛が濃いのに剃らないから、見たところ感じがきつい。彼女は男にたかる名人で、ニューヨークには寂しがりやの中年男が多いから、そんなのとバーあたりで付き合う。どんな話をするのか知らないけれど一時間につき六ドル取るのだ。五十ドル出せば一週間だけ何をしてもいいと言いだしたりする。彼女はアングラ映画として有名になった「チェルシー・ガール」が撮影されたチェルシー・ホテルで暮らしていたが、まとまった金が入ると、ホテルの一室に閉じこもって、芝居や小説みたいなものを書いていた。それをガリ版刷りにして、グリニッチ・ヴィレッジあたりで立売りするのだが、暮らしていくのは楽ではない。ホテル代のほうも溜ったあげく追い出されてしまった。
 そんなとき彼女はクラスナーに五十ドルの無心をしたのだが、それに十五ドルだしてピストルを買ったのである。そして六月三日のことだが、往来で立ち話をしたあとで別れたクラスナーが、愛児といっしょに近くの料理店に入って注文していると、またソラナスが姿をあらわし、おなじテーブルにかけると、ちょっと相談したいことがあるけれど話にのってくれるか、というのだった。
 そのときクラスナーは、いまはちょっと困るな、といった。じつは彼が連れているホリーという四歳の女の子は、別れた女房が育てている。きょうは、ひさしぶりに会いにいって、オモチャを買ってやったばかりだし、これから親子どおしで話したいのだ、と説明した。それでは、またといって椅子から立ちあがると出ていったそうだ。
 ソラナスは、それからすこし歩いて十六丁目をまがり、ポップ・アート界の人気者アンディ・ウォーホルのアトリエにつうじる階段を上っていった。ウォーホルは、ごぞんじのようにキャンベル会社の罐詰スープを、そのままの感じで大きなシルク・スクリーンに複製し、そのポスターみたいなのをいくつも並べて、新しいアメリカ美術のための領野をひらいた画家の一人である。それからアングラ映画製作者として世界的に注目されるようになり、なかでも「チェルシー・ガール」が有名であるが、ついで製作した「ぼくは一人の男」ではソラナスも出演したのであった。つまり二人のあいだには恋愛関係があったが、その後ウォーホルの彼女にたいする態度がつめたい。ホテルを追いだされたというのに知らん顔をしている。彼女は、うまく利用されていたことに気がついた。
 アトリエに入ってみるとウォーホル一人しかいない。それから、また口喧嘩がはじまったが、そのときやにわにピストルを出して引金をひいた彼女のまえには、椅子から引っくり返り、床のうえで意識をうしなったウォーホルから血が流れている。ソラナスは、それにはすこしも動じることなしに、アトリエから出る左階段を降りていった。
 ウォーホルは出血多量で危篤状態におちいっているのを発見された。(略)

[二日後ロバート・ケネディ暗殺事件発生]

 ウォーホルに重傷を負わせた彼女は、外に出ると、付近を四時間くらいウロつき歩いたあとで、タイムズ・スクエアのまんなかで交通整理をしている警官に、人殺しをしたと自首した。彼女はウォーホルが、死んでしまったと考えたらしい。それから留置場に入れられてからも後悔した気色は見られなかったが、ウォーホルは、からくも一命を取りとめることができたのである。そして事件発生後たしか五日くらいして、日本の新聞では、ソラナスのことをハンティングをかぶった写真入りで、はじめて報道したのであった。
 というのも彼女が「男を切り刻む協会」 (この頭文字が「スカム」SCUMである)という女だけの団体の親分だという素性がわかり、そのサディズム的な性格に、ニューズ・ヴァリューがあると感じたからにほかならない。ところが彼女は女親分どころか子分にしろ一人もいなかったし、彼女一人だけの協会だったのである。つまり「ブラック・パワー」のアメリカ未来図を、女だてらに実行してみよう。そうすると女だけの国にすることができる。男みたいなバカはいないということを、彼女としては徹底的に書きまくったのが「スカム宣言」だった。
 ソラナスは一年以上もまえから、この原稿を売り込みに歩いていたのだが、どの出版社からも蹴られた。それを事件のあとで、「オリンピア・プレス」という文学的エロ本双書で有名な出版者モーリス・ジロディアスが、同双書・特別版として出したのであった。これが日本には一年ほど入荷しなかった。その問題の本をめくってみると、ジロディアスの前書きとクラスナーの解説がつき、ソラナスの本文は日本訳にすると、百枚くらいの分量のものだが、その内容は痛快だといったくらい、最初から終りまで、男を罵り、やっつけ、男性無用論を展開していく。最初のあたりを、ざっと読んでみることにしよう。

  * * *
 なんという退屈な社会。スリルを求める女性にとっては、政府を顚覆させ、貨幣制度を廃止し、男性を消してしまうほかには退屈のまぎらわしようがない。
 人工受精が可能になった現在では、女性をつくるのに男性の手を借りる必要はなくなった。いまから、そうしなければならない。だいたい男性というのは生物学的にいうと偶然発生だった。つまり不完全な女性が男性なのである。いいかえると男性は出来そこないであり、感動のしかたにしろ中途半端なのだ。
 ひとことでいえば不具者である。そのため完全に自分のことしか考えられず、愛情とか友情とか温かい気持とかで他人の心のなかに入っていくことができない。それで完全に孤立し、誰とも付き合えない存在になってしまった。頭の使いかたが判らなくなり、腹部筋肉にしか反応作用をしめさない気の毒な存在である。肉体的な感じでしか理解できないのだ。
 死にかかったも同様な男性。感受性を失った固まりみたいなもの。快楽とか幸福とかのやりとりが出来なくなった無価値な存在。煎じつめると、こんな退屈なしろものはない。人間と猿との中間期で間違っているといいたいが、じつは猿以下なのだ。憎悪とか嫉妬とか軽蔑とか羞恥とか罪悪とか猜疑とかいった、猿だと感じないようなものに、とりつかれているからである。
 それだけならまだしも、スクリューイング(俗語)することばかりに夢中になっている。汚ない河を泳いだり、溝にはまるのも平気でスクリューできる相手をさがすほかに能がないときている。肉体的なしこりを和らげるためだって?聞いて呆れるよ。マスターベーションしていればいいじゃないか。
 不完全な女にすぎない男性は、完全な女性になろうとして、その一生を棒にふっているんだ。そのため、まわりにいる女たちに接触しようとし、できたら自分たちの虚栄心や気紛れ根性や弱々しい性格を女のなかに放出し、彼女にすがりついて生きていこうとあせってばかりいる。ところが男性にはプシー羨望の本能があるが、女性にはペニス羨望の本能はない。それで男性はホモになって女装し、ペニスを切断してしまわないと、女になったような気がしない。それでうまくいかない者たちが、スクリューイングしようとするのだから、そういった連中は皆殺しにしてやるのが、彼らのためにもいいことだろう。セックスは彼らの手には届かないところにあることを忘れてはいけない。

   * * *
 こんな調子で、しだいに語調が荒くなり、二十二項目にわたる具体的な男性抹殺への誘導となっている。その後のヴァレリーソラナスの消息が絶えたところをみると、刑務所生活をしているのだろう。けれど彼女は「スカム宣言」が一冊の本になったことで満足しているのではないか、という気がしてしようがない。

 付録月報の稲葉明雄の文章にEテレのスゴイ話が

[覚醒剤]に較べると、マリワナやLSDはむしろ良薬といっていいようである。(略)
 LSDの名前をはじめて知ったのは、いまから十数年前、NHK教育テレビの実験的放送のなかでだったと思う。(略)江原順氏のほうが服用したのちどのような効果があらわれるかの文字どおり実験だった。キャンバスが用意してあって、しだいに奔放な絵を描きつづけていた氏が、これまた用意してあったボンゴをやたらな調子でたたきはじめ、放映がとちゅうで尻切れとんぼにおわったと記憶する。

 分量少ないので本題から少し紹介

[フィッツヒュー・ラドローの]マリファナ体験記

(略)違った人間の出す声のひとことずつが、とても間のびがしてくる。なるほどマリファナの作用は一秒を何分間にも引きのばすというけれど、ほんとうだなと思っているうちに、こんどは耳鳴りがしはじめ、なんだか電気オルガンを、やけになって弾いているような、けれどとても荘厳なサウンドが、部屋のなかを顫動させている。
 ぽくは立ちあがって、むこうの友人のところへいこうとした。そうしたら急に部屋がひろがりだし、天井も高くなって、友人のところへ近づいていけない。時間だけではなく、空間も拡大するのだ。

(略)

そこは氷が張った湖水のまんなかで、空はピンク色にかがやき、むこうのほう、湖水ぎわに、まっ白い円柱づくりのギリシャふうな殿堂がたっている。そこへ近づいてみると、外側はガラス張りだけれど一面にダイヤモンドをはめこんだように、エメラルドやサファイアそのほか、あらゆる宝石が色とりどりに目をうばうとしか形容できないほど美しい。真昼の太陽のように輝いている黄金色のは、正面入口を指しているのだろう。近づくと、ひとりでに大きなドアが開いた。

(略)
 『わかったぞ』と、ぼくは叫んだ。『この永遠の繰りかえしの意味が』といって大きな笑い声を立てた。それが円天井にはね返って部屋いっぱいに聞こえる。

(略)

強力な光が射しはじめ、それといっしょに音楽が聞こえてくる。その方向へ歩いていくと、光と音楽は、ますます強く高くなり(略)