ブルース・スプリングスティーン自伝・その3

前回の続き。

契約

プロとしておれにいろいろと力を貸す前に、保護してもらう必要がある、とマイク・アペルから説明された。つまり、契約だ。それまで契約書にサインしたことはなく、契約の“け”の字も知らず、とことんうさんくさいと思っていた。(略)
 弁護士などひとりも知らない。これまでずっとギャラは現金でもらい、所得税は1セントも払わず、アパートメントの賃貸契約もせず、おれを縛る書式にはいっさい記入したことがなかった。クレジットカードも小切手帳も持たず、ポケットでじゃらじゃらしているものしか持っていない。大学を出た友だちもいない。おれのアズベリー・パークは、社会に適応できないブルーカラーの田舎者が住む陸の孤島だった。
(略)
おれはマイクとジミーの会社、〈ローレル・キャニオン・プロダクションズ〉と契約を結び、先方はおれのレコードを制作し、大手レーベルに売る。(略)
ソングライターとして印税の半額をもらうが、出版の収益は1セントももらわない。(略)
問題は、全経費をおれの分で賄うことになっている点だった。
(略)
 つまるところ、おれはどうしてもチャンスをつかみたかったから、マイクが契約書ではなく自分のパンツを提示していたとしても、サインしていた。やりたかった本物の仕事に、あと少しで手が届く。指先が触れているのだ。(略)
[マイクの弁護士に]契約の基本条項を説明してもらったが、けっきょく、おれは「もう知らん」としか言えなかった。どうしても業界にはいりたいのだから、この無意味な紙切れにサインするしかないなら、するまでだ。負け犬になるなら、いくらサインしてもゼロにしかならないし、大成功を収めるなら、誰も気にしない。どうしてもやりたいのだから、付随することがらは勝手にどうにかなる。びくつきながら、ゆっくり、しぶしぶ、投げやりに、契約書一枚一枚にサインしていき、最後の一枚は、ある夜、ニューヨーク・シティの駐車場に駐めた車のボンネットでサインした。終わった。

ジョン・ハモンド

 最初のオーディションは〈アトランティック・レコード〉だった。オフィスに行って、誰かの前で弾いたことしか覚えていない。興味なしといった感じだった。次にマイクがせしめてきたのは、信じられないことに、ジョン・ハモンドのところのオーディションだった。ジョン・ハモンドだ!ディラン、アレサ・フランクリンビリー・ホリデイと契約している伝説のプロデューサー
(略)
ゆったりかまえて両手を頭の後ろにまわし、笑顔で「何か弾いてくれ」と言った。おれは真向かいに座り、「都会で聖者になるのはたいへんだ」をやった。終わると、顔を見あげた。さっきの笑顔がまだそこにあり、こう言うのが聞こえた。「〈コロムビア・レコード〉にぜひ来てもらわないとな」(略)
 ジョンはこうつづけた。「よかったよ。ちがう曲も聴かせてくれ」おれは「成長するってこと」につづき、「イフ・アイ・ワズ・ザ・プリースト」という曲をやった。ジョンは、カトリック的なイメージは気に入ったし、紋切り型の歌詞がないのがいいと感想を述べ、クライヴ・デイヴィスにも聴かせてやらないといけないから、そのつもりでいてほしいと言った。〈コロムビア〉との契約には、成功の事例も失敗の事例もあるし、最近はクライヴの意向がすべてだと。さらに、今夜、ライブでやるところも見せてくれないかと頼んできた。マイクとおれは、何曲かやらせてくれるクラブを探してみると言い、握手してオフィスを出た。
(略)
数週間後には、ジョンにクライヴ・デイヴィスのオフィスに案内され、温かく出迎えられた。そこでも何曲か弾き、おとなしめのファンファーレで、〈コロムビア・レコード〉傘下に加わるよう誘われた。ジョンに52番街のスタジオヘ案内され、彼のプロデュースでデモを作った。当時は50年代スタイルのレコーディング・スタジオ・システムの晩年だった。誰もがスーツとネクタイの恰好で、大人だった。エンジニア、アシスタント、みな熟練の昔かたぎの職人だった。消毒剤のにおいが充満する部屋の真ん中で、十数曲をマイクロフォンの前で歌った。そのほか、ピアノを弾きながら歌った曲も何曲かある。(略)今、当時のデモを聴くと、おれならあの若造にはあんな金をつぎこまないような気がするが、つぎこんでくれたジョンに感謝するしかない。

『アズベリー・パークからの挨拶』

 できあがったものを提出するとクライヴ・デイヴィスが少しあとで突き返し、こう言った。「ヒットはないな。ラジオでかかるようなものはひとつもない」おれはビーチに行き、「夜の精」を書き、家に帰って、押韻辞典を引っぱり出して、「光で目もくらみ」を書いた。この二つがアルバムで一、ニを争うヒット曲になった。

 おれは22歳になっても、酒を飲んだことがなかった……一滴も。(略)親父の姿を見てきたから、もうたくさんだった。酒を飲むと恐ろしい、すべてを巻きこむ存在になっていたから、おれは絶対にその道には踏み出さないと誓った。(略)
 子供のころ、おれは緊張してばかりで、まばたきが自分で止められなくなった。一分間に何百回もまばたきするのだ。学校では“マバタキー”という渾名がついた。夜も昼も両手の拳を吸って、皮膚が茶色く変色し、岩のように硬いビー玉ぐらいのたこができた。だめだ、酒は向いてない。だが、ファースト・アルバムも完成間近で、ロックンロール・ドリームが現実になると思うと、また不安になった。
(略)
[気持ちを察したビッグ・ダニーが言った]
「気分がすぐれないようだな。おまえに何が必要かはわかる。ついてきな」
(略)
[〈オスプレイ〉というバーへ。出演者はシュレルズ]
 ダニーが言った。「すすったり、味わったりしないで、一気に流しこむんだ」おれは言われたとおりにした。たいしたことはない。もう一杯やった。すると、ゆっくり何かがおれを包み、初めてハイになった。もう一杯飲むと、やがてこれまでの短い人生でいちばん素敵な夜を過ごしているような気分になった。いったい何を気にして、不安になっていたのか?ぜんぶいい、びっくりするくらいいい。メスカル酒の天使たちが頭上を旋回し、おれという存在を創っている。それ以外はぜんぶ嘘っぱちだ。ザ・シュレルズが登壇した。体にじかに描いたかのようなぴったりのスパンコールのロングドレスをまとい、歌もすばらしかった。おれも一緒に歌った。孤独のおれは、近くにいる人に誰かれかまわず話しかけるようになった。

青春の叫び(REMASTER)

青春の叫び(REMASTER)

『青春の叫び』

 「ロザリータ」は音楽によるおれの自叙伝だ。「明日なき暴走」の予告篇でもあり、“町を出ていこう”という姿をもっとユーモラスに描いている。十代のころ、ある女の子とつきあっていたのだが、おれの貧しい育ちと(田舎町にしては)不良じみた外見を理由に、うちの娘に近づいたら裁判所に差し止め命令を求めると母親から脅されたことがあった。ブロンドのかわいい娘で、おれがある日の午後、彼女の実家でどうにかこうにか童貞を捨てた相手だったと思う(略)
「ロザリータ」はこちらを仲間はずれにしたり、恥をかかせたり、見下したりする連中と縁を切るために書いた曲だ。
(略)
 『青春の叫び』を制作していたころ、まだ成功は手に入れていなかった。だから自分がどこへ向かっているのか不安になることもなかった。これから成功するのだと希望を抱いていた。少なくとも、世に出るのだ、と。(略)
「ロザリータ」の出だしのように期待に胸をはずませ、バンドに気合いを入れ、怖れも知らずロードに出る。不安に駆られるのはまだ先のことだ。
(略)
 ジョン・ハモンドが〈コロムビア〉を退職した。クライヴ・デイヴィスもいなくなった。(略)
[新たなA&Rの責任者チャールズ・コッペルマンから、このままではリリースできない、と言われ、それを拒否すると、それなら販促しない、君はこのアルバムとともに業界から消えると宣告される。テキサスのラジオ局では、おたくの営業がこのアルバムは流さなくていいと言ってたと知らされる]
[うっぷんが溜まり、ある大学の校内新聞で会社をこきおろすと、新社長アーウィン・シーゲルスタインの息子がそれを目にして、父親に見せた。新社長から会食の招待]
彼は実に誠実な人物で、おれたちが自社にとって価値があると気づき、関係を修復しようとした。
(略)
 このころ、幸先のいいことがほかにもあった。ボストンで、ある男が「ロックンロールの未来を見た」のだが、その未来とは……おれのことだった。[ボニー・レイットの前座で目撃した]ジョン・ランダウが、すっかり興奮して、バンドを存亡の危機から救う絶賛レビューを書いてくれたのだ。
(略)
[その一節は]いつも文脈を無視され、せっかくの繊細さが失われてしまった……だが、今さらどうでもいい。誰かがロックンロールの未来にならなければいけないのなら、それがおれで何が悪い?
 社長との会食とミスター・ジョン・ランダウの“予言”のあと、『青春の叫び』の広告が新聞や一流の音楽雑誌に掲載された。どれもこれも「私はロックンロールの未来を見た」と叫んでいて、おれの写真はなかなか見栄えがよかった。たった一日でこうも変わるものか。レコード会社の支援が戻り、二枚のアルバムの売り上げは上向き、その間おれたちはツアーをつづけ、夜ごとライブを成功させた。そろそろ新しいアルバムを出さなければならなかった。

「明日なき暴走」

[書いたのは]50年代と60年代のロックンロールを集中的に聴いていた時期だ。(略)夜になれば明かりを消し、ロイ・オービソンフィル・スペクター、デュアン・エディの曲を子守歌に眠りについた。(略)
愛、仕事、セックス、娯楽。スペクターとオービソンが描く悲観的なロマンスは、愛そのものを危険と考えるおれ自身の恋愛観に重なり合う気がした。(略)
デュアン・エディからは“おれたちみたいな宿なしは……”のギター・サウンドと、“ババ……ババ”という低音を響かせるトゥワンギーなフレーズを取り入れた。ロイ・オービソンからはオペラ歌手風の朗々とした唱法を取り入れ、限られた音域であこがれのヒーローをまねしようとする若造の歌い方をした。そしてフィル・スペクターからは、世界を揺るがす厚みのある音を作ろうという野心を受け継いだ。この世で最後の一枚のような音がするレコードを作りたかったのだ。最後に聴くような……聴かずにはいられないようなレコードを。輝かしいノイズと……啓示を。エルヴィスからは疾走感を、ディランからはもちろんイメージと、何かを語るだけでなくすべてを語るという着想を受け継いでいる。
(略)
「明日なき暴走」という曲名は、前にどこかで目にした言葉だったと思う。アズベリー・パーク周辺を流す車のボンネットに、シルバーのメタルフレーク塗装で吹きつけられていた文字だったのかもしれないし、60年代前半に夢中になった改造車が登場するB級映画で見かけたのかもしれない。(略)土曜の夜に“サーキット”と化すキングズリー・ストリートとオーシャン・アベニューで、潮風と一酸化炭素の充満した空気中に漂っていたのかもしれない。
(略)
 おれはベトナム戦争時代のアメリカの子であり、暗殺されたケネディ兄弟やキング牧師、マルコムXの子だった。(略)
政治的殺人、経済格差、日常化した人種差別が厳然と、残酷に存在していた。(略)不安が世の中に広がっていた。自分たちに対して抱いていた夢がどこか汚れ、未来は永遠に保証されていない。新たな状況だった。そのハイウェイに登場人物を置くのなら、これらの問題もすべて一緒に車に載せなければならない。それがやるべきことであり、時代の要請だった。

ジョン・ランダウ

マッスル・ショールズやモータウンビートルズの初期の録音からわかるのは、革命的な音楽というのは、リラックスしているが訓練されたスタジオのアプローチから生まれるということだ。それがおれたちの計画であり、おれたちの姿だった。
 ジョンとおれは共犯者めいた音楽ファンとして、何かを探し求める若者として、心を通わせた。ジョンは友人であり、助言者だった。俺の創造性をかきたてる情報や、おれが自分の音楽に取り入れたい真理の探求につながる情報を持っていた。
(略)
心を動かされることについて雑談し、思ったことを友だちとして語り合う。自分の世界を広げ、死ぬまで追いかけたくなることを深夜にしゃべり合うような仲だった。
 おれは最初の二枚のアルバムから離れ、新たな声を模索していた。抒情的なスタイルを削りはじめていた。(略)
[ジョンは]頭の切れるアレンジャーであり、編集者であり、曲の基盤となるベースとドラムスを形づくることに長けていた。演奏が過剰になることを防ぎ、無駄のないサウンドに導いてくれた。おれはいろいろな要素を自由に盛りこむことや、ストリートパーティーのような雰囲気を捨て、直感に訴えるタイトな音作りをしようという気になっていた。
(略)
[ジョンは]いちばん新しい父親役でもあった。おれが親父の代わりを探そうとするのは昔からのことだった。

1975年〈ハマースミス・オデオン〉

おれたちはステージに出ていく。観客の反応は鈍く、ぎこちない雰囲気が漂っている。おれの責任だ。身をゆだねたいという気分に観客を持っていかなければならない。彼らを安心させて、自由に自分を解放してもらう。探しにきたものを見つけ、なりたい自分になってもらう。この夜、おれは演奏中に自分を失ったり、取り戻したりして、それがどうにも心地悪い。心の中では、いくつもの人格がマイクを取り合い、“なにくそ”という気持ちになろうともがいている。頭を低くして、不安だろうとなんだろうとかまわず突っこんでいく、いつものすばらしい境地に達しなければならない。
 気にしすぎているのだとわかっている。考えすぎなのだ……自分の考えていることを。親友のJ・ガイルズ・バンドのフロントマン、ピーター・ウルフにこう言われたことがある。「ステージ上でやってしまういちばん奇妙なことは、自分のしていることを考えることだ」たしかにそうだ。そのいちばん奇妙なことを、おれは今やっている!ある瞬間には、生きるか死ぬかの心境になり、トランプの家のように恐る恐る組み立てた演奏用の“自我”、仮面、見せかけ、夢の自分がばらばらに崩れるように感じられるが、次の瞬間には気分が昂揚し、本来の自分にしっかりと戻り、バンドが作り出す音楽に乗って、観客の頭上高く舞いあがる。
 それらふたつの自己のちがいは、多くの場合、紙一重だ。だからこそ面白い。だからこそ金を払って見にくる観客がいて、ライブと呼ばれる。
(略)
ステージに出ていくと、疑わしそうな観客が集まっている。もうだめだと思う。ハゲタカが旋回し、自分たちの血のにおいがする。彼らは血の味を知っている。
 すると、おれの意志が、バンドの集団意志が、何がなんでもやると決めた誓いの気持ちが戻ってくる。気合いがはいり、この一日を乗りきるぞと思う。
(略)
[ショーも終盤]おれはぐいぐい攻める。攻めすぎたかもしれないが、とにかく終演だ。きつい夜だった。おれは自分の中の葛藤に気を取られすぎたことに落胆する。レコード会社の主催する“祝勝”パーティーに気まずい気分で顔を出したあと、ひとり重い足取りでホテルの部屋に戻り、イギリス人が大胆にもチーズバーガーと称するものを食べる。(略)
 このすべては、『明日なき暴走』ボックスセットにはいっている1975年〈ハマースミス・オデオン〉でのライブ映像で見られるが、すべてがわかるわけではない。一筋縄ではいかなかったが、なかなかすごいステージだった、ということしかわからないだろう。

Eストリート・バンド

 おれはソロのアーティストとして、制作と意思決定の権限を単独で保有したかったが、本物のロックンロール・バンドだけが生み出せる、やんちゃな不良グループのような活気も欲しかった。両方のいいところを取れない理由はないと思って、ソロアーティストとして契約し、つきあいの長い地元の仲間をおれのバンドとして雇った。バックバンドでも、ただのバンドでもなく、おれのバンドとして。
 そこにはちがいがある。特徴のないサイドメンの集まりではなく、それぞれが独自の個性を持つ、主役を張れる演奏者の集団なのだ。ジェイムズ・ブラウンにはメイシオがいたし、ボ・ディドリーには右腕の“ジェローム”のほかに、“ザ・ダッチェス”と“レディ・ボ”(ギターをさげたふたりの女性!)もいた。(略)
ボ・ディドリーはベーシストよりもマラカスを振るジェロームのほうが、自分の世界やサウンドには不可欠だと考えていた。彼のバンドにベーシストはいない。言っておくが、この50年間におれたちが聴いたレコードの99.9%にはベースがはいっている!なのにボはこう言った。「かまうもんか。ベースならおれの右手で事足りる。轟音を立ててギターをかき鴫らすこの手で。でも、うちのジェロームにマスカラを振ってもらわないと始まらない」(略)
おれが望んでいたのも、そういうことだ。(略)
ライブでは、共通するアイデンティティーと、おれの曲の登場人物を象徴するものが必要だった。シェイムズ・ブラウン&フェイマス・フレイムズであり、バディ・ホリー&ザ・クリケッツであり、この“&”が実に重要なのだ。パーティーがつづき、会合がひらかれ、仲間を連れてこいよ!と集会が呼びかけられているということだ。だから、ライブではブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドでいく。このほうが刺激的な響きがするし、これがおれの見たい世界だ。

借金

 『明日なき暴走』の金で買ったものといえば、スタインウェイの小型グランドピアノと、クレーガーのホイールをはかせた60年式の[6000ドルで買った]シボレー・コルヴェットだけだった。(略)あとは請求書の山だった。スタジオ代、機材レンタル代など、マイクが(おれたちが?)バンドの活動のために払わずにいたあちこちの勘定。それに弁護士費用と、追徴課税と、厄介な闘い。国税局のやる気満々な若手あたりが、あの《タイム》と《ニューズウィーク》の表紙を見て、「この男は誰だ?」とても言ったのだろう。答え――生まれてこのかた所得税を1ペニーも払ったことのない男、仲間もあらかたそうだ。バン!………国税局がやってくる。
(略)
 払いきるまでには長いことかかった。『闇に吠える街』ツアーは毎晩、誰かに金を払うために演奏したようなものだ。(略)
おれがようやく借金を返済して金欠状態から脱するのは1982年、すなわちCBSと契約して10年後、数百万枚のレコードが売れたあとだ。

次回から下巻に突入。