橋本治 性のタブー・その2 男色の院政

前回の続き。

性のタブーのない日本 (集英社新書)

性のタブーのない日本 (集英社新書)

  • 作者:橋本 治
  • 発売日: 2015/11/17
  • メディア: 新書

院政の時代は男色の時代

性的主導権の獲得は、人事権の獲得とも重なってしまうのです。院政時代の男色は、そのようにして存在します。(略)
藤原頼長院政時代の男色のあり方を代表する人物の一人です。彼は何人もの男――元服前の未成年なんかではない成人男性と性的関係を持っていますが、彼の欲望を刺激するのは「美しい」というものではありません。人間関係の補強のために、男と性的関係を結んでしまうのです。その典型的な例が、妻の兄との関係です。(略)
人脈と影響力を持っている男の妹と結婚して、でもそれだけでは満足というか、安心が出来なくて、その妻の兄と肉体関係を持ってしまうのです。
(略)
 院政の時代は男色の時代です――というか、男色の時代の始まりとなる時代です。院政の時代はそのまま、武士の時代へとつながっていて、武士の時代は「男の時代」です。

武士道とは自己啓発セミナー

「コピー取るのも死ぬ気でやれ」

[百年平和が続いた時代に武士道について語った『葉隠』]
山本常朝の判断基準は「恥になるか、ならないか」で、「武士道というものはそれを信じさせてくれる強い根拠である」
(略)
「ずーっと、“死ぬんだ、死ぬんだ、それが第一だ”と考えていれば、自己催眠効果で、“死ぬこと”を第一とする武士道が苦しいものではなくなって来る」で、「そのつもりで与えられた仕事に頑張りなさい」ですね。その頃の武士の大半は「事務系公務員」みたいなもんですから、「いつも死ぬ気で向かっていれば、パソコン仕事も立派にこなせる。コピー一枚取るのも死ぬ気になってやれ」というようなもので、「とんだ自己啓発セミナーだ」というよりも、「存在理由をなくしてしまった人間の自己肯定は、こんなにもしつこく極端だ」ということでもありましょうか。

男だらけのオフィスラブ

 恋というのは、思う相手の前に跪くことから始まるようなもので、「武士道」という強引な仮想論理の中にいる人達が、「女に対して跪く」などということが出来るわけはありません。それは「自身の欲望に屈すること」で、恥ずべきことです。男だけの世界の中で、女という特異な生き物の位置付けは「男に従う」で「子供を産む性」です。
(略)
「やりたい」という欲望は存在しえても、崇高な「思慕」というものは存在しえません。
(略)
 『葉隠』の《恋の至極は忍恋と見立申候》というのは、男ばかりの会社で「オフィスラブはよくないとか禁止だというわけではありません。しかし会社に来てオフィスラブばっかりしていたら仕事にはなりません。思われる方だって、一方的に“○○くん好きだ”と迫られて来たら、迷惑にもなるでしょう。同僚を好きになるのは構いませんが、その気持ちは定年までしまっといて、火葬にされる時の煙で、“なるほど、彼は○○くんが好きだったのか”と、バレるならそのようにバレて下さい」と言うようなものです。
(略)
つまりここには、「結婚をするのは当たり前だが、恋はするべきではない」という、よく考えたらとんでもない前提が控えています。

平安女子「トリセツ」

[平安時代の面倒な段取りを導入した]「吉原は格式高くてなんだかめんどくさい」ということにもなるので(略)無許可営業の「岡場所」なる売春施設に行く男はいくらもいます。(略)
 なんで遊廓がそういうことになってしまうのかと言えば、元の平安時代に遡れば分かることで、「女との恋」は、そもそもが「めんどくさい手続き」のいるものだったからです。
 ただ「やれればいい」というものではなくて、「女の子と付き合いたかったら、ジョシの気持ちが分からなくちゃ」と言われ、「ジョシの気持ちってなに?」と聞くと、やたらめんどくさくてどうでもいい「欲望」のようなものが並べ立てられて、「だったらいいや」になっちまうというのは、今でもと言うか、今になってまた改めて、当たり前になって来ています。
 恋愛から結婚へのプロセスは、遠い平安時代に既に完成していて、平和な江戸時代になると、それが「優雅なお作法」として復活し、「上等な女との洗練された恋」を求めると、「三日間、金払って来てからにして下さい」になっちゃうわけですね。おまけに、吉原の遊女には「いやでありんす」という客に対する拒否権も認められていたわけで、その点でも男を拒絶する優雅な平安時代だったのですね。男が岡場所に行っちゃうのも仕方がありません。
(略)
「ジョシの気持ちが分からない人とは逢いたくないわ」で、何晩通ってもだめ。求愛の手紙を贈るにしてもなんらかのサプライズ演出が必要だから、どういう用紙を選んでどういう文句を書いて、どういうプレゼントをそれにくっつけるかということに、男は頭を悩ませなければなりませんでした。そういうことをやって、「俺ってセンスいい……」と思う自己愛の強いそして「ジョシ力の高い」男だけが「ジョシの気持ちが分かる男子」になったんですが、もちろん、そんな男は少数派です。

ジョシは面倒なので男へ

 その点で、男相手だと簡単です。そこら辺に平気でいて、顔は丸見えです。おまけに、「ちょっと付き合わない?」と誘っても、「なに言ってんだ変態!」というような拒絶をされることはまずありません。もちろん、性行為の常として、「やだ」と言って斥けられることはありますが、しかしこの時代に、「男同士の性行為は変態だ」という認識はないのです。
 彼の藤原頼長は、たいした身分でもないのに上皇の寵愛を得ていた男の長男をものにしたがっていました。でも、その相手の藤原隆季は「イエス」と言ってくれません。既に頼長は、隆季の従兄弟である藤原忠雅と関係を持っていて、彼の紹介で隆季と会っていたにもかかわらず、隆季は「イエス」と言わないのです。
 隆季の父の家成というのがまたとんでもない男で、祖父は白河法皇の愛人で、自分は鳥羽上皇の愛人、隆季の他にもいた息子の成親は、頼長と関係を持った後に後白河法皇の愛人となり、娘の一人は忠雅の妻となり、もう一人の娘は、後白河法皇の愛人となって増長した結果平治の乱を巻き起こしてしまう、藤原信頼の妻になっています。
(略)
藤原家成が百年ほど続く院政の時代の中頃の男色の家元のような存在であったのは間違いなかろうと思います。だから、家成よりも身分が上で摂関家の次男である頼長の中には、「あの生意気な野郎の息子をものにして、あいつを懲らしめてやる」という発想もあったのだろうとは思いますが、隆季はそう簡単にものにはならず、頼長は三年ばかり悶々とし続けて、ついに陰陽師の安倍泰親から「思いのかなうお守り」をもらいます。乱暴なくせにプリティな頼長はそのお守りを握ってじっと待っていたのですが、その二ヵ月後には隆季から「逢ってもいいですよ」という手紙が来て、二日後には忠雅の邸で密会をしています。
(略)
[隆季は]関係を持つと、「ねェ、○○くん紹介してェ」みたいなことを言っていて、頼長も「いいよ、いいよ」で知っている男(それが誰かは不明ですが)を紹介して、それがうまく行くと、次は「近衛の中将くらいになりたいんですけど♡♡」というおねだりもしてしまいます。それだけ、頼長に利用価値があると判断したんでしょうが、その時に頼長より七歳下の二十歳の隆季には、妻がちゃんといます。
(略)
 愛があればポストがある――それ以外に出世の目安がない貴族社会で、女の優美さがだんだん遠ざかって行くと、妻子持ちでも男色の相手です。院政の時代というのは、女性を基軸として安定していた秩序が崩れた社会で、だから、なにがなんだか分からなくて、藤原頼長のように、自分より五歳年上の妻の兄とやっちゃう人も出て来るのですね。そこにあったのが「愛」なのかなんなのかは分からなくて、「そういうことがあった結果、お互いの距離が(少なくともその時だけは)縮まった」というようなものでしょう。

夜の尺八

[頼長の日記の]《濫吹》というのは、「やたらと笛を吹く」です。つまりこの夜に頼長は、「やって来た人と話をしていて、やたらと笛を吹きまくった。人に知られぬように」です。なんのことやら分かりません。「濫」は「やたら」の意味で、「吹」はそのまま「吹く」です。これは『韓非子』の中に出て来る言葉で、笛の下手な男が、大勢が笛を吹く中に入ってめちゃくちゃに吹いていて、それが目立たずにいたのに、でも「一人で吹いてみろ」と言われたらやばくなって逃げ出しちゃった、というエピソードの中にあります。「それでなんだ?」と言いたいぐらいわけが分かりませんが、このやって来た「近衛府の誰か」は、藤原忠雅です。既に肉体関係のある忠雅と《人不レ知》(ひとしれず)にやっていたんだとしたら、それはきっと「楽器の演奏」ではないでしょう。
(略)
 漢字教養のある頼長は、『韓非子』にあるこの言葉を知っていて、男同士の性行為を表現する言葉として使ったんでしょうね。
(略)
 日本の近代以前に春画はやたらと存在していたのに対して、「文字によるポルノ」というのはあまり聞きません。なぜかと言えば、そのものずばりのエロシーンは絵で描いてしまえばいいからです。後白河法皇は『小柴垣草子』《しどけなげに、白く、美しき所、また、黒く、にくさげなる所、陽の影に、ほのかに見ゆる》なんていう文章を書きます(略)
「なんか焦点をぼかしてるな」と、これだけを読めば思うかもしれませんが、その文章のそばには、《黒くにくさげなる所》だけじゃなくて、その「黒い所の中の赤い部分」までちゃんと見えるように大きく股を開いた全裸の女の絵が描いてあるわけですから、文章でそこまで突っ込んで描写をする必要はないのです。
(略)
 近代になって「猥褻な表現はいけない」ということになって、「なんとかして文字で表現してやろう」ということから、「彼女の美丘の若草は濡れ、紅い花弁は息を喘がせて男のものを待っていた」というような表現が開発されるわけですが、そうなる前は、そもそも表現自体が不要で、言葉としてあるのは、春画の余白に書かれた、「ああ、ほんとにいい具合だ」「お前さんもちっと腰をつかいねェ」という、マンガで言えば「吹き出し」に当たるようなものばかりです。だから意外なことに、そのものずばりのエロ表現をするのは、漢文になってしまうわけですね。