赤瀬川原平: 現代赤瀬川考

【特別座談会】松田哲夫×南伸坊×山下裕二

山下 同世代の他の前衛芸術家と呼ばれている人に対して、赤瀬川さんはけっこう冷ややかに見ているところがあったと思う。(略)「荒川(修作)は世界的芸術家になりたいだけなんだよ」と、ぼそっと一言だけ言ったのを、すごくよく憶えています。
松田 荒川さんは、高校の同級生ですよね。
南 いまの現代芸術ってその荒川修作のあとをくっついていった人たちがやってるんだろうね。結局、作品が一億円で売れましたみたいな。(略)赤瀬川さんは、自分のやっていることとニューヨークーヘ行くことが関係あるのかどうかについては考えてたと思う。成功する可能性も、なかったわけではないけど、やっているうちに、全然違うところに来ちゃった。

福住治夫(67年『美術手帖』配属、71年に編集長)
 

赤瀬川原平と70年代『美術手帖

 赤瀬川さんとの初対面は、70年4月号の「表現と暴力」[の原稿依頼](略)
阿佐ヶ谷の二階建のアパートに訪ねていきました。「ああ、つげ義春の『李さん一家』の家のイメージそのままだ」と思ったのを覚えています。
 そのときはたしか、寄稿は断わられたと思いますけど、すごく印象に残っているのは、「僕は過激な人間のように思われがちだけど、別に革命とか信奉しているわけではないし、新左翼シンパっていうわけでもない。本もあまり読まないで、ぐじゅぐじゅしているだけなんですよ」とボソボソと言われたことです。
(略)
 それにしても、赤瀬川さんの場合はおもしろいですね。千円札をじっと見ていて、これは不思議なものだな、と。拡大模写してみたり、個展の案内状にくっつけて送りつけてみたりしてあれこれこねくりまわし、警察が妙な興味を示して裁判になり、困ったな、どうしよう、と。そんな過程のなかで「零円札」をつくってみたり。ぶちあたった現実のなかでその都度モチーフを横すべりさせるように転がしていく。(略)
 「零円札」のコンセプトなんて、下手をすれば、というか、うまくいけば、というか、現存貨幣は無効化してしまいかねない。今度は「模造」どころか、国家転覆罪ですよ(笑)。
 アンディ・ウォーホルもドローイングでドル紙幣を描いているけれど、ただそれだけで赤瀬川さん(略)のように貨幣というもののメカニズムまで踏み込むことはしていない。
(略)
――この連載は、第二次千円札事件により中断になりますね。
(略)
川崎市の、『美術手帖』の読者の高校生の、大工だというオヤジさんが、ふとその九月号をのぞいてみると、本物そっくりの千円札が載っている。その裏ページには、ちゃんとその千円札裏面も。張り合わせられるように、ごていねいにキリトリ線まで入っている――いちおう、「このキリトリ線をていねいに切り取ると犯罪につながります。」との注意書きはあるものの。「おお、これは!」と、そのとおりにやったら見つかったということらしいのです。
 この連載部分は別刷りで、小さい印刷屋さんに頼んでいた。で、そこの社長が校正紙を持ってきて「どうです?うまいもんでしょう!本物にヒケをとらない」と鼻高々だったんだけど、結果的に印刷屋さんには悪いことをしました。
(略)
[取調べ中]「俺もようやく国家権力に対峙できるぞ」なんて、ひそかに高揚していましたけど、赤瀬川さんにしてみればかなりキツかったんじゃないかな。要するに、二番煎じ感はまぬかれないわけでしょう。「おい、またかよ」と。だとしたら、これをテコに、次なる展開を見出さなければならない。
 でも、国家の制度や通貨の概念に触れるとして、いわば予防的な論理で動いたとしか見えない前の事件とくらべて、今度はモロに現実とショートしたわけです。(略)「切り取ると犯罪につながります」というあえてした注意書きが、逆に「切り取って下さい」という教唆を強く含むところがパロディの泣きどころであるのはたしか。僕自身もいまだ答を見出せない、むずかしいですね。
 新聞にコメントを求められて、こんなことが現実に起こるとは「思ってもみなかった」と言ったら、さっそくある外国人の女性批評家から電話があって、「もっと毅然と芸術であることを主張しなさい」と怒られましたっけ。
 それにしても、川崎の大工さんがわざわざ雑誌のページから千円札の複写図像を切り取って張り合わせ、薄暗い当時の映画館の窓口に差し出す「三丁目の夕日」的情景を思い描くと、「ああ、これこそ資本主義リアリズムだ」という感慨を禁じえません

赤軍‐PFLP 世界戦争宣言 [DVD]

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足立正生 ──デスマスクが歩き続ける!

千円札裁判の後に零円札を作って、それを千円札と交換するというキャンペーンをやっていて、日本の紙幣を櫻共和国の紙幣に全部奪還するというもので、当時段ボール箱にどんどん日本のお札が溜まっていった。それで、「どれくらい溜まったの?」と聞いたら、「四百万円まで数えたけど、あとは数えてない」と。それで、お酒が飲みたいと言っても「お金がない」と言う。つまり、段ボールの日本円札をお金と認めないわけです。「これはどうするの?」と聞いたら、「燃やすかな、そしたらまた裁判になっちゃうかな」と言っていた。社会を呪いギャグるのが自分の思想行動だと思っているから、絶対にそのお金には手をつけないんだよ。
(略)
――赤瀬川さんは、足立さんと若松孝二さんで撮った『赤軍−PFLP・世界戦争宣言』のポスターをやられていますね。
足立 そう。ポスターを頼みに行ったら、最初はふーんという感じで、それから、鉄砲が描きたかったんだと言っていた。細密画でいくつか銃を描いているのを見せてくれたけど、「そういう絵ではなく、もっと粗く勢いのあるものを描いてほしい」と頼んだ。すると、「ゲリラの写真を見せてほしい」と言われて、パレスチナゲリラやその他のゲリラが銃を振りかざしている姿写真を見せたら、すぐにサッサッと描いてデザインしてくれた。原平さんもそのポスターは気に入っていたみたい。あのポスターで印象的だったのは色です。当時、あんな黄色は見たことがなかった。若松孝二はとくに感動して、いっぺんに黄色が好きになったみたいで、それ以来ずっと黄色の靴下を履いていたよ(笑)。若松の葬式の祭壇には子宮のイメージ風に黄色の菊の花が飾られていたけど、俳優のARATAが「どうして若松さんは黄色にこだわっているんですか」と言うからそのポスターの話をした。

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