ビートルズのここを聴け・その2 ロニー・ジョンソン

前回の続き。

ビートルズのここを聴け―リヴァプールとニューオリンズをむすぶ、新・ビートルズ学

ビートルズのここを聴け―リヴァプールとニューオリンズをむすぶ、新・ビートルズ学

ロニー・ジョンソン

アメリカン・ブラック・ミュージックにおける「田舎性VS.都会性」を、正当に把握しておかないとその音楽/サウンドにおける、ギターVS.ピアノの存在性もまた見え無くなってしまい、「ピアノはジャズもしくはシティ・ブルース、ギターはカントリー・ブルース」という、短絡的かつ無謀な定義へと至り易く成る。
(略)
ロニー・ジョンソンはニューオリンズに生まれ育ち、元々ラグタイムもジャズもBLUESも、あらゆるブラック・ミュージックが溢れた環境の中から、また彼独自の音楽BLUESを編み出した天才ということである。実は、一番得意だったのはギターであろうが、音楽一家に育った披はピアノ、ヴァイオリン、マンドリンバンジョー……、ロバート・ジョンソンと並んでロニーの信奉者であったビッグ・ビル・ブルンジーによれば、「音楽を奏でられるものなら何でも!」プレイ出来たという話であり
(略)
初期の作品集『ステッピン・オン・ザ・ブルース』を一聴すれば分かることだが、その「作曲上のコード進行」にしても、ソロのメロディ・ラインにしても(略)
[ビッグ・ビル、ロバート・ジョンソン]が「敬服し切って当然!」という「新時代(黒人)音楽」である。あの時代において、ロニー・ジョンソンと同じレヴェルに居たのは、やはりフレンチ・クォーターの花形ミュージシャン同士であったであろう、モートンサッチモ、ドッズといった、同様に天才である連中たちぐらいであったに違いない……なーんて具合に不肖筆者が持ち上げてはみても、よりマニアックなブルース専門誌とか記事を目にすると(略)[ブラインド・レモン・ジェファーソン、ブラインド・ウィリー・ジョンソン、]チャーリー・パットン、サン・ハウスという辺りが、「カントリー・ブルースの決定版」的に紹介されている。
 そう、ロニーは明らかに「シティ・ブルース」であって、上記のテキサス、ミシシッピ辺りのディープ・サウスなカントリー・ブルースとは異質だが、前述のようにシティ・ブルースと来れば、例えばピーティ・ウィートストロー、リロイ・カー、ビッグ・メイシオといった、ピアニスト/シンガーを引き合いに出すのが定石であって、「ジャズ・マンとの交流まで在った、シティ派ギタリスト/シンガー」ロニーの、出る幕は無くなってしまうのである……。とりあえず日本では!
(略)
「パットン→ハウス→ロバート・ジョンソン」こそを、「ブルースの3本柱」としようとするタイプのブルース・マニアの方々というのは、「ジャズはジャズ、ブルースはブルースで孤高、唯一無二」と、処女性尊重に近しい、神聖なる存在としてのブルースこそをデッチ上げようとする。(略)
ゆえに、ロバート・ジョンソンの中の“ロニー”の部分、つまり都会性/シティ・ブルース性はバッサリと切り捨て、“スライド・ギター”である上に、「アフリカ!プリミティヴ!!ワイルド!!!」なヴォーカルで、リスナーを「これぞカントリー・ブルース」と納得させ易い、「ミシシッピ出身のパットン&ハウス路線」のみと、直結させる。
 また、なぜスライド・ギターこそが好ましいか、御分かりだろうか?極めて「ヴォーカル的あるいはギターらしい」、と言うよりは多分、「ピアノ的では無い!」というところこそが肝であろう。そう、ロニー・ジョンソンのみならず、フロリダ出身でイースト・コースト及びシカゴで活躍した、「ラグタイム・ギターの名手」ブラインド・ブレイクや、「ミシシッピ出身で、1930〜40年代のシティ派シカゴ・ブルース時代は良いとして、1950年代のフォーク・ブルースがどうも……」、と謂れるビッグ・ビルなど、レギュラー・チューニングでピアノを思わせる程の、複雑な「神技ギター奏法のブルース・マン」が軽視される傾向というのも、正にそこから端を発しているようだ。そして、周知の通りロバート・ジョンソン奏法というのも、ロニーやビッグ・ビルというフィンガー・ピッキングの達人を手本にしたことによって、一聴「ツイン・ギター・コンビネイション? 否トリプル?!」、或いはキース・リチャーズに従うと『ギター・バッハか!?』という程の、神技的複雑さを誇ってはいるが、そこにパットン&ハウス系のスライド・ギターが絡む(つまり、ある面ロニー&ビッグ・ビル以上に複雑!)ことによってこそ、「カントリー・ブルース王者」なのである。
(略)
 確かに1936〜37年のロバート・ジョンソン・ブルースを聴くと、オーブンG系のスライド・ギターで「トニック7th感&ブルー・ノートが強烈」な上に、「ブキウギ・ピアノを引へ継いだグルーヴ」まで加わっているし、「3コードの12小節ブルース」という形式もほぼ完成しており、ある面「カントリー・ブルースの決定版」として、ロニー・ジョンソン、ブラインド・ブレイク、ビッグ・ビルとは違った意味で、「洗練されている」のは間違いない。
 しかし、それより10年以上も前、ニューオーリンズに生まれて、ジャズの名人とさえ渡り合った、ロニー・ジョンソンの「洗練されている」、あの音楽は一体どうなるのだ?!
(略)
ジャズ的進化を遂げていたロニー・ジョンソン・ブルースが、序々に両隣のミシシッピ及びテキサスの、田舎(略)の、黒人音楽に消化されていく内、ようやくロバート・ジョンソン程度に(略)と憶測した方が、自然なのではないだろうか?
(略)
ロニーに影響された30年代の、ビッグ・ビル・ブルースに用いられた表現らしいが、ロニー・ジョンソンの音楽は、正に元祖ハッピー・ブルースなのである。
(略)
ニューオリンズ・ミュージックとしてのロニー・ジョンソン・ブルース」は、ビートルズのメンバーが誰ひとりとして直接的な影響を語っていなくとも、確実に「ニューオリンズ・ミュージック好きのビートルズ」に、リンク的影響は及ぼしているのだ。ましてやロニーの音楽は、サン・ハウスのように 「時代に埋もれた、SPレコード期から掘り起こされた宝石の原石」という感じの類いでは無く、当時十分にヒットし、ロバート・ジョンソンチャーリー・クリスチャン、B.B.キングといった、新時代のギター・ヒーローを刺激し

[ポール談]スタックスのスネア

[メンバーと一緒にスタックスのレコードを聴いていて]
大体ジョージの家だったな――ジョージのスタックスのレコード・コレクションは素晴らしかったからね(!)――そこでスネアの音を聴いて、“ああ、こいつはこれまで聴いた中で最高のスネアだ”なんて思う。で、僕らはそのレコードを(アビイ・ロードの)エンジニアのとこに持って行って、“これを聴いてくれよ、こういうサウンドにしてくれなきゃ”。決してまるっきり同じサウンドにはなりゃしないんだけど、とりあえずサウンドの方向性を提案するわけさ……。)

The Dirty Mac

John Lennon, Eric Clapton, Keith Richards, Mitch Mitchell (Jimi Hendrix Experience)
『ロックンロール・サーカス』での「ザ・ダーティー・マック」

“THE DIRTY MAC”、それは68年11月22日にリリースされたばかりの、ホワイト・アルバムからの「ヤー・ブルース」をピック・アップしているワケであって、ある面「プロモーション目的?!」という取り方も出来なくは無い。が、70年12月『回想するジョン・レノン』の時点においてさえ、まだ彼がそれについて言及しているところから、概ねは『1968年初め、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズから独立した、ピーター・グリーンら“FLEETWOOD MAC”が、50年代オーティス・ラッシュのマイナー・ブルース“オール・ユア・ラヴ”を改作、“ブラック・マジック・ウーマン”――そうサンタナが72年にリバイバル・ヒットさせるアレ――として、イギリスで大ヒットさせた!』件、その辺りを揶揄したとされる「ヤー・ブルース」を、そのテレビ出演時(前記の通りの御蔵入りで終わるワケだが)に披露して、徹底的に“FLEETWOOD MAC”をヤリ込める!ということこそが主目的であった!!と邪推可能なのである。
 しかし、流石に「反骨精神の塊ジョン」、それを何とクラプトン、そしてストーンズのキース、ジミヘンのとこのミッチ・ミッチェルという、十二分に“FLEETWOOD MAC”をビビらせ得る、ブリティッシュR&Bシーンのトップで固めた上、それをキメてしまうのだから……!ちなみに、キース&ミッチはその撮影のための人選だったと思われるが、クラプトンは、その後の“プラスティック・オノ・バンド”――“プラスティック・ソウル・マン”転じてのソレに違いあるまい!――への参加、そして『“レット・イット・ビー”撮影初期における、「ジョージの一時的“脱退”」に際した、“ジョージが戻らぬなら、クラプトンを呼ぼう”』という、ジョン発言からも窺えるように(略)「浪人中のクラプトン」とジョンは、カナリ真剣に「ニュー・バンド結成」を目論んで居たのであった。

ドノヴァン

「オリエント/インド趣味」のみならず、「ディランとも直接交流」、そしてそれまでは、「ダーク・ブラウン・ヘアのMcCARTNEY」(略)として、ある面“ケルティック・ヒーロー”でも在ったであろうポールからすると、ドノヴァンは十分注目に値する後輩であったハズ。実際はジョンの方が、インドでばかりでは無く、何かと可愛がっていたようではあるが――68年5月初め、ドノヴァンは何故か離婚目前のシンシア、そしてジュリアンと共に、ギリシア旅行!――、ドノヴァンの語るところによると、「ジョンには、直接フィンガー・ピッキングを教えてたんだけど、ポールはそれを側で覗き見していた」とか。また、ポール・ファンの御方なら、「サンシャイン・スーパーマン」に続いた(略)「メロウ・イエロー」レコーディングに、「ポールが参加」していることに御気付きだろうが、そのセッションのアレンジャー/ベーシストだった、“ジョン・ポール・ジョーンズ”によると、そのアレンジに対し、他のスタッフは難色を示していたのだが、「ポール様の御賛同」によって、結果採用されたそうだ。
 そう「1968年」、ロンドンではデイヴィ・グレアムに続いた、ヤンシュ&レンボーンがペンタンダルを、カーシーがスティーライ・スパンを、そしてリチャード・トンプソンらがフェアポート・コンヴェンションを……という具合に、「若きフォーキー・ヒーロー/ドノヴァンのスター化」に伴い、アメリカのディランらとはひと味異なる、独自のブリティッシュ・フォークも台頭し始め、その中心人物ドノヴァンのみならず、その彼が「バートのブルース」&「ヤンシュの家」で親密振りを表した、バート・ヤンシュその人も、実はドノヴァンと同じスコットランドグラスゴー出身という辺りから、「何でも一番で居たい!男」ポールゆえ、ケルト香るアコGナンバー「ブラックバード」からの、スタートと成ったのではあるまいか!?さらに、「マザー・ネイチャーズ・サン」!