『僕の音、僕の庭』井上鑑 筒美京平、大瀧詠一

大瀧詠一目当てでチラ読みしたが……そこはなんか……だった。

僕の音、僕の庭 ―鑑式音楽アレンジ論

僕の音、僕の庭 ―鑑式音楽アレンジ論

 

大瀧詠一

[大瀧詠一プロデュースのシリア・ポールのレコーディングに参加して]触れたアメリカンポップスのエッセンスは新鮮な刺激だったのである。(略)
[大瀧詠一ミュージックスクールで教わったこと]
例えば、ビッグバンドジャズの全盛期からロカビリーへの移行期には、スイングしている跳ねたリズム感から、ステディで直線的なエイトビートのリズム感への大きな変化が起きたことは知っていたが、過渡的に不思議なドラムとベースの関係が実在したことなど聞いたこともなかったのだ。
 つまり、古いリズム感から抜け出し切れず、ついあちこちでビートが跳ねてしまうドラマーと、新時代エイトビートのリズム感をしっかり刻んでいるベーシストが同じ曲の録音に参加しているのだ。

筒美京平さんが教えてくれたこと

 仕事を始めた初期には、かなり乱暴なオファーにも出くわしました。当時、ヒットチャートの動向は今以上に影響力がありましたから、編曲家を選ぶのに当たって上位十位以内のスタッフから探すという姿勢が普通にあったのです。ある時など関係者は「鑑」という漢字から年配の人物を想像していたらしく、弟子と勘違いされて「先生はご一緒じゃないのですか?」と言われて驚いたことすらあります。(略)相手への理解無しに「売れるものを頼むよ」では良い打ち合わせが生まれるはずもありません。
「良い打ち合わせ」と「売れるものを頼むよ」というアプローチが矛盾するというわけではありません。むしろ「売れるもの」の影には常に「良い打ち合わせ」があるとさえ言うことができます。
(略)
 京平さんと接点が生まれた経緯そのものが、創造的な打ち合わせの基盤とはどういうものかを表しているかもしれません。研究熱心で知られる京平さんは、洋楽の新作アルバムやシングルを常にチェックしていました。それに加えて国内のチャートの動向、セールス的にビッグではなくても音楽性が注目されるアーティストなどを見逃さずに勉強されていました。
(略)
 まだ初対面に近い時でも、僕の仕事に関して「あの曲のアレンジは良かった」とか「この作品のコンセプトは誰の発案?」というように具体的な指摘や質問が話題に上って驚かされたものです。(略)
京平さんに注目された井上鑑編曲作品の中には、実は「売れて世間に知られた」曲とは言えないものも多かったのです。
 当時京平さんは飯倉片町の奥まったところに外交官向けマンションのような趣の事務所を構えていて、編曲家たちは声がかかるとそこへ打ち合わせに伺うわけです。(略)
 打ち合わせは京平さんのビジョンをデモテープとイメージサンプルによって学ぶ時間、という趣でした。話題の幅も広く、様々なジャンルの新しい流れをキャッチしていることに、いつも感心させられていました。
 レコード会社や事務所の人間たちも、ディベートというよりはマーケティング戦略も含む京平哲学を拝受するような姿勢で、注文を細かくつける人など皆無でした。
 京平さんは音楽的方向付けも明解で「このイントロとこの間奏と、こんな感じのリズムね。はい、じゃあお願い」と具体例で示されるものでした。それらのサンプルは洋楽チャート上昇中の曲であったり、今年はこれだ!という注目ジャンルだったり、京平さんのアンテナにピックアップされ再編集された情報でした。
(略)
 京平さんは何人もの編曲家を使い分けて仕事をしていました。
 極端に言えば「イメージサンプルそのまま」のサウンドを要求する場合もあったと思いますが、僕には向いた役回りではないとすぐに気付かれたのだと思います。
 稲垣潤一作品などニューミュージック的なアプローチの曲でのお付き合いが多かったのはそんな理由からでしょう。
(略)
 京平さんは専業作曲家の時代からトータルで音楽を作るサウンドメーカーヘの転換期に先端を走っていました。仕事のスタイルも、新しい手法を使いこなしている存在でもありました。
 70年代には、まだ編曲用の資料は一般的にごく簡単なものでした。譜面だけを受け取る場合すらあったのですが、京平さんは早くから自らコンピューターでプログラミングしたサンプル音源を作っていました。
(略)
 あれほどたくさんのヒット曲を生み出した筒美京平さんの持つ「売れるものを創り出す能力」とは実際何だったのでしょうか。
 聴き手がある音楽と初めて出会う時(略)あまりに予測通りの流れしか出てこないと人はその曲を「新鮮昧がない」「類型的」と判断しますし、逆に予測から遠く離れていく展開には「馴染めない」「好きなタイプじゃない」とジャッジするのが普通です。
 「新鮮だ」と感じてもらいつつ「馴染みやすい」「好みのタイプだ」と認知してもらうことがヒット曲の条件である、と論理的に整頓した上で京平作品を見直してみるとその緻密さが見えてきます。
 例えば四小節単位のメロディー進行の最後、凡庸な作曲家であれば単なる繰り返しに陥りそうな部分に、一拍の短い休みで次のメロディーラインが前倒しのような感じで入ってくるというような巧妙な仕掛けがあちこちに施されているのです。逆に、聴き手を一呼吸待たせて次に出てくるパートを強調する、という手法もありました。そうした一呼吸置く箇所には印象的なフレーズが鳴ったり、変わった音色が使われたりしていてインサートカットのような効果をもたらす計算がなされているのです。
 メロディーの展開の中に、なるほどこうして人々は曲を覚えていくんだな、と思わせる心理的構成方法がさりげなく配合されています。にもかかわらず、それらのトリックは歌詞が付いて歌われると、何事も無かったかのように自然に流れていきます。日本語のアクセント、多用される単語の組み合わせがどの様なシラブル数になっているか、という点までも意識が及んでいたのだと思います。

佐野元春の曲のストリングスアレンジをやることになり

リハーサルスタジオでツアー・リハーサルをバンドと一緒にやっているところへ僕が出かけていった記憶があります。(略)コード譜と歌詞カードを前に打ち合わせが始まったのです。
 大体の雰囲気を説明しながら聞きましょう、という発言が佐野さんからあり、曲を流しはじめたのですが「ここは未だストリングスは出てこない」「このあたりからこんな感じでストリングスが入ってくる」と作者としての意図を説明してくれながら「フンフン、タララーラーラ」とイメージを歌ってくれているのです。(略)ちょっと止めていいですか、とお願いしてシャープペンシルを取り出させてもらい、先へ進むことにしました。
(略)
 走り書きとはいえ、佐野さん自身の感じている流れの作り方や、リズムの感じ、場所によっては「これはかなり確固たる決定項だな」と思えるフレーズを書き取れたので、数日後それらのメモを参照しながら弦のアレンジをまとめました。
(略)
 ストリングス録音当日、テストテイクが終了すると佐野さんは怪訝そうな面持ちで話しかけてきました。「鑑さん、どうして僕の考えていたことがこんなに全部判ったんですか!?驚きました!」と言われて、全部正確に歌って下さいましたよ、と説明しましたが打ち合わせの時には完全にアーティストモードに入っていたらしく、覚えていないということでした。
(略)
 佐野さんが自分で譜面に書いて渡そうと思えば、すぐに記譜法など身につけてしまうでしょうが、僕の立場からみても精緻に記譜された譜面を渡されるよりも、時には本人のハミングで伝えてもらう方がダイナミクスを含めてイメージの深部まで受け取ることができると感じます。譜面を書けることだけが楽想の正確な伝達能力の高さを表しているのではありません。
(略)
 僕が一緒に仕事をした外国人ミュージシャンたちは一様に優れた記憶力の持ち主でした。特に、全くと言って良いほど譜面の読めないイギリス人アーティスト達が曲を覚えるスピードには驚嘆したものです(略)
 彼らに言わせれば、楽譜の読み書きが苦もなくできる(ように見える)人間は驚嘆の的なのですが、僕から見ればメモも無しに細かく詰めていく彼らの音楽作りの方がはるかに驚異的だったのです。

田中信一のミキシング

あれを上げろと言われてボリュームを上げると、別の楽器の演奏者が自分の音が聞こえないと言い出す、というような状況の中でお手上げになってしまう若手もよく見かけました。
 そんな中、田中さんは一流の対処法を実践していました。
 演奏者たちが「あれが小さい。これが大きい」と言っていると丁寧に「解りました」とは言うのですがいっこうに慌てず、ほとんど最低限の調整しかしません。
 「じゃ、もう一度様子を見ましょう」という雰囲気になってまた演奏が始まるのですが、振り返って微笑みつつ「鑑さん、これが自然にだんだん良い音になっていくんですよ」と特徴のある低い声で言うのです。本当かな、と誰しも最初は思うのですが、何回かのテストテイクのなかで次第にサウンドがまとまり、あれが聞こえない、という声もやがて消えていくのでした。
 これは技巧を凝らしたマジックでも成り行き任せでもありません。(略)テストテイクを数回演奏している内に演奏者は徐々に曲を理解し、把握していきます。その曲の個性となる中心的要素はリズムなのかメロディーなのか、どの程度情熱的なのか、等々を理解していくとともにそれぞれが自分のプレーや音色も吟味を始めます。
 さらに他の演奏者のアプローチも把握してくると「あそこであんな感じの演奏をするのか」という周りの楽器パートヘの理解から「では僕はその箇所をどのように演奏しようか、優しい音色で弾いてみようか」などというリアクションが生まれてくるのです。こうした音楽の中での対話に加えて、言葉による打ち合わせをしながらサウンドの方向性がまとまってくると、自然に演奏の強弱や音色の鋭さや柔らかさも決まってきます。そしてお互いに聞きやすい、バランスの良いアンサンブルになる、という流れなのです。
 例えば「ベースが聞こえない」と言われたときに「ベースのボリュームを上げる」というのは、数限りなくある解決方法の内の一つにしか過ぎません。同じ様な周波数帯域の成分を持つ他の要素とベースの音色とが打ち消しあってしまっているのかもしれません。あるいはメインのボーカルが大きすぎるとか、ドラムの音色との関係かもしれません。もっと電気的な理由でベースの音色が明瞭でなくなっている可能性もあります。極端な場合、演奏者サイドの弾き方の問題で聞こえないという場合も十分有り得るのです。 

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