砂の果実 売野雅勇 80年代歌謡曲黄金時代

EPIC・ソニー

[80年夏、制作ディレクター目黒育郎から、作詞経験のない著者に作詞の依頼]
 EPIC・ソニーは、二年前の1978年に、CBS・ソニーから独立してできたばかりのレーベルで、たしかロック・カンパニーといったようなスローガンというか、キャッチフレーズがついていた。つまらない歌謡曲なんてつくらないぜ、という気持ちが、大袈裟じゃなくて、社員の人たちの歩き方にまで出ていた。すごく素敵な会社にはまちがいなかった。ともかくやることにもスピードと勢いとスマイルがあって、みんながワクワクしているのが伝わってきそうな会社だった。(略)
偉い人からお茶を出してくれる若い女の子まで、みんなそろって品があって、とても居心地がよかった。その分、意地汚い人とか、がつがつした下品な人の居場所がなかった気がする。会社の雰囲気って、そういうものなのじゃないかな。インテリアが特別素晴らしいとか、そういうことじゃなくて、創設者の丸山茂雄さんの人柄がそのまま表現されているみたいな、アメリカの西海岸から風が吹いてくる感じの会社だった。
(略)
 ぼくは、東急エージェンシーインターナショナル(通称、東急インター)という、赤坂の広告会社に、嘱託社員として籍をおいて、EPIC・ソニーから出るすべてのレコードのコピーを書いていた。
(略)
 そのころは、本当に楽しい時代のはじまり、という気配が東京中にあふれていた。「TOKIO」は、その象徴的な歌謡バージョンという感じだった。阿久悠さんという本格的な作詞家から[糸井重里という]コピーライターに変わったキャスティングは、ある種の軽さが求められていたことへの答えだったのだと思う。軽さとは、この場合、お酒落とか、ウキウキするようなホップな感覚ということだ。そういう時代の空気を、みんなが呼吸していた。もちろん、目黒さんも、ぼくも。

[うわー、半端ねえ美人感]

[96年高橋睦郎宅での花見の会にて高橋から、ちょうど読んだばかりの、背の高い、柔らかな雰囲気の小説家を紹介された]
彼女は、居間の隅においてある華奢なデザインの木製の長椅子に、スリッパを脱ぎ長い脚を折り曲げて横座りしていた。
 「『文學界』読みましたよ」と(略)ぼくが言ったら、「本当に?」と、とても驚いた様子で、目を輝かせて微笑った。(略)
 「ぜんぜん、つまらなかったでしょう?」
 「すごく面白かった、お世辞じゃなくて、本当に素敵な小説だった」
 「ありがとう」と、素直な声で彼女は言った。
 「タイトルは、『虹を踏む』だっけ?」と、ぼくが言うと、彼女は困ったような顔をして微笑み、それから、がまんできなくなったみたいに、声をたてて笑った。
 「蛇、なんだけど、『蛇を踏む』」
 小説は、その年の芥川賞を受賞した。川上弘美という名前を新聞で読んで、ぼくは、その長い脚をおおっていたオリーブ色の長いスカートと、清楚な感じのする白いブラウスと、ごく淡いシトラスの香水を思い出した。

大瀧詠一

[仕事とは別に「LA VIE」というインディー男性ファッション誌を作っていた著者。創刊号では高橋幸宏が音楽ページに寄稿。公称、三千から五千部、実売はその半分以下。第三号で大瀧に「夏の日の桃太郎」を寄稿してもらった]
 [福生の大瀧宅]
玄関先に立つと、ドアが開いていた。「ごめんください」と声をかけると、のそりとした感じで、ジーンズに白いタンクトップを着た大瀧さんが出てきた。そして、
 「どうして、オレのこと知ってるの?」と、開ロ一番、表情も変えずに、ぼそっと言った。
 ぼくは、質問に面食らって、答えにつまった。
「大瀧さんは有名ですから、誰でも知ってますよ」と、口ごもりながら答えた。
「もう、みんな、ぼくのことなんて、忘れちゃってるよ」と、大瀧さんはぼそぼそ声で言って、ソファを指差した。
 「まあ、座って」(略)
[大瀧さんは]ふーむ、と唸ったまま、ぼくが持っていった「LA VIE」のページをぱらぱらとめくりはじめた。そして、しばらくしてから、
 「もう、ずっと、人に会ってないなあ」と、またぼそりとした声で言った。「久しふりだな、人と会うのも」
(略)
[帰り際、大瀧は]
「来てくれて、ありがとう。たまに、人に会うのも面白いよ」
(略)
[4年後、大瀧プロデュースのラッツ&スター『SOUL VACATION』にて作詞家として再会]
「ぼくは、あなたが、詞を書き始めたころから、注目していたんだよ」と大瀧さん(略)
「最初は、河合夕子だろ。もう、そのときから知ってるよ。そりゃ、何だって、オレは見てるんだよ。(略)
これから出て来る作詞家のダークホースに、あなたの名前をあげて、みんなにファックスを回したんだ。嘘だと思ったら、聞いてごらん」(略)
メールのない時代で、ナイアガラ一家のファクシミリ通信は、音楽業界ではわりと有名な存在だった。
(略)
[90年代に入り、交流する機会が増え、市川右近スーパー歌舞伎を観た帰りに「どんな女性がタイプ?」と訊かれ、「昔は、真山知子」と答えると]
真山知子でわかったよ。つかめたよ」(略)
「だから、坂本と、ピッタリくるんだな、やっと、わかったよ」
 ちょうど、坂本龍一さんと、ゲイシャガールズや中谷美紀さん、それから坂本さん自身の歌詞を書いていたころだ。
(略)
 「まあ、簡単にひと言でいうと、それ、サイケってことなんだよ(略)おサイケなんだよ、ふたりとも」
 このときの大瀧さんの言葉をよく思い出す。サイケデリックとは、ぶっ飛んでいるといったくらいの意味なのだろうか。

山下達郎

[萬年社在籍時、ロッテCMの音楽制作で目撃]
ムスっと黙ったまま、誰とも口をきかず、ひとり黙々と、多重録音を何度も繰り返す山下さんの生態を、ガラスのこちら側から観察しているような気分だった。(略)
[達郎と会ったのは実は二度目。大学時代FUNKという三人だけの映画クラブをつくり]
中村幸夫くんが、いまから思うとすごいことなんだけれど、シュガー・ベイブに惚れ込んで、彼らのプロモーションフィルムを八ミリカメラで撮影していたのだ。
 そのころには、三人とも大学を卒業していて(略)
 中村くんは、会社の休みのときにシュガー・ベイブを追いかけて、こつこつと彼らの活動をフィルムに収めていた。おそらく、『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』のリチャード・レスターを意識していたのだろう。(略)
1973年11月のある日、どうしても人手が必要だったのだろう、撮影を手伝ってくれと言われて、もうひとりのFUNKのメンバー加藤正志くんとつれだって、埼玉県新座市跡見学園女子大学まで行ったことがある。(略)
 コンサートの最中はもちろん、コンサート終了後も、学園のキャンパスで撮影が続いた。だんだん日が暮れてくる中で、山下達郎さんや大貫妙子さん、村松邦男さんなどメンバーの人たちに馬跳びをさせたり、子供のような遊びをさせたり、かなりはらはらするようなことをやってもらっていた。ぼくと加藤くんは手製のかなり粗末なレフを持たされたまま、中村くんが撮影するのを眺めていた。(略)
 その撮影現場に、彼らのマネージャーだった長門芳郎さんがいたはずだが、挨拶をした記億はまるでない。

ナガトさん

[長門芳郎に「LA VIE」の執筆を依頼したくて、スガヌマ社長に頼んでツテをたどって訪ねると]
「この雑誌で、広告収入ってどれくらいあるの?」(略)
「やっぱり大変だね。軌道に乗るまでは、なんだってそうだよ。ぼくは作曲もやるし、編曲もできるし、詞も書いたりするんだ。ディレクターだってできるしね。なんでもやってみるんだ。最低どれかひとつくらいは、一流になれる気がするからね」(略)
ラヴィン・スプーンフルも、ビーチ・ボーイズもちろん好きだけど、他に書きたいこともあるんだよね、」(略)
「最近、ディスコを研究してるんだよ」
「ディスコですか!?」ぼくはびっくりして言った。(略)
「ダンスものは、ヒットの確率が高いんだよ、ほら、こんなのも、こんなのも、つくっちゃってるのよ」(略)
「はははは、この、デザインも、オレ」(略)
「そう、何から何まで、なんでも、やるんだ」(略)
「ディスコ・ドラキュラ」とか、「ディスコ・モンスター」とか、いわゆる企画ものと呼ばれる、色物レコードだった。歌手の名前も知らなかった。
 もしかして、これって、人違い?
(略)
 ぼくは、人違いだったからといって、原稿の依頼をやめようとは思わなかった。多分、ナガトさんが、話は面白いし、気さくで憎めない性格だったからだと思う。よく考えたら、ちょっと変わってるけれと、かなりチャーミングな男だ。
(略)
 ぼくは、何と言おうか迷ったが、言い繕うのもかっこ悪いので、正直に、パイド・パイパー・ハウスの長門芳郎さんと間違ってました、と謝った。すると、ナガトさんは、「そんなの、気にすることないよ、偶然ってのは意味があるんだよ。きみと、こんなかたちで出逢ったことにも、意味があるんだ。ぼくは、そう信じてるから、電車で、偶然、何度も出逢うやつなんか、絶対、会社に入れてしまうからね。その偶然には、何かある、って考えるタイプなんだよ」
(略)
「また、偶然、どこかで」
名刺には、「ビーイング 長戸大幸」とあった。(略)
[そして一年後]WHYのリードヴォーカル織田哲郎さんと一緒に現れた事務所の社長が、長戸大幸さんだった。

井上大輔

 ペンネームを麻生麗二とした。(略)ブライアン・フェリーのイメージを、漢字に翻訳したつもりの変名だった。(略)
[井上大輔のマネージャーからコンタクトがあり]
「井上が、どうしても『星くずのダンス・ホール』を書いた麻生麗二を探してこいというものですから、がんばって探しました(略)時間がかかったんですよ、麻生さんにたどりつくまで」
「探してくれたんだ」
「ひと月」(略)
「なかなか、誰も、麻生さんのことを教えてくれなくて、困りました」
「それで、どうやって、ここがわかったの?」
「なかには、人のいい人も、口の軽い人もいますから」と言って、彼は悪戯っぽく笑った。(略)
 シャネルズの歌詞を読んで、井上大輔さんが気に入ってくれたことが、何よりもうれしかった。
(略)
[後日井上の事務所を訪問]
オフィス・トゥー・ワンという、かつて放送作家だった作詞家の阿久悠さんと、社長の海老名俊則さんがつくった会社がある。[社長の]斎藤正毅さんはここから独立し、井上大輔さんと一緒にやっているみたいだった。
 「マッドキャップは、阿久さんも株主だし、オフィス・トゥー・ワンの子会社みたいなもんだよ」と、斎藤さんが言った。
 所属している作家は、井上さんの他に、沢田研二さんのヒット曲を何曲も書いた大野克夫さん、NHKの歌番組「ステージ101」出身の惣領泰則さんや芹澤廣明さん、かつて六文銭にいたフォークシンガーの及川恒平さんなどがいた。(略)
作詞家の森雪之丞さんや岡田冨美子さんも、数年前まで在籍していたと最後に言った。
[誘われて、マッドキャップ所属に]

富野由悠季、『機動戦士ガンダムIII

[81年夏、キングでの会議、富野がテーマ、フィロソフィー、込められた想いを説明した後、ひらめいたように井上が「サビだけ詞先で書いてくれる?」]
[音羽スタジオでの録音]
打ち合わせのときとは別人のように、富野さんはとても気さくでおしゃべり好きな人だった。(略)
 「大ちゃんとはね、日芸の同級生なんだよ」(略)
 「卒業してすぐにブルー・コメッツでしょ、あっと言う間に大スターになって、アメリカ行って、エド・サリバン・ショーにも出たしね。ぼくなんか、遥か遠くの方から見上げてましたよ。(略)
やっと、前作のときに、主題歌の相談に行ったんだよ、大ちゃんのところへ。ちゃんとした作品にしたかったからね。彼は、フロントに立つことへの執着がすごくあって、なり振りかまわない、その凄まじさはね、もう尋常じゃなくて感動さえしたねえ。彼はやっぱりスターなんだよ」

「少女A」

[沢田研二のために詞先で『ベニスに死す』に想を得た「ロリータ」を作詞]
避暑地のプールサイドで、中年にさしかかったジュリーが、美少女に恋をして、その美貌に思い焦がれる物語だ。
[だが力不足で中途半端になりボツに]
(略)
「ちょっとHな美新人っ娘」という、キャッチフレーズ(略)Hというところに目がいって、セクシュアルなムードがあってもいいのかもしれないと、勝手に想像した。(略)セクシャルで十六歳。自分の高校のころの、まわりにいた女の子たちを想像した。同時にシノハラヨウコという、十六ではなく、浅黒い肌をした早熟な十四歳の美少女を思い出した。(略)ぼくは、十四歳のシノハラに一度だけ誘惑されたことがあった。そして、恥ずかしいことに、それだけで下着の中に射精してしまった。
 「少女A」、シノハラがそんな記号で、ニュースになる可能性があることを、彼女のあやうさで、ぼくは知っていた。
 タイトルは決まった。(略)
[だが、ストーリーがまるで浮かばず、締め切りが迫り、視点を少女側に変更して「ロリータ」の設定を使うことに。歌入れ直前、一部手直しを求められる]
不良っぽ過ぎるという理由だった。関係者がビビリ出したのが、手に取るようにわかった。明菜さんの誕生日が過ぎるので[十七歳に変更](略)「少女A」の後についていた「(16)」という表記を、タイトルから削らせてほしいとも言われた。
(略)
 後年、中森明菜の当時のマネージャー、研音の角津徳五郎さんが教えてくれたのだが、その日偶然早起きしちゃって、偶然ワーナー・パイオニアの制作部に、何の用事もないのに立ち寄る気になり、島田雄三さんの机の上の「少女A」とタイトルが太いマジックで書かれたぼくの原稿を、偶然見つけたそうだ。タイトルに衝撃を受けて、島田さんを呼び出し、オケを聴かせろということになり、オケも最高だったので、「これが売れなくて、何が売れるんだ!」と、ほぼ決まりかけていた来生姉弟の「あなたのポートレート」という楽曲をひっくり返して、「少女A」をセカンド・シングルに決めたらしい。
 しかし、中森明菜が歌いたがらず、角津さんは、
 「じゃ、レコーディングで一回歌うだけでいいよ、あとは歌わなくていいから」とむりやり説得し[録音](略)
「そのふてくされた感じが、歌にぴったりだったんだね」

「夏のクラクション」「涙のリクエスト

[最初に伊藤銀次にこのタイトルで書いたがボツ]
木崎賢治さんが、
「ぼくは、このタイトルが好きだよ。今度、デビューする新人の曲に使わせてくれないかな?吉川晃司って男の子なんだ」と言ってくれた。
[だが筒美京平から詞先で依頼された稲垣潤一の締め切りに追われ、使ってしまう。『アメリカン・グラフィティ』のラストシーンからストーリーを浮かべ]
白いクーペ、まぼろしの天使のシンボルとしての女性、無垢なる夏の終わり。遠ざかるクラクションの響きが、ガラス窓に遮られて聴こえない世界の始まり。(略)
 京平先生が、「何て音楽的な詞なんだ!って思った。音楽が聴こえてくるから、そのままメロディを書けばよかった。(略)」とほめてくださった。
(略)
[翌日、チェッカーズの詞に着手]
 萩原さんとの打ち合わせで、グループのテーマは、「80年代のオールディーズ、サウンドはポリス」と聞かされていた。だから、ひとつ目の詞は、四日前に書いた「テレヴィジョン・ベイビーズ」という、バグルスとかブロンディみたいなニューウェイヴの雰囲気を出そうとした詞だった。
 でも、もともとドゥワップのバンドだから、似合わない可能性も考え、「涙の〜」とか「恋しき〜」とか、六十年代風のロカビリーの匂いのするタイトルで書こうと思っていた。
 それで、当然、ふたたび『アメリカン・グラフィティ』を思い出した。[少年がDJにリクエストする設定を使い、「涙のリクエスト」を書く]
(略)
[「ギザギザ〜」は不発]
[83年11月]チェッカーズ担当の制作ディレクター、吉田就彦さんの結婚式の披露宴の会場で、チェッカーズのメンバーたちに会った。元気がなさそうに見えた。キャニオンが新人にしては破格の予算を掛けて売り出しているというのに、チャートがあがらないので、不安になるのも無理はなかった。(略)
 「デビューしたのはいいんですけど、これから、どうなっちゃうんでしょうね?」と、享くんがため息まじりに言った。
「三曲録ってあるんだから、悲観しなくてもいいんじゃない」(略)
「次のシングルは、売れるんでしょうか?」と、政治くんが不安そうな目付きをして訊いた。「オレたち、売れないと、久留米に帰らなくちゃならないんです。働かなくちゃいけないし、ぼくんちは八百屋だから、八百屋にならなきゃなんです」
(略)
チェッカーズが売れるのだったら、オレは『涙のリクエスト』だと思うよ」と、ぼく。
[ビートルズも売れたのはセカンド・シングルだよ。明菜もそうだしと励ます]
ビートルズだと話がデカ過ぎますけど、中森明菜だと、説得力ありますね」[と亨]
(略)
余談になるけれど、『涙のリクエスト』でブレイクしたチェッカーズを、いちばん冷静に、分析的に、そして貪欲に、観察していたのは(略)ビーイング長戸大幸さんではないかと思う。
 『ザ・ベストテン』で一位になると同時くらいに、電話がかかってきて、「チェッカーズについて取材させてくれ」と頼まれた。約束の時間に指定されたキャピトル東急の部屋を訪ねると、取材記者の女性と長戸さんがいた。窓辺の椅子に座るように言われた。正面にビデオカメラが三脚にセットされていた。(略)「記録用に撮らせてもらうだけで、他には使わないから、ご心配なく」と言われた。
 女性と長戸さんが、交互に質問して「涙のリクエスト」誕生までのプロセスを、歌詞の発想から歌詞の完成までに分けて、細かに質問された。精神分析でもされているような気分だった。
 曲については、ほとんど問われることはなかった。ひとつだけ、「あれは、『ポエトリー』[ジョニー・ティロットソンのヒット曲]だよね」と、長戸さんに言われた。
[『ポエトリー』の日本の担当ディレクターは社員時代の筒美京平、そして筒美の企画した「涙くんさよなら」が大ヒット](略)
 いまから振り返ってみると、長戸さんは、必死で第二の、第三のチェッカーズを作ろうと、研究を続けていたのではないかと思う。(略)
[帰り際]長戸さんが、
 「どうして、『涙のリクエスト』はヒットしたと思う?」と訊いた。
 「詞と曲と歌い手が三位一体になっているからじゃないかな?」と、答えると、長戸さんはニヤリとして、ワープロ打ちされた歌詞カードを広げ、歌詞の一行を指差した。
「ここだよ!」[それは「夜中の街を〜」という一行]
 長戸大幸さんの自信に満ちた声が、部屋に響いた。
「この一行に、しびれたんだよ。日本全国の小中高の女の子たちが」
(略)
「ぼくは、誰よりも、この歌を知っているんだよ。作者よりもね」と、長戸さんが言った。
ちょっと迫力のある声だった。

矢沢永吉

[作詞家になって以来、ずっと依頼を待っていたが、声はかからず。ついに方針を変え、ディレクターの桃井良直に売り込みに行くと、ツア中ーの矢沢にその気持を伝えるので手紙を書いてくれと言われる。書き終えると24枚になっていた。矢沢からライヴを観てくれと伝言があり、小倉へ。楽屋を訪ねると]
矢沢さんは、
「今日は、ぼくは、売野さんのために歌いますから」と言った。
(略)
[会場に向かう途中]
「ね、売野さん、最高でしょ?」(略)桃井さんが興奮した口振りで早口になって言った。「あんな人、どこにもいないでしょ?カッコいいでしょ、カッコいい男なんですよ。ね、ね、売野さん、ハート、ガシッ!とつかまれたでしょ!?
(略)
 何度もデモテープを聴いて、サビの頭のフレーズは「Somebody's Night」以外にないと確信した。誰かの夜。これが何を意味するか。それが、この歌詞の生命線だ。ぼくは、それを考えることだけに集中した。言葉の中に発見されるのを待ちながら、物語が、息を潜めている気配がした。矢沢さんの声と息づかいの間からそれが漂っていた。(略)
 最初の二日間は、メロディを身体に染み込ませるように繰り返し聴き、こころを横切っていく言葉を原稿用紙にメモしながら、Somebody's Nightというひと言が象徴する意味を、謎を解くみたいに追いかけることに費やした。
 物語の主人公は自分でありながら、他人の夜を過ごす。それだけでもサスペンス映画のようで、きらきらと魅惑の光線をぼくに送ってくる。
 あ、「偽名」 か……。
(略)カチリと錠が外れる音がして、開いたドアの向こうに、まだ誰も知らない世界がきらきらと甘い香りのする光線を放っているのが見えた。そんな感じだった。
偽名のサインが〜(略)
この一行が、決定的だった。
(略)
[はじめて買った邦楽シングルが「時間よとまれ」。キーボード坂本龍一、ドラム高橋幸宏]
「矢沢さんって、幸宏さんから見るとどういうミュージシャンなんですか」と質問をした。
「あの人はすごいよ(略)ミュージシャンが全員、あの人と演ると乗りが変わっちゃうんだよ。すごい乗せ方なんだ、ともかく、音楽が変わっちゃうんだから」

坂本龍一「美貌の青空」

詞を書いている途中から、その内容やムードに金子國義さんの絵との親和性を見つけてしまい、金子画伯の「美貌の青空」というタイトル以外に考えられなくなってしまった(略)
[事後承諾にして「美貌の青空」というタイトルで坂本龍一に送る]
「タイトルおよび、使われている言葉、すべて気に入っています。このタイトルと、それから、現在書かれている言葉を変えないで、別の歌詞を作ってください」といった内容だった。
 それが可能だと思っているところに、ぼくは感動した。(略)
自分がその原稿の下絵に、ホモセクシュアルな匂いを入れていることを思い出した。
 その匂いを、本能的に感じとって、全部好きなのに、どこかが嫌いという結果になったのではないか、と思い当たった。あるいは、それがホモセクシュアルな歌詞だと直感したか。どちらかだった。
 どちらにしても、坂本さんの直感の精確さと強烈な本能に、ぼくは感動させられていた。
 ぼくは、同じタイトルで、同じ言葉を使って、別の物語を書いた。(略)
 トラック・ダウンが済んだ「美貌の青空」をカセットに入れて、毎日クルマで聴いていた。イントロからデモニッシュでエロチックな世界が目の前に出現するスリルにぼくは酔った。何てすごい楽曲なのだろうと、果てしなくため息が出る想いがした。当然、クルマに乗ってくる友人たちは、それを聴かされた。
 音楽に携わっている人たちは、一様に感嘆の声をあげた。特に面白い反応をしたのは、荻野目洋子さんで、クルマの後部座席から身を乗り出して、
 「売野さん、これ、どうしちゃったの!?誰?誰?誰なの?」と、デモニッシュなムードに感化されたように、突如騒ぎだしたりした。
(略)
[発売後]雑誌で鈴木慶一さんが(略)この歌詞は、90年代で最高の作品と早くも断言できる」といったことを書いてくださった。
(略)
[後日、金子に拝借を報告すると「そのタイトルなら、ぼくも、使ったことがあるわよ」という謎の回答。数ヶ月後、坂本に会うと、NYの書店で見つけて買ったよ、土方巽でしょ、と言われ、びっくり]

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大友柳太朗

[「LA VIE」の撮影で]お迎えにあがったときは、駐車の仕方でマンションの管理人に理不尽な𠮟られ方をした。ワーゲンに乗り込んだ大友さんは、一部始終をインターフォンで聴いていたようで、「あの管理人は、草深き北海道の片田舎から出て来たばかりの者ですので、どうぞお許しください」と、両手を腿の上に置き、まっすぐ前を向いたまま深々と頭を下げた。

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