『正戦と内戦』シュミットの国際秩序思想

「あらゆる人道主義の背後には、誰が人間であるかは私が決める、という要求がある」

 第二次大戦でドイツが再度敗北し、ニュルンベルク裁判で新たな種類の戦争犯罪が裁かれることになったとき、シュミットの普遍主義批判はさらに先鋭的となる。とりわけ彼が矛先を向けるのは、二つの新たな戦争犯罪概念、つまり、「攻撃戦争」(「平和に対する罪」)と「人道に対する罪」である。これらはまさに、「無差別戦争観」から「差別化する戦争概念」(正戦論)への転換の徴候にほかならないからである。彼が両大戦間期から一貫して問題にしてきたのは、主権国家中心的な国際法のもとでは法的に同権の「敵」であった交戦相手が、国際法の普遍主義的法制化によって「犯罪者」へ変化するという過程であった。これは、戦争の「枠付け」を消失させ、道徳的観点のもとで犯罪化された交戦相手への殲滅戦争をひき起こすとされる。そして、彼はすでに1920年代には、このように「敵から人間という性質が剥奪され、それによって戦争がとりわけ非人間的なものとなる」危険を回避するため、「人類」のような道徳的意味をもった普遍概念は、政治的なもののカテゴリーから厳格に切り離されるべきことを主張していた。そうして、第二次大戦直後の時期に書き記された『注釈集』では、法概念としての「人道に対する罪」への批判が繰り返し現れることになる。「「人道に対する罪」とは何か。愛に対する罪などあるのか。殺人は犯罪であり、強姦や小児誘拐などもそうである。こうした構成要件すべてを差し引いてなお、純枠な非人道性という犯罪として何が残るというのか」。シュミットにすれば、この戦争犯罪概念はドイツの道徳的差別化に利用されているにすぎないのである。「人道に対する罪と、人道のための罪が存在する。人道に対する罪はドイツによって犯される。人道のための罪はドイツに対して犯される」。
 政治と道徳の混同に対するシュミットの批判は、論証戦略上二重の意味をもっている。一方で彼が示そうとするのは、「人類」のような普遍概念が混入されることで道徳によって汚染された政治抗争は、敵を「たんに撃退されるだけではなく、最終的に殲滅されるべき……非人間的怪物」として道徳的に断罪するような「特に強度な非人間的戦争」に至るということである(政治の道徳化)。他方で彼は、「人類」は抽象的な普遍概念にすぎず、それ自体では何ら政治対立の担い手たりえないのだから、それはつねに或る党派の「帝国主義的拡張のとりわけ有用なイデオロギー的道具」として機能していると主張する(道徳の政治化)。それゆえシュミットは、イデオロギー批判の意図をもって、「人類を口にする者は欺こうとしている」というプルードン的な警句を好んで言及するのである。「あらゆる人道主義の背後には、誰が人間であるかは私が決める、という要求がある」というわけである。

ハンス・J・モーゲンソー

実際、両者の思想には多くの共通する要素がある。とりわけ顕著なのは、国際政治のうちに普遍的な道徳的要求を持ち込むことへの拒否である。モーゲンソーの歴史診断は、シュミットのそれと極めて類似している。すなわち、国際関係の相対的な安定性を確保してきた主権国家中心的なウェストファリア体制の「バランス・オブ・パワー」は、20世紀に入って、政治を道徳主義的に汚染する米ソの外交によって解体の危険に晒されている、と。
 モーゲンソーの場合、こうした診断は、一つの外交実践上の意味をもっていた。つまり、冷戦期のアメリカに身を置いていた彼が尽力したのは、アメリカが陥りがちな「道徳的十字軍」が、ソ連とのあいだで普遍主義的イデオロギーを掲げあう妥協不可能な対立にエスカレートするのを阻止するため、「国益」のみを「一つの指針、一つの思考基準、一つの行動規則」とする外交政策を提起することであった。したがって彼の政治的現実主義は、国益を超える普遍的目的の追求は放棄する。国際関係を統御するのは、道徳的あるいは法的な普遍性への要求ではなく、諸国家が力と利益を相互に考量することで作り出される安定化の力学にほかならないのである。しかしながら、政治の道徳化への批判では一致していても、シュミットがモーゲンソーのこうした「国益中心主義」をも共有していたのかは検討の余地がある。

理念政治的なアスペクト

 シュミットの政治思想は、決して単純な「現実主義者」には還元できない。彼にとっては、国際政治のみならず、そもそも一般にいかなる政治においても、単なる事実的な力関係以上のものが作用しているという点こそが決定的なのである。ゆえにシュミットは、権力政治の立場を断固として退ける。「どんな政治体制も、権カ主張の単なる技術だけでは、一世代たりとも存続することはできない。政治的なものには理念が含まれている」。つまり、シュミットを特徴付けているのは、その理念政治的なアスペクトである。彼にとって人間の政治的実存を決定的に規定しているのは、何よりも言葉や語彙、とりわけ法概念といった観念的な契機にほかならず、それゆえ、その政治闘争はまさに言説闘争の性格を帯びることになる。

シュミットに大きな衝撃を与えたルール占領

1923年1月、ドイツによる戦争賠償支払いの遅延をヴェルサイユ条約への違反ととらえたフランスおよびベルギーは、それを口実として、工業地帯のルール地方を含むラインラントに軍を進駐させる。国際条約の違反に対する法執行という名目で行なわれたこの占領は、シュミットに、友敵の区別というあまりにも有名な政治的決断の定式を思いつくきっかけをりえたと同時に、単なるむき出しの力の衝突ではない、理念の抗争としての政治を確認させることになる。その実力行為は、ヴェルサイユジュネーヴ体制の国際法概念によって理念的に根拠づけられたものだったからである。したがって、敵が依拠している理念的基礎もしくは法概念を批判することこそが、政治抗争においては決定的に重要となる。

法学的フィクションの道具化

 法概念はフィクションであり、そのときそれは一定の政治利用の可能性を免れることはできない。このようにフィクションとして作り出される法状態について、シュミットは1921年の『独裁』の萌芽となった初期論文『独裁と戒厳状態』のなかで扱っていた。(略)彼は国家の危機というものがそれ自体虚構された構成物でもありうるということを、戒厳状態についての観念がフランス革命以降に辿った歴史を検討しつつ論じている。戒厳状態は、19世紀を経過するなかでその性格を変容させていったというのである。すなわち、外敵との闘争が問題である戒厳状態から、内敵の鎮圧に利用されるそれへの移行である。
(略)
1793年の革命戦争においては、実際に外国勢力から国土を防衛する必要に迫られていたのだが、1830年および48年の革命状況において問題となったのは、むしろ国内における蜂起と騒乱だったのである。ここには、「事実として」現存していた戒厳状態から、「宣言される」ことでフィクションとして作り出される戒厳状態への転換が見られる。いわば、フィクションとしての戒厳状態は、「政府が反対者と闘争するさいの内政的な道具」にほかならないのだ。
(略)
 法学的フィクションのこのような政治利用に目を向けるとき、シュミットが決定的な重要性を見ているのは、いわゆる権限問題である。すなわち、「誰が決定するのか」ということである。(略)
裁判官の司法決断は法規範の内容から相対的に自立していることを主張した『法律と判決』以来、シュミットは一貫して、誰が法を措定・解釈・適用するのかという権限問題に関心を集中し続ける。
(略)
重要なのは、実定的な法条規そのものよりも、そのつどの具体的な個別事例においてその条規の内容がいかに解釈されるべきかを誰が決定するのかという問題にほかならない。
(略)
法理念は自分で自分自身を変形することができないということは、誰がそれを適用すべきかについて、法理念が何も述べていないということからして、すでに明白である。すべての変形には権威ノ介入がある。
主権者とは、規範が現実化するために必要な〈誰か〉にほかならない。具体的現実のなかでそのつど法を定義し、解釈し、適用することのできる者こそが、主権を掌握している者と言えるのだ。
(略)
 例えば、国際連盟規約のうちに国家の独立や主権の保障が謳われていたとしても、そもそも「保障されている事例が存在しているかどうか、政治的独立や主権の自由な行使が侵害または脅かされているかを、誰が決定するのか」。あるいはまた、攻撃からの保護が保障されているとしても、「何が攻撃なのかを厳密に定義する」ことなしには、「列強自身が、自分たちの軍事行動が攻撃なのか防衛なのかを決定する」ことが起こりうるだろう。そしてさらに、例えば、平和の攪乱からの保護が規定されているとしても、「平和の攪乱」という一般的な規定を引き合いに出すだけでは、何を保障したことにもならない。「問われるべきなのは、具体的に平和とは何かについて、あるいは具体的に何が平和の攪乱もしくは危険をなし、いかなる具体的手段によって、脅かされている平和が守られ、攪乱された平和が再建されるのかについて、誰が決定するのか、ということである。つねに同じ問いが残り続けるのである。すなわち、誰が命じるのかという」。
(略)
シュミットの見るところ、ドイツはそうした法的規定の具体的内容について決定する権限を奪われていることによって、同時に自らの主権を奪われ、列強の支配に屈している。
(略)
『政治神学』によれば、「正常」とみなされる状態を法秩序としてうち立てる者が主権者である。ヴェルサイユジュネーヴ体制下では、国際法的に正統とされる状態を作り出しているのは戦勝国の列強であり、よって主権の所在は彼らにある。(略)シュミットの関心は、第一次大戦後における国際法上の正常性を作り出しているのは誰かを暴き出すイデオロギー批判へ繋がっていったのである。
(略)
それは決してむき出しの権力政治ではなく、法規範の内容の解釈権を事実上掌握することで行使される支配なのである。しかしながら、実のところシュミットは、こうした支配実践を単に批判するだけではない。むしろ、法の内容を具体的事態に合わせて柔軟に解釈しながら貫徹されるこの権力主張は、一つの偉大さの表現ともみなされているのだ。
(略)
アメリカ帝国主義についての1932年の論文でシュミットは、このように法の柔軟な解釈と運用を通じて支配を行使する現代帝国主義に対して、称讃にも似た評価を下している。(略)モンロー宣言を用いたアメリカ帝国主義の支配実践に対し(略)
「ある大民族が他の諸民族の言語様式、さらには思考様式さえ支配し、語彙、術語、概念を自ら定めるような場合にこそ、真の政治的権力が表現されている。
(略)
言語を支配する者こそが政治的支配を獲得するのである。(略)シュミットにとって、政治抗争は単なる権力政治ではなく、言説の領野を主戦場とする理念政治的な性格を帯びることになる。

次回につづく。