海賊と資本主義

海賊とは

資本主義が技術の向上によって新たな領域(大洋、空、電波、遺伝子分野など)に進出するとき、海賊は新たな形で登場してくるのだ。(略)
いつの世も、海賊たちは、国家権力が規格化[訳注:ノーマライゼーション、正常化、統一規格の普及による管理化]を進めている途中の新天地に、組織の力をもって侵入する。彼らは国家権力の及ばぬ場所に活動拠点をもち、そこから攻撃をしかけてくるのだ。

海賊と私掠船

 古代ギリシャローマ帝国の歴史を見ても、「都市国家や帝国のために略奪を行う盗賊」を指す言葉は見つからない。海賊とコルセア[訳注:私掠許可状という襲撃許可証を得た、いわば国家公認の海賊]を区別する言葉は存在しなかったのである。だが、当時、「被った損害と同等のものを奪い返す」という報復的な略奪行為は、自力救済として法的に認められていた。また、そのために報酬を払って船乗りを雇う者もいた。こうした復讐的な略奪行為があまりにも多かったため、王や皇帝が、地域を限定して復讐を制限し、いわばある種の安全地帯を設けるための協定に署名したこともある。だが、海賊とコルセアの区別が明確になったのは、あくまでも近代に入って主権国家体制が誕生し、どこの国家にも属さない新大陸が発見された時期からである。だが、この二つの違い、使い分けについてはあまり知られておらず、誤解も多い。
(略)
[1603年]ポルトガル船舶のサンタ・カタリナ号が、マラッカ海峡でオランダ船ヘームスケルク号に拿捕された。北極遠征から帰還し、オランダの英雄となったヘームスケルク号は、当時、東インド貿易会社の輸送船となっていた。
(略)
[ヘームスケルク号]にしてみれば、つい最近、「香辛料の道」を航海時にポルトガル船に奪われた積み荷を「取り返した」つもりだった。もちろん、ポルトガル、およびその同盟国であるスペインは、この攻撃の正当性を認めようとはしなかった。スペイン側、そして、当時のカソリック勢力の側からすれば、ヘームスケルク号こそ、スペインが開拓し、占有権を主張している海路を勝手に横行し、利益を奪う「海賊船」だったのである。だが、ヘームスケルク号の行為は、国益のために当然のことをしたまでであり、海上の秩序を乱すものではない、とネーデルラント側は主張する。ポルトガル側につくか、ネーデルラント側につくか、周辺国はどちらを選ぶこともできたはずだ。とはいえ、各国がどのように判断を下したかと言えば、主張の正当性そのものよりも、どちらに味方したほうが「得になるか」が優先されたのである。
(略)
[スペインは占有権を主張する]海域を通航するすべての船舶、自国船以外のすべての船舶を「海賊船」と呼んでいた。つまり、アメリカ大陸進出を目指し、スペインの利益独占を阻もうとしていたイギリス船、フランス船は、すべて海賊だったことになる。さて、ここで問題になるのが法的な解釈だ。海賊か否かの判断基準となるような協定、条約は存在していたのだろうか。当時、国際法はまだ本当の意味での効力を確立していなかった。何しろ、批准国それぞれが、国家のあり方を模索している段階にあったのだ。(略)
 国家君主にとっては、自分の定めたルールを守らないのが海賊だった。(略)
もちろん、スペイン、ポルトガルの側の船も、他国の視点から見れば「海賊船」となる。
(略)
海賊とコルセアの違いは、主観的な判断しかない。つまり、当事者の立場次第ということだ。
(略)
ベルモント総督は長年にわたり、キャプテン・キッドの船に出資し、彼がフランス船を襲うのを助けていた。だが、彼は手のひらを返すように、1699年には、キッドをイギリスに引き渡すのだ。こうしてキッドは名ばかりの裁判にかけられ、「海賊行為」の罪で絞首刑となった。(略)私掠許可状は、所詮、国家の発行する建前上の書類でしかなく、私掠船と名を変えることで海賊を合法化しようとしただけのことなのだ。
(略)
 現代においても、一つの視点から見ただけですべてを理解することは難しい。(略)
[2001年の中国紅客連盟による米国への大規模なサイバー攻撃]
欧米諸国はこれを「海賊行為」とみなした。紅客という呼び名は、中国語で「ハッカー」を意味する「黒客」から来ている。「黒客」は、黒旗を揚げた海賊船を思わせる。ハッカーは、まさに現代の海賊なのだ。一方、「紅客」は、共産党を象徴する赤と結びつき、政府と親密な関係にある愛国的ハッカーを指す造語である。つまり、中国側から見る限り、紅客連盟は現代の海賊ではなく、政府のお墨付きを得た、いわば現代の私掠船なのだ。もちろん、実際に私掠許可状が存在するわけはなく、政府に擁護されているという象徴的な意味での私掠船である。
(略)
紅客連盟もまた、キッド同様、やがて政府の後ろ盾を失ってしまう(略)[国際世論の強い非難]を受け、中国は、紅客連盟によるサイバー攻撃を「許されざる犯罪行為」であると公式に認めたのである。この声明以降、一万人を超える紅客は表舞台から姿を消した。だが、あくまでも表面上のことである。実際、中国政府が突如、態度を変えたことで、国際世論は沈静化した。これもまた、イギリスがキッドを絞首刑にすることで、体面を繕ったのと同じことである。
(略)
 海賊の多くは、かつて商船や私掠船の船員だった経験をもつ。その両方だったものもいた。海賊と私掠船の区別がはっきりしない理由の一つは、同じ人物が海賊から私掠船の船長になったり、私掠船の船員から海賊になったりしているという事情もあったのだ。フランシス・ドレークは海賊として遠征を繰り返したのち、イギリスの私掠許可状を得て、私掠船の船長になった。その後、再び海賊に戻り、1580年にイギリス女王からナイトの称号を受けてからは、生涯、女王のために私掠行為を続けることを神に誓った。(略)[ウィリアム・ダンピアも]最初の頃は、海賊になったり、私掠船に乗ったりを繰り返していた。イギリス海軍にいたときから、繰り返しオランダ船を攻撃、最後はジャマイカを本拠地とする海賊集団に帰属することになった。(略)紅客たちも、もともとは政府が呼び集めたハッカーだった。やがて、政府の後ろ盾を失うと、彼らは再び闇の存在へと戻っていったのである。電波の世界でも同じようなことがあった。第一次世界大戦第二次世界大戦の際、政府は技術者を雇って、電波ジャックを行わせ、情報をコントロールしようとしたのだ。
(略)
 海賊の定義は、各国の覇権争いの結果に左右される。さらに言えば、国家権力が増強されればされるほど、国家は、より多くの集団を海賊とみなし、排除しようとするのだ。市場の独占、優遇された条件での貿易取引、強い海軍という条件が揃ったとき、国家は私掠船を頼るのをやめ、彼らを海賊とみなして排除しようとする。海賊は、慣習という境界線の外側に位置するものであり、国家がこの境界線を強調すればするほど、海賊の脅威は増すのである。こうなると、海賊は文字通り、地政学的な力関係の産物だといえる。

「超コード化」解読

これまで経済の外にあった領域が次々と「超コード化」され(略)新たな獲得領域は、規格によって囲い込まれ、流れの動きをさらに活発化させるのだ。
(略)
17世紀は、海が規格化された時代であった。(略)
香辛料を「高級商品」として売り出そうとした公社としてのインド会社(生産)。次に、東南アジアでの商業活動を意味づける私掠許可状(コード化=登録)。そして、香辛料の需要、すなわち欲望を数値化し、相場価格をつけることで、都市部における消費を可能にするアムステルダムの香辛料市場(消費)。こうして、生産、登録、消費の流れができあがったのだ。
(略)
流れの脱テリトリー化により、資本と権力は中央に集中する。こうして、中央ばかりが栄え、周縁は衰退し続けるという図式が完成してしまったのだ。資本は新たな領域を求めて移動する。(略)[その影響力が周縁に至る]「時差」を利用し、新たな価値観を持ち込もうとする組織が現れるのだ。彼らは、資本主義の「超コード」を解読し、境界地域で暗躍し始める。
(略)
資本主義は、海賊組織の存在を利用し、漂流するもの、逸脱するものをも自身の中に取り込み、公理化していくことができる。逆を言えば、海賊こそ、境界と戯れ、流れを脱コード化し、資本主義の定義を刷新させていく原動力なのだ。

海賊船と商船のシステムの違い

商船において、下級乗組員は絶対服従が必須であり、上の者に逆らうことはできなかった。食糧を奪われ、暴力を受けることは日常茶飯事だ。(略)船長は暴力と恫喝で部下を管理しようとした
(略)
海賊組織のシステムは商船とは異なる。(略)
[商船は士官と水夫に分かれているが、海賊は全員一蓮托生。船長と兵長、二つの指揮系統がある。]
船長は、襲撃、接舷、他の艦隊との協力など、航行に関する重要な決定権をもつ。一方、食料、戦利品の分配、内輪もめの解決などは、兵長の仕事だ。
(略)
 豪胆さに欠ける、判断を誤ったなど、船長が船全体の不利益につながる行動をとり、乗組員の過半数が船長の解任を求めた場合、兵長が船長を代行し、新たに乗組員全体から、船長と兵長を選び直すこともあった。権力を享受し、船内に個室をもち、特別な食事を用意させていた商船の船長と異なり、海賊船の船長にそうした「特別扱い」はなかった。海賊船には船長室がないこともあり、たとえあったとしても個室ではない。食事も皆と同じだ。こうした扱いは兵長においても同じである。
(略)
[襲撃後の利益配分]
まず優先されるのが、医者と大工の取り分だった。人と船のメンテナンスにどうしても必要な職だからだ。次に優先されるのが、生活に支障が残りそうな負傷者である。傷病手当についても決まりがあり、負傷者は、他の乗組員よりも高額の取り分を優先的に受け取ることができた。社会保障の原型とみてよいだろう。たとえば、片腕を失った場合、医者の取り分の三倍という高額の報酬を受け取ることができた。一方、片目だけを失った場合は、医者の取り分の半分だ。
 これらの優先的配分が終わると、残りは人数で割って平等に分ける。ただし、船長は二倍、見習いは半分の取り分とする。船をまるごと一隻、捕えた場合も、全員が聖書、もしくはそれ相応のものに誓いをたて、勝手に戦利品を持ち出さないことを約束し、その後、戦利品の分配が行われたようである。
(略)
 国家が何世紀もかかって実現させたことを海賊組織は先駆けて行っていた。選挙による民主的な指導者の決定。分権化。構成員のあいだの平等、社会保障まで、彼らのルールのなかに原型を見ることができる。

次回につづく。