殺す理由 なぜアメリカ人は戦争を選ぶのか

アメリカvsメキシコ〔米墨戦争

[第11代大統領ジェームズ・K・ポークは議会でこう宣言]
「メキシコ軍が国境を越えてアメリカ領土を侵犯し、アメリカ人の土地でアメリカ国民の血を流した……戦争は現実に生じている。われわれが戦争を回避すべく万策を講じたにもかかわらず、メキシコの行動によって生じたのだ」と。
(略)せいぜい半分だけ真実だった。(略)
実際には、ポーク自身が両国の係争地に軍隊を派遣し、メキシコ軍を刺激してアメリカ軍を攻撃するように仕向けていた。くだんの係争地も、もし国際法廷が審理していたら、おそらくメキシコの領土と認めていただろう。それゆえ、エイブラハム・リンカーンは周知のように、アメリカ人の血が流された正確な「地点」を示すようポークに要求したのだ。
(略)
ポークは万全の戦争回避策をとったと力説したが、実際には1845年から46年にかけて外交使節団をメキシコシティーに派遣しただけだった。(略)
反戦勢力は少数派にとどまり、三年に及んだ戦争で一万三〇〇〇人以上のアメリカ人が命を落とした。そのほとんどは戦病死で、アメリカの対外戦争における最高の損耗率を記録した。メキシコ人の犠牲はこの10倍に達したと思われるが、一顧だにされなかった。米墨戦争の結果、アメリカは当初の提示額の半値以下で広大な西部の土地を買収した。

アメリカvsドイツ

1915年、占領地ベルギーでのドイツ軍兵士の蛮行を報じるニュースがアメリカ国民を戦慄させた。ドイツ兵は修道女をレイプし、赤ん坊を殺し、人々の手を切り落とすなど、恥ずべき残虐行為にうつつをぬかしているという。これらのストーリーは、血に飢えた「ハン(Hun)」というドイツ人像を形成し、中立政策を捨ててグレート・ウォー[第一次世界大戦]を戦うイギリス陣営を支援するよう国民を促すために利用された。おおかたの占領軍の例に洩れず、ドイツ軍が民間人に暴力を振るっていたことは紛れもない事実だが、この種のストーリーの最悪の部分はイギリス情報部が捏造し、アメリカの親英官僚や新聞が流布させたものだった。

第一次世界大戦とその帰結はおおかたのアメリカ人に激しい幻滅を味わわせ、国際的十字軍はもうこりごりだという気にさせた。(略)[フランクリン・D・ローズヴェルトは1940年の選挙運動の際に]平和を公約していた。いわく、「以前にも言ったことだが、何度でも繰り返し言おう。あなたたちの息子をいかなる外国との戦争にもけっして送りこまない」と。それから一年も経たない海軍記念日に、彼は海軍士官学校で「秘密の地図」の存在を明らかにした。これは「ヒトラー政権下のドイツで新世界秩序の立案者が作成したもので、ヒトラーが目論むとおりに再編された中米の一部と南米を描いている」というのだ。(略)この地図は、ドイツが「南米ばかりかアメリカも射程に入れていること」を暴露していた。だが、この地図は偽造されたもので――どうやら、あまりいい出来ではなかったようだが――イギリス情報部が提供したものだった。FDRはじわじわと、第二次世界大戦以前のアメリカに蔓延していた厭戦気分を克服していった。

ベトナム戦争

64年夏早くから、CIAに支援された南ベトナム軍のコマンド部隊が北ベトナム海岸地帯の「レーダー基地、燃料保管施設、電気や水道等の公共施設、道路や橋」をひそかに攻撃しはじめていた。(略)
[八月二日夜、南ベトナム軍の猛攻を受けた北ベトナム軍は魚雷を放ったが的を外した。反撃された北ベトナム魚雷艇は退散した]
 おそらく北ベトナム海岸への攻撃を秘匿するために、この事件はいっさい公にされなかった。その二日後、トンキン湾を大嵐が襲う中、マドックスとターナー・ジョイのいずれかにびくびくしながら乗っていた水中音波探知機のオペレーターが、接近する魚雷を探知したと思いこんだ。二艘の米駆逐艦が見えない敵に向かって砲弾と魚雷を発射すると、空は煌々と照らされた。のちにマドックスの艦長は、敵襲の報告がなされた原因は「異常な天候と熱心すぎる水中音波探知機オペレーター」にあると弁明した。ジョンソン大統領の反応は、人目のないところではこれほど穏やかではなかった。「くそっ、あの間抜けで愚かな水兵どもはトビウオでも撃っていたんだろう」と息まいたという。けれども、かような洞察をしていたにもかかわらず、大統領は正当な理由なく米国海軍駆逐艦を攻撃したとして、北ベトナムを弾劾した。彼はこの架空の攻撃を口実に、議会を説得して自由行動権をもぎ取った。すなわち、「米軍に対する武力攻撃を撃退し、さらなる攻撃を阻止するために必要なあらゆる措置をとる」権限を大統領に授ける上下両院の合同決議を得たのである。

いかにフロリダを手に入れたか

 1818年1月、アンドリュー・ジャクソン将軍は欲求不満をもてあましつつ、テネシー州の自宅で半ば引退生活を送っていた。
[そこに、スペイン領フロリダ国境地帯で、アメリカ人の入植地を襲撃しているセミノール族のインディアン討伐命令]
(略)
スペイン政府にはセミノール族の犯罪者を制御する力がないと思えたことから、国境を侵犯してアメリカの神聖な自衛権を身をもって示す権限がジャクソンに与えられたのだ。
(略)
 だが、かような脅威は本当に存在していたのだろうか?(略)
フロリダは久しくスペインに領有されていたが、1763年からアメリカ独立革命終結するまでイギリスの占領下にあった。イギリスが撤退すると、スペインが領有権を取り返し、スペイン人入植者がフロリダに殺到した。だが、同時に別のタイプの移民もやって来た。それは、低南部の白人の家庭やプランテーションから逃亡した奴隷たちだった。セミノール族は彼らを仲間として受け入れた。(略)社会的同格者とはみなさず、小作農として処遇した。これはれっきとした社会的役割で、そのおかげで「ブラック・セミノール」は彼ら独自のコミュニティーを築き、家族を養い、財産を獲得し、戦う術を学ぶことができたのだ。
(略)
[この事態は南部白人にとって脅威だった。逃亡奴隷とその家族は彼らの私有財産であり]セミノール族は盗みを支援し、そそのかしているのだ。なお悪いことに、ブラック・セミノールの存在そのものが南部諸州の人種差別主義者に対する侮辱であり、彼らの癪の種だった。国境のすぐ向こう側で自由人の男女のように暮らすことによって、ブラック・セミノールはアメリカ南部社会の中核的なタブーを犯し、黒人に自由は適さないという神話を直撃していた。武器を携行することによって、彼らは軍事的な能力をもつことを公然と示し、反逆するようほかの奴隷たちを暗に鼓舞していたのだ。(略)
[1812年には南部白人が]フロリダのセミノール族の町や農場を襲撃しはじめていた。カルフーン陸軍長官が訴えたインディアンの襲撃は、スペイン領土に侵入した南部の白人が繰り返し行なっていた殺人や略奪や放火や誘拐に対する報復だったに違いない。一方、アンドリュー・ジャクソンの堪忍袋の緒を切らせたのは、西フロリダに「ニグロ要塞」が出現したことだった。この要塞はもともとイギリス人が建設したものだが、今では黒い戦土たちが防備を固め、彼らの庇護のもとで逃亡奴隷が尊厳をもって生き、働いているというのがもっぱらの噂だった。ジャクソンからすれば、こうした不健全な状況に対処する方法は明白だった。そう、アメリカがフロリダ全土を併合すればよいのだ。
(略)
[セミノール討伐の後]西フロリダの州都ペンサコーラまで軍を進めた。そして、スペインの総督を逮捕し、ペンサコーラにアメリカ国旗を掲げ、部下の将校の一人をこの地の統治者に任命した。(略)
[連邦議会で政敵から非難を浴びたが]
 その間に、ジャクソンは思いがけず強力な味方を得ていた。それはモンロー政権の野心的な国務長官ジョン・クインシー・アダムズで、彼はすでにスペイン大使とのフロリダ割譲交渉に着手していた。ジャクソンの「軽率な行動」はスペインがアメリカの侵略からフロリダを守れないことをはからずも白日のもとにさらしたが、これはアダムズのようなやり手の交渉人には願ってもないことだった。彼は外交コードに則って、まず短気者の行動を謝罪したうえで、それによって露呈したスペインの弱点につけこんだ。(略)
スペインがフロリダ全土をアメリカに割譲し、スペイン領土の北から太平洋まで広がる土地に対するアメリカの権利を認めるという条件で、500万ドル相当のスペインの負債を肩代わりしようと申し出た。スペイン大使には同意する以外の選択肢はなかった。

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「この狂った獣を殺せ」

「この狂った獣を殺せ」1917年。
第一次世界大戦時の米国陸軍新兵募集ポスター。ドイツ兵を女性に暴行する獣として描いている。棍棒に「kultur(culture)」と記されている(略)
ヨーロッパ域内で終わらせなかったら、この戦争はやがてアメリカ領土に到達するという見解が表現されている

ウィルソンはドイツに宣戦を布告するよう議会に要請した。(略)
アメリカが戦う相手はドイツ国民ではなく、独断で彼らに戦争を押しつけた残酷で独裁的なドイツ政府である、とウィルソンは主張した。(略)
ウィルソンのアプローチは主戦論陣営をも困惑させた。ドイツ国民は統治者に誤り導かれてきたに過ぎないと主張することによって、彼はドイツ軍兵士一般を血に飢えた「ハン」と描こうとする目論みに水を差してしまった。より重要だったのは、独裁制についての彼の抽象的な表現では、ドイツ皇帝のイメージを一変させる――つまり、アメリカの新聞や雑誌の読者が「カイザー・ビル」として馴染んでいた滑稽な威張り屋から、世界支配を企む怪物に変身させる――役に立たなかったということだ。ヴィルヘルム二世を「ベルリンの野獣」に変身させる作業はロバート・ランシングら政権のスポークスマンが始め、新聞とりわけ漫画家とポスター制作者が完成させた。彼らはドイツ皇帝を悪の化身と描いて、わが世の春を謳歌した。
(略)
ランシングは「この戦争にアメリカの将来がかかっている」と言明した。なぜなら、ドイツの統治者は世界征服という「邪悪な目的」をもっているからだ(略)これが殺し文句だった――たとえドイツ皇帝がまだアメリカを攻撃していなくとも、彼は必ず比較的近い将来にそうするだろう。
(略)
国務長官は事実上、将来の攻撃を防止するための先制攻撃を提唱したのだ。

徴兵制

ニクソン政権はベトナム戦争が終わる以前ですら、国民の多くが戦争を不正とみなすなら、もはや徴兵拒否を非愛国的とか不忠と切り捨てられないことを認識していた。この問題に対処するために、政府は現在まで続く志願兵のみからなる軍隊モデルを構築した。今日では、徴兵制の復活を提案しているのは議会の反戦派メンバーである。徴兵制が復活すれば、イラクアフガニスタンのような国々でのアメリカの軍事行動は再考を余儀なくされる、と彼らは確信しているのだ。
(略)
アメリカ政府当局はベトナム戦争時のような戦争報道がなされないよう、その後の軍事介入では細心の注意を払ってきた。湾岸戦争のあいだ、最初のブッシュ政権アメリカ史上最も厳しい報道規制を敷いた。ブッシュ二世は(湾岸戦争時の規制に対するメディア側の不平に対処するためもあって)イラク戦争中はジャーナリストを米軍地上部隊に「埋めこんだ」。この「埋めこみ」によって、戦争は明らかに侵攻する米軍側の観点から報道されることになった。しかし、インターネットで配信される新たなメディアの出現や、中東の衛星テレビ局アルジャジーラのような非アメリカ系のニュース・ソースの存在が、アンクル・サムが遂行中の戦争に関する報道の幅をある程度広げてくれた。