テクニウム テクノロジーはどこへ向かうのか?

第11章『アーミッシュハッカーから学んだこと』だけ読んだ。

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?

テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか?

 

アーミッシュ

ユナボマーアーミッシュではなかったし、アーミッシュは破壊主義者ではない。彼らの文明はテクノロジーの恩恵と弊害の均衡をどう取るべきか教えてくれる貴重な事例だ。
(略)
アーミッシュは一枚岩の集団ではない。彼らの習慣は教区ごとに異なっている。オハイオのある集団がやっていることは、ニューヨークの他の教会ではやっていなかったり、アイオワではもっとやっていたりする。
(略)
鉄の車輪が付いたトラクターなら農地で使える場合もあったが、それは鉄の車輪なら道路を車と「ごまかして」走ることができなかったからだ。またディーゼル機関の付いたコンバインや脱穀機を認める宗派もあったが、ディーゼルは機械を動かすためのもので車として用いてはならなかった。
(略)
こうした多様性が生まれたのは、アーミッシュが共同体を強化しようとしたからだ。(略)つまり馬なしで動くことを禁じたのは、旅行を難しくして地域に注力させるためだった。(略)電気を使わない生活をするのも(略)電線でつながれ電化されたら、町の動きや考え方や関心により強く結びついてしまうことに気づいている。アーミッシュの信仰の基盤は、「世に居つつ、世のものではない」
(略)
アーミッシュは何かを使うことと所有することは分けて考えているのだ。オールド・オーダーはトラックを所有することは嫌がるが、皆で乗り込むことはする。彼らは運転免許を取らず、自動車も買わず、保険にも入らず、自動車や自動車産業複合体に依存したがらないが、タクシーは呼ぶ。アーミッシュの男性の数は農園の数より多いので、多くの人が小さな工場で働いており、職場への行き帰りに外部の人が運転するバンを雇っているのだ。つまり馬と馬車の生活をする人々でさえ、自費(非常につましいものだが)で車を使っている。

アーミッシュ電気」

アーミッシュはまた、職場と家庭で使うテクノロジーを区別している。
(略)
[木工店を営む男の]大きな作業場にはこの電球以外に電気はなかったが、動力機械があった。作業場では耳をつんざくほどの騒音がする、動力やすり、ノコギリ、かんな、ドリルなどが振動していた。
(略)
[裏庭の]ディーゼル発動機は石油燃料で圧縮機を動かして圧力を発生させていたのだ。タンクからは高圧空気を工場の各所に送るためのパイプが何本も出ていた。硬いゴムで作られた曲げやすいホースが、それぞれの道具とパイプをつないでいた、作業場はすべて圧縮空気で動き、各機械は空圧で動いていた(略)
[彼らはこれを]「アーミッシュ電気」と呼んでいた。(略)
[家庭でも]丈夫なミキサーを買ってきて、電気式のモーターを取り出し、サイズが合う空気式モーターに置き換えて、空気をつなぐ接続装置を付ければ、アーミッシュの母親は電気なしの台所でミキサーが使えるようになる。空圧式のミシンや洗濯機や乾燥機(プロパンガスで熱を発生する)などもある。まるでSFのスチーム・パンク(エア・パンク?)のようなこだわりで、アーミッシュは電気式を上回る凝った装置を作ろうとしていた。
(略)
[別の改造工場では]電気を使って、空圧方式の装置の部品を製造していた。(略)金属の車輪の付いた(通常の道を走れないようにゴムではない)プロパンで動くフォークリフトで重い金属材料の束を運び、それで空圧方式のモーターやアーミッシュの好きな灯油の調理ストーブなどの部品を削って精密加工していた。それらの精度は1インチの1000分の1単位だ。数年前に40万ドルをかけて、コンピューター制御の旋盤を裏庭の馬小屋の後ろに設置した。
(略)
最近ではアーミッシュの間で太陽電池が流行している。これを使えば電力網につなぐ心配なしに電気を得られる。
(略)
使い捨ての紙おむつや、化学肥料や殺虫剤も使っているし、遺伝子組み換えトウモロコシを大いに推進している。
(略)
[害虫に弱いトウモロコシは茎をかじられ折れる。機械を使う農家は気にしないが、半分手作業のアーミッシュは折れたものを拾う重労働が必要となる]
はっきりと言葉にしないが、彼らは明らかに遺伝子組み換え作物は家族農園に相応しいテクノロジーだと考えていた。
 人工授精、太陽光発電、ウェブなどのテクノロジーについて、まだアーミッシュの間では議論がある。彼らはウェブを図書館で使っている(つまり使うだけで所有していない)。例えば、公共図書館の個室で、ウェブサイトを立ち上げてビジネスに使っている。

新しいテクノロジーを受け入れるまでの経過

新しいテクノロジーを受け入れるまでの典型的な経過は以下のようになる。(略)[アイヴァンは]新型のフロービット変調方式の携帯電話は本当に役に立つと考えている。(略)司祭のところに提案書を持って行き、「これを試してみたい」と言う。司祭はアイヴァンにこう言う。「いいだろうアイヴァン、自由に使ってみなさい。でも私たちが、それはお前のためにならないし他人も傷つけると判断したら、いつでも諦めるんだよ」。こうしてアイヴァンは、近所の人や家族や司祭が熱心に見守る中、そのテクノロジーを手に入れ使いこなしていく。彼らはそれによる利益と不利益を天秤にかける。それは共同体に何をもたらしてくれるのか。
(略)
中にはディーゼル発電機にインバーターを付けて電池とつなぎ、電力線と同じ110ボルトを独自に実現しているものもいる。彼らはまずは電気コーヒーポットのような家電から電気を使い始める。私は自宅の居間の一部の事務所スペースにコピー機が置かれているのを目撃したことかある。ゆっくりと最新の家電を受け入れて、100年かけて今の私たちと同じところまで進むのだろうか
(略)
現在の彼らの自己独立したライフスタイルは、彼らの孤立した領土を取り巻くさらに大きなテクニウムに強く依存している。草刈り機の鉄は、鉱石から製錬したものではない。自分たちの使う灯油は掘削して掘り出したものではない。屋根に付ける太陽電池を製造しているわけでもない。服を作るために綿花を栽培していない。自分たちで医師を教育したり訓練したりはしていない。彼らがどんな種類の軍隊にも入隊していないことは有名だ(しかしアーミッシュはそれを補うために、外の世界に対して世界規模のボランティア活動をしている。
(略)
要約して言うなら、アーミッシュは現状の生活のために外の世界に依存している。
(略)
国教会にひどい迫害を受けてから、アーミッシュはテクノロジーの更新を止めることで、「世俗的な」世界から距離を置き続けた。迫害が止んだ現在のアーミッシュは、信じられないほどテクノロジー化したアメリカの対極にいる。

ヒッピー、アーミッシュのジレンマ

過剰になった北米のテクニウムから落ちこぼれた人は他にもいる。1960年代後半や70年代初期には、自称ヒッピーたちが何万人も小さな農場や間に合わせのコミューンにシンプルな生活を求めて大量に逃げ出した
(略)
そこで私が目にしたのは、テクノロジーを熱心に制限しようとすると、いずれは不安になり落ち着いていられなくなる姿だった。ヒッピーたちはせっかく作ったローテクの世界から徐々に離れていった。(略)小さいことは美しい(スモール・イズ・ビューティフル)で磨いた能力を、小さいことは起業すること(スモール・イズ・スタートアップ)に変えていった。
(略)
数えれないほどの人がコミューンを抜け、シリコンバレーでハイテク会社を立ち上げた。
(略)
新たな最小限テクノロジー主義者が出てきており、彼らは都市部に家を作り、都心に住みながら、同じ志を持った人同士の共同体で支え合っている。彼らはアーミッシュのような強い助け合いと手仕事による満足と、都市の広い選択の両方を得ようとしているのだ。
(略)
あなたがウェブ・デザイナーになれるのも、周りの何万人もの人々が可能性の領域を広げてきてくれたからだ。農場や小規模店を超えて、新しい経験や考え方を可能にする電子装置の複雑な生態系を発明してきてくれたおかけだ。
(略)
人間としての使命とは、テクニウムにおける十全な自己を発見したり、十全な満足を見つけたりすることだけではなく、他人のために可能性を広げることなのだ。
(略)
あなたが受容するほとんどの物を、彼らは将来に無視するだろう。しかし時には、「まだ十分に機能していない何か」(ダニー・ヒリスのテクノロジーの定義)を受け入れれば、それが彼らが利用できる道具に進化していくかもしれない。例えば太陽光で染色する穀物とか、がんを冶す何かかもしれない。
(略)
私も彼らと同様、何の利益もないのに多くの装置を抱え込んで一生保守したいとは思わない。私は時間をかけて、習得するのに値することを選びたい。役に立たない物は放棄したい。他人の選択を不可能にする物(殺人兵器など)はいらない。
(略)
私はアーミッシュハッカーに大いなる借りがあるが、それは彼らの生活を通してテクニウムの持つジレンマを明確に把握できたからだ。自分の満足を最大限にするには、個人で最小限のテクノロジーを使うようにする。しかし他人の満足を最大限にするには、世界のテクノロジーの量を最大限にしなくてはならない。個人が最小限の道具を選択できるには、他人が十分な量の選択肢を創造しておいてくれることが必要だ。ジレンマは残る。自分では最小限の物で済ませながら、世界的には最大化しなくてはならないというジレンマだ。