ユリイカ 「岡村靖幸」総特集

岡村ちゃんのPCにはMax/MSPSuperColliderといった音響プログラミングソフトが入ってる。筋電センサやWiiリモコンをハックして作った楽器の動画をネットにアップしていた真鍋大度に突然、岡村からメール、岡村向けソフト、デバイスを開発することに。真鍋の知人の岡村ファンの中村勇吾が公式サイトを手掛けることに。

マキタスポーツ

 一度、踊るのって恥ずかしくないですか?って愚問をあえて彼にしてみたことがあるんですが、そしたら岡村ちゃんは「AV女優が裸になるようなもので、全然恥ずかしくない」と。
(略)
[「カルアミルク」]は「構造は凡庸、でも、メロディは非凡」という楽曲なんです。コードとメロディが合ってるようで合ってない、合っていないようでスレスレで合ってる。そもそも岡村ちゃんは、音程が♯する人。この♯するピッチの人っていうのは、実は直しようがないと言われています。♭なピッチの人は、そこに届かないからこそ起る現象で、緊張を解く訓練をしたりすれば、目指すべきところに当てられるんです。ところが♯する人はテクニックを身に付けたとしても「超え」ちゃう。つまり、岡村ちゃんはやっぱりここでも「我慢しない」人なんですね。(略)
「電話なんかやめてさ〜♪」、あの辺りのメロディも、コード進行は普通なのに、変な響きに聴こえます。おそらくこれは、コードありきじゃなく、歌いたいメロディに、後からコードを乗せてるからだと。まるでわがままに“屹立したモノ”を、後からジーンズを履いて隠し、結果、はち切れんばかりの状態になっているような曲なんです。
(略)
[音楽のルーツを探ろうと質問すると]
自分を構成する成分について、なかなか種明かしをしない。のらりくらりと質問をかわすんです。僕は咄嵯に思いました。「これはひょっとすると……何も考えてないんじゃないか……」。だったらそれはそれで凄いなと。また、こちらが考えるほど、それこそ山下達郎のように音楽を聴き込んでいたりとかもしてないんじゃないか、とか。と、急に岡村ちゃんが言いました。
みうらじゅんさん、みたいなもんですよ」

川本真琴

私はよく岡村さんに、男の趣味が悪いと言われます。
(略)
 それでも、私がまだごちゃごちゃ話していると、だいたい怒られる方向になります。
 それで私は罪悪感でオロオロになるのですが、
「その男とあなた(私)とどっちがイケてるの? 世の中的に!」
って話になり、最後は、
「僕はあなたの方がイケてると思いますよ。」
と言ってくれるので(略)
ちょっと楽しい気分になるのでした。
私と岡村さんの仲を言うと、ざっとこんな感じです。


 でも、岡村さんは私にはあんまり自分の恋愛のことは言ってくれません。
「まぁいいんですけど、それは。」
って流されてしまいます。私はそういう時、何か紳士的なものを感じます。
 もしかして照れてる??
 そんな話をしながらカフェで、なんとなく“まったり”したり。


そういえば岡村さんはつきあっている娘orつきあっていた娘を悪く言うことがないなって思います。
(略)
 ともかくデビュー前から私のちょっとした能力を認めてくださって本当にありがとうございます。ディレクターやマネージャーは、当時のままじゃダメだって言っていたけど、私、そのままで大丈夫でした。
 岡村さんは最初から「そのままでいいと思うけどな」って言ってくれていたんですよね。

大和田俊之

[一拍目のダウンビートを跳躍台として残りの拍をシンコペートとして16分音符で乗り切るジェームズ・ブラウンのリズム特性「ザ・ワン」に]
 音楽学アレキサンダー・ステュワートは、中南米音楽のクラーヴェからニューオーリンズセカンドラインに連なる系譜を読み取り、「小節の初めのダウンビートとシンコペーションの間を振動する〈開放された〉リズムと〈閉じた〉リズムの反復」、その「非対称的な時間のサイクル」こそがファンク・リズムの特質であると述べる。
(略)
プリンスの登揚がまさにディスコがファンクを駆逐した直後であったことを忘れてはならない。(略)
 ディスコ全盛の時代にいかにしてファンクは可能か――プリンスの初期のキャリアはこの問いをめぐって展開されたといっても過言ではない。だから、プリンスの音楽は必然的にファンクに対する危機=批評を内包する。ファンクと同じ譜割りでリズムを配置しつつも、それを徹底的に無機質なサウンドにすることでファンクのグルーヴそのものを脱臼すること。プリンスの楽曲にはジェームズ・ブラウンやPファンクの音楽を特徹づける「ザ・ワン」の圧倒的な訴求力は存在しない。それはむしろ、同じようにアンチ・ディスコのスタンスを鮮明にしたパンク、ニューウェイヴと共振するサウンドだといえるだろう。
 画一的で均質的なディスコに対抗するためにプリンスが編み出したニューウェイヴ経由のファンク。
(略)
岡村靖幸とプリンスの楽曲に共通するのは、ファンクをベースにしながら決してコード進行を否定しない点にある。ファンク・ミュージックの定義をジャズ史に準えつつ「R&Bのモード化」と呼ぶとすれば、コード進行の否定はその重要な特質になるはずである。じっさい、ジェームズ・ブラウンパーラメントの曲の多くが一コード、あるいは二コードの宙吊り感・緊張感を維持していることは今さら指摘するまでもない。だが、岡村とプリンスの音楽にはコード進行をともなう、はっきりとした楽曲構造を有する曲が争い。ニューウェイヴを経由して無機質化されたファンク・ビートとディスコ的ともいえるキャッチーな旋律――その組み合わせは、ダンスの規則性に歪みを引き起こし、身体を痙撃させるのだ。

いまみちともたか

[共通のディレクターから岡村が相談したいから連絡先を教えてもいいかと訊かれ承諾すると]
電話がきたのはその晩すぐだったと思う。
 いきなり「あ、いまみちさん? 岡村です。ねえ、いまみちクン、いま俺すっごく寂しいんだよ、どうすればいいと思う? 曲作りしてるとき、急に無性にどうしようもなく寂しくて切なくなって孤独になるときってあるでしょ、ない? いまみちさんも絶対あるでしょ? そういうときっていまみちクンどうしてんの?ねぇ、どうしてますか」とタメロと敬語がごっちゃでまくしたててきて……。

浜崎貴司

[岡村とお茶してて、「ねえ浜ちゃん、後ろの娘、何点」と訊かれたので、点数はつけたくないけど、話を合わせるため「67点くらいかな」と答えるも、岡村は無言]
「ん?岡村ちゃんは一体何点なの?」と私が聞き返すと、彼はすぐさまこう答えたのでした。「僕は人に点数なんてつけない」

ばるぼら・全作品解説

まだ礼儀もなっていない若者が届けにきた紫色に塗られたデモテープの意外なクオリティに、[大沢誉志幸のディレクター]小林和之は第二期ジェフ・ベックに近い印象を覚えたと後年語っている。《当時、リフで構成されてる楽曲は少なかったし、アマチュアでそれを作るなんてすごい》。ただしその時はメロディに幅がないことが気になり、ギターで曲を作らずピアノで作曲しろと追い返したという。
 数ヵ月後に再び岡村が持ってきたテープを聴いて小林は驚愕する。《すごいメロディックになっていてビートルズ入ってるし驚いた》。鍵盤楽器を弾けなかった岡村はめげずにDX7を買って作曲してきたのである。

都築響一×岡村対談

都築 岡村さんは、ヒップホップなんか聴いたりしますか?
岡村 聴かないですね。

[一人で食事するのは平気?]
岡村 僕は全然大丈夫ですね。自分の心の中で、「今日はこの名店と言われるお店に来てみました」みたいな、グルメレポート的な気分でものすごいドキドキしながら行ったりします(笑)。特に名店には、最初は一人で行きますね。