ポスト・イスラーム主義論

政治的イスラームの挫折とは、

政治をすべてイスラーム化できないことを証明したことにある。イスラーム主義運動が具体的な政策をイスラームの名のもとに実行すればするほど、政治の実態は非イスラーム的にならざるをえない。つまり、宗教による世俗化が起こることになる。これは、イスラーム諸国は、イスラーム主義の名において、政治の脱宗教化=世俗化を体験しつつある、という逆説的事実を意味する。イスラーム主義は自己矛盾に陥っていたのである。
 政治的イスラームは失敗したが、社会の再イスラーム化は成功したともいえる。
(略)
 宗教が政治から離れたため、宗教は個人のアイデンティティー問題に特化するようになった。女性のベールやイスラーム服の着用、男性のあごひげなど外的なかたちとしてのイスラームが重視されるようになったため、神と人間との関係という宗教の本質的な部分が隅におかれた。ラマダーン月の昼間に店を閉めたり、アルコール販売を中止したりする店の割合がます現象も同様の意味で理解される。これは個人の意志・選択(倫理・道徳)によっておこなわれるのであり、国家の命令(シャリーア)によっておこなわれるのではない。その意味で、政治空間に世俗主義が生まれているのである。

宗教の大衆化

[教育の普及は]イスラームの知識を社会全体に広めたと同時に(略)イスラームの権威を大衆化させ、他方、私的なローカル・ウラマーを台頭させ(略)深いイスラーム知識をもたない青年ウラマーたちがたくさん生み出された。彼らは自らを正当化するために他者とのささいな差異を根拠に激しい非難をし、それが衝突を激化させた。
 宗教的知識はカセット・テープ、パンフレット、インターネットなどを介して、制度的教育機関ではなく、個人的師弟関係によって伝えられ、それがさらにいっそうイスラーム知識の権威の大衆化を促進させた。ウサーマ・ビン・ラーディンの思想とアル・カーイダという組織(ネットワーク)のほうがアズハルの公式権威よりも影響力をもつようになった。

宗教実践の個人化

 イスラームの知識の一般化とともに、ムスリムであればだれでも――権威ある教育機関の出身者であろうがなかろうが――、何がイスラーム的に正しいかを述べる権利を与えられるようになった。
(略)
 エジプトで雑誌『ロウズ・アル・ユースフ』を性的に卑猥であるとして告訴したのも、病院での割礼手術を禁じた保健省大臣を訴えたのも、職業上の「聖職者」ではなく医師や弁護士やエッセイストであり、しかも彼らがそれを個人の資格でおこなった。
(略)
ポスト・イスラーム主義の特徴の一つはこのような宗教表明・宗教実践の個人化である。

グローバル・テロリズム

[93年ニューヨーク世界貿易センタービル爆破実行犯達はグリーンカードを保持していたり、イギリス留学後アメリカに入国したり]
 これらのテロリズムにはつぎのような新しい特徴がみえる。すなわち、ジハード戦闘員は中東の出身であっても、彼らの人生の行路は国際化されている。彼らの大部分が非常に若く、また再イスラーム化されている。西欧で暮らしているときに、彼らは三つのレベルでデラシネになっている。つまり、出身国とも、家族とも、生活している国とも関係が切れている。彼らは、文化変容とアイデンティティーの再構築の産物である。
 すなわち、彼らは出身国を去り、各地を転々としながらジハードをおこなっていく、放浪のジハーディストなのである。彼らを結びつけているのは「想像のウンマイスラーム共同体)」である。
(略)
 ビン・ラーディン一派の第二世代は一九九六年頃に確立した。それはつぎのような特徴をもっていた。1.彼らは生まれた国では生活せず、外国で生活している(トランス・ナショナル)。2.なかには、フランス国籍、イギリス国籍、アメリカ国籍などをもつ者もあり、また数ヶ国で勉強をしたり、生活経験をもったりした者もいる。3.近代的学問を学び(しばしば好成績をおさめる)、西欧での青春時代はディスコに行ったり、女性とつきあったり、酒を飲んだりもした。4.社会的には、中間階層の出身の者も、「非常に貧しい地区」の出身の者もいるが、しばしばつらい生活体験やドラッグや入獄などの経験をもっている。5.彼らはみな、西欧で、急進的なモスクでの個人的な出会いの結果、ムスリムとして再生した。6.彼らの政治的急進化は彼らの宗教への回帰と同時に起こる。要するに、彼らの急進化は宗教的に深い理解に達したからではない。7.家族、出身国、居住国、いずれともアイデンティティー関係は希薄であり、彼らは国際的友愛関係(想像のウンマ)のなかで生きている。