カフカとの対話・その2

前日のつづき。

 

当時私は、彼がずっと以前に、猿の人間化を扱った『ある学会への報告』を書いていたことをついぞ知らなかった。それで彼がこう言ったときには私はずいぶん失望をした。「お友達の言う通りです。文明世界は大部分が、成功した調教訓練の結果にもとづいています。それが文化というものの意味です。ダーウィニズムの光に照らしてみれば、人間化することは猿の堕罪ということになる。生物はしかし、その生存の基盤をなしているものから、完全に離れ去ることはできないのです」(略)
「自分の自我に迫ることはきわめてむずかしい。克服すべき段階に対して明確な一線を画したいという渇望が、つねに概念の誇張と、それにともなってつねに新しい錯覚とを生じます。しかしここにこそ、真実に飢えているということの、もっともあからさまな表現があるのです。人は暗い悲劇性の鏡のなかにのみ、自分の姿を見出すのです。しかしそれもすでに過去のこととなりました」(略)
 「死ぬということは、なによりも人間的な事柄です。だからすべて人間は滅びるのです。猿はしかし、人類全体のなかに生き続けます。自我とは、いつの世にも変わらぬ未来の夢に飾られた、過去の檻以外のなにものでもありません」

こんな役所爆破!と口走った役人Sに対し

「けれどもあなたは、ものの外観と実態がどんなものかご存知ですか。ひょっとして私たちは、あなたの願いを実行に移すような危険な火薬樽の上にもう坐っているかもしれないのです」(略)
「国家の力は、民衆の怠慢な気持と、平穏でいたいという欲求に依存しています。しかし、それが満足させられなくなった暁にはどうなるでしょう。そのときあなたのきょうの罵言は、すべてを貶めるためになんにでも適用される、平価切下げ基準に転化するかもしれない。言葉は魔法の呪文だからです。それは脳髄のなかに指紋の跡をのこす。そしてこの指紋が、一夜にして歴史の足跡というものに変貌するかもしれないのです。どんな言葉にせよ、ことばには監視を怠ってはいけないのです」

「神、生命、真実――これらはひとつの事実の異名にすぎません」(略)
「われわれがさまざまな異名を与え、さまざまな思想を構築して迫ろうとするこのひとつの事実は、われわれの血管や、神経や、五官のなかを流れている。それはわれわれの内部にあるのです。まさにそのために、われわれには見通しがきかぬのかもしれません。われわれが本当に把握できるのは、秘密であり、暗黒であるにすぎません。そのなかに神が在すのです。そしてそれもいいことだ。この暗黒の保護がなければ、私たちは神を超克するだろうからです。そしてそれも人間の本性にふさわしいのかもしれません。子が父の権威を奪うのです。だから神は暗黒のなかに身を潜めていなければなりません。(略)
移ろうものはただ人間精神の暗黒であり――それは水滴に映る光と影なのです」

老年

とは、青春の――遅かれ早かれ到達せねばならぬ――未来形です。とすればなんのための闘争か。いっそ早く老いるために?大急ぎで滅びるために?

「悪の根絶

という夢は、信仰を失ったところからくる絶望感の投影にすぎないのです」

革命

 私たちは、旗や幟を立てて集会場に向かう労働者の大きな一団に行き会った。
 カフカは言った。「この人たちは自負と自信に満ちて揚々としています。彼らは街路を制圧しているので、そのため世界を制圧しているのだと思っています。が本当は思い違いだ。彼らの背後に、すでに書記官が、官吏が、職業政治家が、あらゆる現代のサルタンたちがのぞいている。彼らはこうした連中に権力への道を拓いてやっているのです」
 「大衆の力を、あなたはお信じにならないのですか」
 「私にはそれが見えるのです――この形の定まらぬ、見かけは奔放な大衆の力というものが。それは飼い馴らされ、型にはめられることを望んでいます。真の革命の展開が終わるところに、つねにひとりのナポレオン・ボナパルトが現われるのです」
 「ロシア革命がより広く拡大することをお信じにならないのですか」
 カフカは一瞬口をつぐむと、こう言った。「洪水が拡がるほど、水は浅く濁ってゆきます。革命の洪水が干上る。と、後に残るものは新しい官僚主義の河岸にすぎないのです。人類を苛む足枷は、官庁の書類でできています」
(略)
 父の言うところでは、カフカは彼に幾度かこう語ったそうである。「誰もが理解し、理解するが故にみずから進んで服従するような真実なしには、すべての秩序は粗野な暴力にすぎず、遅かれ早かれ真実への欲求のために打ち砕かれる檻にすぎなくなるのです」

支配

 彼はジョージ・グロスのスケッチがのっている一冊をはぐりながら言った。「これは古い資本観です。肥っちょの男がシルクハットをかぶって貧乏人のお金の上に坐っている」
(略)
肥っちょの男がシルクハットをつけて貧者の首すじにのっかっている。これは正しい。が、肥っちょの男は資本主義だ、そうなると、もはや完全には正しいといえないのです。肥っちょの男はこの貧しい男をある特殊なシステムの枠内において支配しています。彼はしかしシステムそのものではない。彼はそのシステムの支配者でさえないのです。逆に、この肥っちょも、絵に描かれていない鎖を引きずっているのです。この絵は完全ではない。だから、これはよくないのです。資本主義とは、内から外へ、外から内へ、上から下へ、下から上へと連なる従属のシステムです。一切が従属し、一切が鎖につながれている。資本主義は世界および人間の魂のひとつの状況です」

サナトリウム行きの前に

「これで、もういいのです」フランツ・カフカはゆっくりと言った。「私はすべてを肯定したのです。だから苦しみは魅惑となり、死は――、死は甘美な生の、ある一部にすぎないのです」