オモロな談春いじりはカットして、立川志らくの泣ける談志話を中心に。
談志の影響で懐メロファンになった著者
[2011年新年会「去年は病気でほとんど働いていないからお年玉はなしだ」と談志]
私が師匠の好きな歌をアトランダムに歌う。(略)
最後の新年会の二次会でのこと。私が歌っていると師匠が私の妻の横に座ってこう言ったそうだ。
「志らくには俺と同じ血が流れているんです」
伊藤久男の「建設の歌」を私が歌い始めたら師匠が前にやってきて一緒に歌ってくれた。私は歌いながらこんな幸せな新年会があと何回あるんだろうとふと思った。
- 作者: 立川志らく
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2012/03/24
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師匠は病み上がりの身体でありながらわざわざ舞台を袖まで降りてきて、私の落語を聴いてくれていたのだ。(略)
暫く耳を傾けていた。そしておもむろに「俺に似ているね」と呟いた。まわりはどっと笑った。そして楽屋に戻ろうとしたのだが、階段のところで足が止まった。耳を澄まして私の落語を聴いてくれている。やがて階段の手すりに手がかかった。歩き出そうとしたがまた足が止まり落語を聴いている。次に右足が階段に一歩かかった。そこでまた足が止まる。じっと落語を聴いている。そしてカメラに気がつきカメラに向かって「落語なんてあんまりおもしろいもんじゃねえな」と笑いながら呟いた。
(略)
[本番前に落語をさらう談志を見守る娘と息子と高座を終えた著者の映像を見て]
私にとって怖くて怖くてしょうがなかった師匠。でも憧れ、好きで好きでたまらなかった師匠。その師匠と家族のように話ができた。その光景が映像に残っている。この映像は私の宝物である。
病室に入ると師匠はベッドに横たわっていた。覚悟はしていたがあまりの変わりように言葉を失った。(略)
[半年前の落語会では落語をやり自分で歩いていたのに]
変わり果てた師匠を前に、これは師匠とお別れの瞬間なのかもしれないということはわかった。師匠の顔に表情はなかった。ただじっと私の顔を見つめている。
「この間の美弥での集まりに行けなくてすみません。で、師匠に会えなかったのでお見舞いにきました」
師匠は黙っている。でもその眼光は鋭い。立川談志の目であった。
(略)[起き上がり筆談をはじめる談志]
しかし手に力が入らず、なにを書いてあるかがわからない。その解読不能の字を見たときに、泣きそうになってしまった。
食道癌会見で煙草をふかしながら「酒や煙草をやめるやつは意志が弱い」と言った談志
しかし実際の師匠はヘビースモーカーではなかった。煙草は四十歳過ぎてから覚えた。酒もあまり強くはなかった。(略)
最初の癌のときは酒も煙草もやめなかったが、晩年はその両方を見事にやめた。
くも膜下出血で倒れた弟子の故郷での葬式にすぐれぬ体調でかけつけ
「おい、談大、死んじまったのか。俺を羽田まで送ったあとに倒れたんだってな。まあ、死んじまったものはしょうがねぇやな。やりたいこともたくさんあっただろうが仕方ねぇよな。まあともかくお前はまちがいなく立川談志の弟子だった。おい、談大、今日、いつものように[立川]キウイと一緒にワゴンで荷物を練馬に届けておいてくれ。世話になったな。ありがとう」
「いいか、志ん朝の落語というのは二つ目の芸なんだ。リズムだけで落語を語っている。もちろん、そのリズムはほかの屁みたいな連中の落語と比べたら桁がちがう。でもリズムだけで語る落語というのは二つ目の芸となる。名人の落語はそこに己のメロディが入ってくるもんなんだ。談志はそのメロディがある。さらにそのメロディがぶっ壊れてもいいぐらいの自我と自己を入れているんだ」
たぶん、この言葉が「俺と志ん朝とはちがうんだ」につながっていくのであろう。
だが、志ん朝師匠が亡くなった直後、インタビューで「俺が金を払ってでも聴きたいと思えた落語家は志ん朝だけだった」と語っていた。