「ジャンピン・ジャック〜」誕生秘話

前日のつづき。キース・リチャーズ自伝・その2。

ライフ

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  • 「サティスファクション」

オーティス・レディングのホーンをイメージして、とりあえずギブソンのファズトーンで弾き、後でホーンをオーバーダブするつもりだったのに、勝手にアンドルーが出して無念だったが、一位になったからまあいいや。

曲のリフはほとんど俺から生まれてる。自分で言うのもなんだが、俺はリフの名人だ。俺がやれずにミック・ジャガーがやれたのは、「ブラウン・シュガー」だけだな。あれにはシャッポを脱ごう。まったく参ったぜ。俺がちょっと整えはしたが、あれはあいつの作品だ。詞も曲もな。
「サティスファクション」の特徴はステージ向きじゃないってことだ。何年ものあいだ、めったにプレイしなかった。十年か十五年以上は。納得のいく音が出なかった。どこか、しっくりこなかった。とにかく、音がひ弱だった。俺たちがあれを好きになったのは、[オーティスやアレサ・フランクリンのカバーを聴いてからで]
最初に書きたかったものが聴こえた。それから、ステージで演奏し始めた。

作曲

ひと泳ぎしたり、女とやってたりしても、頭の奥のどこかでコード進行や曲のことを考えている。世間で何が起こっていようと関係ない。銃で狙われているかもしれなくても、「うん!つなぎはあれでいこう!」なんて考えている。
じたばたしたってしかたがないんだ。曲が生まれるかどうかなんてわからない。完全に潜在意識とか無意識の領域なんだ。いずれにしてもレーダーは点灯している。スイッチを切ることはできない。部屋の向こうからちょっとした会話が耳に入ってくる。「もうこれ以上耐えられない」とか。それが曲になるのさ。(略)ソングライターを自覚すると、歌を提供するために観察し始める。物事と距離を置き始める。たえず油断なく見張っている。長年にわたって自分のなかでそんな能力が訓練されていく。
人を観察し、互いにどう反応しあうか観察する、距離を置いて。

Hey Joe

Hey Joe

  • Tim Rose
  • シンガーソングライター
  • ¥150

「ルビー・チューズデイ」「ヘイ・ジョー」

胸が張り裂けそうな思いを初めて経験した相手はリンダ・キースだった。ひと目で心をわしづかみにされた。部屋の反対側から遠巻きに、あこがれの目で見ていた。高嶺の花だ。(略)リンダは十七歳。目が覚めるくらい美しく、真っ黒な髪で、六〇年代としては完璧なルックスだった。(略)初めて会ったとき、俺についていきたいと言われて、もうびっくり仰天した。それどころか言い寄ってくる。向こうからベッドに誘ったんだ(略)もうひとつびっくりしたのは、俺がリンダの初恋の相手だったことだ。初めて好きになった男が俺だったんだ。(略)
[ツアーで不在中にリンダはクスリにはまっていき]
リンダの話によれば、あいつはジミ・ヘンドリックスと長い夜を過ごすうちに魅せられて、俺のホテルの部屋にあったフェンダーストラトキャスターをジミにやっちまった。俺はティム・ローズが歌っていた「ヘイ・ジョー」のデモテープ・コピーを持っていたんだが、それもリンダは持っていった。(略)ロックンロールの歴史的事件だ。つまり、俺から直接じゃないが、ジミは俺からあの歌を奪ったってことだ。(略)
リンダがどこかの詩人とねんごろになったと知って、気が狂いそうになった。ロンドンじゅう駆けまわって、たずねまわった。誰か、リンダを見なかったか?おいおい泣きながらセントジョンズからチェルシーに向かい、「ビッチ!俺の前から消えやがれ!」と絶叫した。信号機がなんだ。チェルシーに向かう途中では車にあやうく轢かれそうになった。(略)
あのときだ、深い喪失感を初めて味わったのは。ただ、ソングライターは、裏切られてもその題材で歌を書いて慰めを見いだせる。(略)
要するに、リンダは「ルビー・チューズデイ」なんだ。

ジョン・レノン

ジョンのことは大好きだった。いろんな意味でばかなやつだった。俺はよくあいつのギターの位置は高すぎると批判した。(略)リヴァプールのバンドはみんな、ああしていた。俺たちはよくこんなふうにからかった。「もっと長いストラップを試してみな、ジョン。ストラップが長いほどうまく引けるぜ」。次にやつらを見たら、ギターのストラップがすこし下になっていた。(略)ジョンが一度だけ俺に不愉快なことを言ったことがある。「イッツ・オール・オーヴァー・ナウ」の真ん中にくるソロのことだ。「あれはつまらない」。(略)
「ああ、最高の出来ってわけじゃなかったさ、ジョン。悪いな、耳ざわりで。お前は好きに弾けばいいさ」。しかし、わざわざ聴いてたこと自体、興味があった証しだ。あいつは率直にああ言った。ほかのやつだったら、許さなかったかもしれない。しかし、ジョンの目にはあいつを好きにならずにいられない試実さってやつがあった。

ジミー・ミラー

俺たちはガス欠に陥っていた。ストーンズは沈没してもおかしくないくらいの状態だった。(略)『サタニック・マジェスティーズ』直後のことだ。俺に言わせりゃ、あのアルバムはまやかしだった。ところがそこへ新しいプロデューサーとしてジミー・ミラーがやってきた。あそこから、すばらしい共同作業が始まったんだ。(略)
俺たちがオリンピック・スタジオに着くと、ジミーがいた。通しをやって調子を見よう。俺たちは、ひたすらプレイした。(略)時をさかのぼれるなら、蝿になってあそこの壁にとまりたいくらいの気持ちだ。十二時間くらいしてセッションが終了したとき、もう俺はあいつにぞっこんになっていた。(略)
何より大きいのは、ジミー・ミラー自身がべらぼうにうまいドラマーだったことだな。あいつはグルーヴを理解していた。「ハッピー」でもドラムスをつとめているんだぜ。「無情の世界」のドラマーは、最初はジミーだったんだ。あいつのおかげで、ものすごく仕事がやりやすくなった。特にグルーヴとテンポを決めるのに抜群の手腕を発揮した。

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」

あのガリガリ汚れた音は何軒かの安モーテルで生まれた。録音できるものは、当時出たばかりのフィリップスのカセットレコーダーしかなかった。(略)アコースティックを鳴らし、音が割れるまでカセットレコーダーのレベルを上げて、再生してみると、エレクトリックみたいな音になる。カセットをピックアップ兼アンプとして使っていたわけだ。(略)
スタジオに入ると、小さな延長スピーカーにカセットをつなぎ、スピーカーの前にマイクを置いて、もうすこし幅と奥行きを出し、それからテープに録音する。これが土台になるトラックだ。「ストリート・ファイティング・マン」はベース以外にエレキ楽器を使っていないし、ベースもあとから俺が多重録音したものだ。ギターは全部アコースティックでやっている。「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」もそうだ。今でも、あれができるといいんだけどな、ああいう機械はもう作っていないんだ。負荷がかかりすぎないよう、すぐにリミッターが付けられちまった。(略)
カセットレコーダーで、ギターにギターを重ねた。八本使ったこともある。ギターを混ぜてすりつぶすんだ。「ストリート・ファイティング・マン」のチャーリー・ワッツのドラムは、一九三〇年代のちっちゃなドラム練習キットから生まれた。小さなスーツケースに入っていて(略)がらくたみたいな道具で。ちっちゃなオモチャを使って、ホテルの部屋で作ったんだ。(略)
[歌詞は]レッドランズの灰色の夜明けから生まれたんだ。ミックと俺は明け方まで起きていて、外は雨。窓の向こうからゴム長靴を踏み鳴らす重い足音がした。うちで庭師をしていたサセックス出身の田舎者、ジャック・ダイヤーの足音だった。うつらうつらしていたミックがはっと目を覚ました。「なんだ、あれは?」「ああ、ジャックだ。よく飛び跳ねるのさ、ジャックは」。俺はそのフレーズがモノにならないか、オープン・チューニングのギターで取り組み始め、「ジャンピング・ジャック」と口ずさんだ。するとミックがそこに「フラッシ」と付け足した。リズムも響きもいいあのフレーズがひょいと浮かんだ。

オープンGチューニング発見話は
明日につづく。