ギミー・シェルター、キース自伝・その3

前日のつづき。

ライフ

ライフ

大きな発見があったのは一九六八年の終わりか六九年の初め、五弦のオープン・チューニングを始めたときだった。あれが俺の人生を変えた。(略)
俺はオープンDとEに取り組んでいた。その後、リズム&ブルース屈指の弾き手ドン・エヴァリーが「ウェイク・アップ・リトル・スージー」と「バイ・バイ・ラヴ」でオープン・チューニングを使っていたことを知った。バレーコードを使っただけだ、指をネックに交差させて。
オープンGのコードを弾いているところを初めてこの目で見たのは、ライ・クーダーだ。敬意を表さなくちゃな。あいつがオープンGコードを見せてくれた。しかし、厳密に言えば、あいつはスライド奏法のために使っていた。まだいちばん下の弦もあった。(略)これじゃ制約が大きすぎる、と俺は判断した。いちばん下の弦はじゃまだ。しばらくして、自分には必要ないとわかった。どこかで調和が乱れるし、俺のやりたいことにはあわない。だからあの弦をはずし、あれが出す音には三番目のA弦を代わりに使った。(略)
五弦オープンGのチューニングの長所とパワーは、三つの音しかない点にある。残りふたつは、一オクターブ離れて互いに繰り返される。G‐D‐G‐B‐Dと調律される。一定の弦が曲全体を駆け抜けるから、ずっと持続低音がとぎれないし、エレキだから反響する。音は三つしかないが、オクターブがちがうから、ベースといちばん高い音のギャップを埋められる。これがあの美しい共鳴と響きを作り出す。(略)
しかるべきコードを鳴らしていると、別のコードが後に続いてくるのがわかる。じっさいに弾いてるわけじゃない。なのに、そこに鳴り続けている。理屈にあわない。それなのに、「お、こりゃすごいぜ」なんて感じなんだ。問題はどれを残すかだ。その音を消しちゃダメだ。ほかの音とは別に残すんだ。指を別の位置に置き換えても、その音はまだ鳴り響いている。しばらくそこで持続させることもできる。ドローン・ノートってやつだよ。
(略)
[プレスリーの「ミステリー・トレイン」]にはドラムがない。ドラムをにおわすものがあるだけだ。体がリズムを提供してくれるからな。じつは、リズムはほのめかすだけでいい。音に出す必要はない。

Wake Up Little Suzy

Wake Up Little Suzy

  • エヴァリー・ブラザーズ
  • ロック
  • ¥150
Bye Bye Love

Bye Bye Love

  • エヴァリー・ブラザーズ
  • ポップ
  • ¥150
Mystery Train

Mystery Train

[69年USツアー前座のアイク・ターナーに楽屋に引きずりこまれ]
「あの五弦のすげえの、やって見せろ」。四十五分くらいいっしょにいて、基本をみせてやった。あのあとアイク&ティナ・ターナーが出したのが、かの美しいアルバム『カム・トゥゲザー』だ。あれはすべて五弦だった。

Come Together

Come Together

ライ・クーダー証言  [https://kingfish.hatenablog.com/entry/20090818">rockin'on2009年 07月号から)

[ライ・クーダーは]キースに興味深いオープンGチューニングを教えてやっていた。クーダーは“ホンキー・トンク〜”が完成する前にアメリカに帰国したが、数ケ月後このシングルのギター・リフが「おれがやったのとそっくりなのを知って、背筋が凍った。キース・リチャーズはあっという間におれの手法を丸呑みしやがったに違いない」。キースはこれまでずっとクーダーから受けた影響を非常に控えめにしか語っていない。だが95年の『MOJO』誌では「あいつのできること、チューニングとかいろいろは全部いただいたよ。ま、かっぱらったと言ってもいいな」と言っている。

  • 「ギミー・シェルター」

「パフォーマンス青春の罠」の監督はアニタの元カレで、キースへのいやがらせに、映画でミックとアニタを恋人設定に、そしてそれは現実に。

うすうす感づいてはいた。においはたいていミックからした。なんのそぶりも見せなかったから、逆にあやしいと思ったのさ。(略)
何しろ、俺はアニタをブライアンから奪ったんだ。ミックが同じことをしないなんて思っちゃいなかった。ドナルド・キャメルの差し金もあったしな。キャメルがいなかったらあんなことになってたかどうか。しかし、俺だってそのあいだにマリアンヌとやっていた。放ったらかしてるうちにキスしちまえ。じつを言うと、ミックが戻ってきて、あわてて家から飛び出したことがある。(略)
あの美しいふたつの乳房のあいだに横顔を埋めていると、あいつの車が近づいてくる音がして、うろたえた。窓を見て、靴を履いて、窓から飛び出し、庭を突っ切ったところで、靴下を置いてきたのに気がついたんだ。まあ、あいつは靴下を探すような男じゃない。マリアンヌと今でも冗談を言いあうんだ。彼女がメッセージを送ってくる。「あなたの靴下、まだ見つからないわ」って。(略)
とにかくあの日はひどい天気で、外には雨と暴風が吹き荒れていた。(略)外の連中が傘を飛ばされて必死に走っているところを窓からながめていて、そこでアイデアが浮かんだんだ。(略)ちきしょう、俺の女は映画の撮影でミック・ジャガーと入浴中か、なんて考えちゃいなかった。考えていたのは、自分の心じゃなく、ほかの人間の心に吹き荒れる嵐のことだ。たまたま、あの瞬間ふっと浮かんだのさ。“スレットニング・マイ・ヴェリー・ライフ・トゥデイ″。危険な感じだ、いいぞ。

ソングライティング

曲を書きたくなるのはなぜだ?人間ってのは、ちょっと自分を伸ばして、ほかの人間の心に入りこみたくなるんだ。人の心に自分を植えつけたくなる。少なくとも、そこで共鳴を得たくなる。得られたら、ほかのみんなが自分の楽器以上の大きな楽器になる。人の心に触れずにいられなくなる。人の記憶に残り人の心に届く歌を書いたら、つながることができる。心を触れあえる。俺からみんなをつなぐ糸ができる。ときどき俺は思うんだ。ソングライティングというのは心臓発作を引き起こさずに、なるたけ強く心の琴線を震わせることだって。

「ブラウン・シュガー」

[ジム・ディッキンソン談]
ミックは「スカイドッグ・スレイヴァー[空飛ぶ犬の奴隷商人]と言っている(書くときは“スカード・オールド・スレイヴァー[傷跡のある老いぼれ奴隷商人]”となっているが)。どういうことだ?マッスル・ショールズではデュアン・オールマンがスカイドッグと呼ばれていた。四六時中ハイだったからだ。ジャガーは誰かがそう呼ぶのを聞いて、かっこいいと思ったから使ったんだ。

女たち

ビアンカと親しくなったのは、しばらく経ってからだ。ミックは自分の女と俺が話すのをいつもいやがった。あいつが別の女といちゃついているのがわかると、結局みんな俺の肩に顔をうずめて泣くことになるからだ。俺にどうしろってんだ?この肩に顔をうずめて泣いたやつはいっぱいいたぜ。ジェリー・ホールにビアンカにマリアンヌにクリッシー・シュリンプトン……。あいつらのせいで何枚もシャツをだめにした。ジェリー・ホールはある日、逆向きに綴られた“あなたの永遠の愛人になります”ってほかの女からのメモを持って、俺のところにやってきた――すばらしい暗号だな、ミック!鏡の前で見りゃ一発だぜ。

「ハッピー」

天空の霊気から曲が飛び出てきた好例は「ハッピー」だ。ある日の午後、わずか四時間でできた(略)
あれはローリング・ストーンズのレコードじゃない。ストーンズの名前になってるが、じつはドラムスはジミー・ミラーで、バリトン・サックスをホビー・キーズがやった。基本的にはそれだけだ。あとで俺がベースとギターを多重録音した。その夜、みんなが本セッションに来るのを待ちながら、こう思ったんだ。俺たちは今ここにいるんだ。何か思いつかないかやってみようぜ。(略)五弦のスライドでいくことにしたら、いきなりできた。そんな感じだ。みんなが来るころには、すっかり出来上がっていた。

Happy

Happy

グラム・パーソンズ

あいつといるあいだはずっとプレイしてた。二人で曲も書いた。グラムが自分の音楽をどんなに深く愛していたかは、筆舌に尽くしがたい。あいつは音楽のためだけに生きていた。(略)あいつは俺に似ていた。(略)
俺はグラムからいろんなものを吸収した。例のベイカーズフィールド式のメロディや歌詞の変えかたを。(略)
カリフォルニアの農場と油田という移民の世界から生まれたブルーカラーの歌詞。少なくとも五〇年代と六〇年代には、カントリーの原点はそこにあった。そのカントリーの影響はストーンズのなかに浸透している。「デッド・フラワーズ」や「トーン・アンド・フレイド」や「スウィート・ヴァージニア」、そして俺たちが自分たちで出す前にフライング・ブリトー・ブラザーズのアルバム『ブリトー・デラックス』のためグラムに提供した「ワイルド・ホーシズ」を聴いたら、そいつがわかる。(略)
ミックはグラム・パーソンズを快く思っていなかった。それを知らないのは俺だけだった。(略)俺にほかの男友達ができることにミックが激しく嫉妬していた(略)あいつは妙に独占欲の強いところがあった。(略)俺に自分以外の友だちを持ってほしくないんだ。

ワイルド・ホーセズ

ワイルド・ホーセズ

  • フライング・ブリトウ・ブラザーズ
  • カントリー
  • ¥250

明日につづく。