絵とき 広告「文化誌」

 

絵とき 広告「文化誌」

絵とき 広告「文化誌」

看板のシャレ

表具屋はダルマ、そのこころは、糊は法(のり)。仏の道に通じたダルマさんというわけ。鉄のこん棒を持った赤鬼は薬屋。腹痛にこれさえあれば、鬼に金棒!質屋は将棋のコマ、入ると金になる。(略)餅屋には飛びはねる馬。荒れる馬でアラウマ、あらうまいのしゃれ。(略)おとなしく荷を運ぶ馬もいた。なぜかなれば、うちの餅は脚腰つよくて、うまい!菓子屋にはふとっ腹のタヌキ。ハラつつみを打つほどうまい。(略)銭湯は弓と矢をつり下げた。弓射るとかけて、湯入る。弓と矢、ユヤ、湯屋!(略)
[酢屋は竹で編んだ簀(す)をかかげたり、底がない曲物の輪っぱをぶら下げ、矢が素通りで、「素矢」]

岸田劉生の父、岸田吟香、眼病が縁でヘボンの助手に。1865年ジョセフ・ヒコが読んだ欧米の新聞を聞き書きして民間初の新聞『海外新聞』創刊。1866年にはヘボンと日本初和英辞典を編纂。1871年にはヘボン直伝目薬「精き水」を販売。(←「き」は「金と奇」なのだが、なぜかはてなで文字化けするのでひらがなに)

新聞の威力を知り抜いていた吟香は、フルに活用する。たとえば、精き水で目が治ったと読者からの投書とみせかけた記事広告。実際は行われていない精き水の効用の講演会を、連載した記事広告。錦絵新聞を広告に転用して絵草紙屋で売らせたり、フランチャイズ方式で全国に販売店を開いたりと、アイデアいっぱいの大広告主になった。

人力鉄道。

“人車鉄道”と呼ばれ、二人の人夫で押す小さな有蓋客車が間隔をおいて何両が動くというもの。伊豆と相模にちなみ「豆相人車鉄道」。

「人車鉄道の沿道は名所旧跡多く、山緑にして海碧く、夏涼しく冬温かなれば、真の仙境とは此の土地なるべし」「人車鉄道の達する熱海・伊豆山・湯ケ原の各温泉は何れも諸病に霊効ある避暑に適当の土地なり

平坦地では車背を押して徐行し、登り坂にかかると一歩一歩喘ぎながら、満身の力をこめ、額に汗を流して押し上げるので、牛歩遅々として進むが、ひとたび降り斜面にかかると、人夫達はヒラリと後部のステップに飛び乗り、片手で身体を支え、片手で制動桿を操作しつつ滑走する。速度が加わるので、あわや前面の断崖から海中に飛び込むのではないかとハラハラすることもあった。事実勢い余ってブレーキがきかず、脱線転落するという惨事が新聞種になったこともある。
(略)
 上り坂になると上等客は乗ったまま、中等は降りて歩き、下等は車丁とともに押す。それでも旅行客はたのしんだ。全長25キロ、三時間半ほどかかった。
(略)
好評で各地に施設された。柴又帝釈天参りの帝釈人車鉄道をはじめ、北海道一、岩手一、栃木五、千葉三、静岡二の十二路線。総延長123キロに達した。
(略)
[その後、蒸気に変更するためレール幅を拡張、その工事状況が芥川の『トロッコ』の一節、豆相は熱海鉄道会社に改称。]

男女混泳禁止

「浴場中には男女混同にて、荒波の急に注ぎ来る時などには、慣れぬ婦人は狼狽の余り、先ず誰にても手近く立ちたる人にすがりて扶けらるる場合もあれば、之が媒介となりて如何なる椿事の起きるやも知れず」と、明治22(1889)年の朝野新聞。浴場とは海水浴場のこと。(略)
 その前年、「婦女の為特に設けたる浴場に於いては附添人の外男子をして混浴せしむるべからず」という、“水浴場取締規則”ができた。海にロープを張ってオトコはあっち、オンナはこっちと別々。オンナの浴場に、オトコは子どもの父親だけ。違反すると処罰。明治39年になっても、「濫浴するは宜しからず」と朝日新聞が書くほど、きびしい時代。

警視庁の登録番号が第一号(第二号は森永)(略)“ナンバーワン自動車”と呼ばれたキリンビールの宣伝カー。明治40(1907)年ころに登場した。スコットランドはアーガイル社の四気筒・十五馬力。でっかいビール瓶をのっけた奇抜な発想。おそらくわが国初の仮装自動車だろう。看板屋の奈良田吉兵衛がつくったビール瓶が重すぎて、九段坂が登れず失格。ズック地の張りぼてに、白ペンキ仕上げでOK。配達をしながら東京を走りまわって、注目をあつめた。(略)あまりに人目をひくからか、警視庁からおとがめがあった。瓶の先っちょをちょん切れ!

実弟が社長のアルス社児童文学文庫企画を文春がパクったと

白秋激怒

「この大胆、この暴悪、この冒涜を何としますか」「怒ったのです。私は怒ったのです。怒らずにはいられないのです」「菊池寛何者であります。寛の芸術何程であります」と北原白秋
 「白秋氏の如き天馬にも比すべき芸術家が、御舎弟の出版事業に熱狂して、自分に喰ってかかっていられることは非常に気の毒です」と菊池寛
 昭和2(1927)年、ふたりは新聞広告の文中でののしりあった。その年、白秋42歳。歌人として頂点に座していた。菊池寛39歳。(略)
[朝日新聞広告、上段にアルス社、下段に興文社と文藝春秋杜の連合軍]
アルスは怒った。うちの企画を盗んだ、営業妨害だと。かくして前代未聞の、歌人と小説家のけんかがはじまった。
(略)
連合軍は総理大臣と、文部大臣の推薦文を掲載。毎年、小学生に一万八〇〇〇円の奨学金を提供すると広告すれば、アルスは皇族もご予約になったと応戦。五月二十五日、アルスは「満天下の正義に訴ふ」の大見出しで白秋は、
「私は大義の上に立ち、人間として、芸術家として、また信ずる肉親の弟の兄として、堂々と闘います。信ずる道の上に於て、元より身命を賭してゐる私であります」「文相の推薦文を偽造し、一万八〇〇〇円の奨学資金提供の美名を借り……一国の文教の蹂躙者を……この毒瓦斯を私は戦慄します」。前出の「怒ったのです」につづき、「増上慢者よ、自己の賤卑を、繊弱を知れ。矯小にして知る無き汝に、やがては来るべき天譴は下る」と、いいたい放題。さらに「私は天下の児童を愛します。さうして弟を、ああ、私は私の弟を愛します」。
三日後、連合軍は、「待て!しかして見よ!満天下の正義をして苦笑せしむる勿れ」のタイトルで、前出の「白秋氏の如き……」につづいて、「唯黙殺のみ」と切りすてた。だけど気になったらしく六月七日、署名入りではないが「正しき者常に正し」、推薦文は新聞記者が文部大臣と会見して承認を得ている。そして、「軽率にも妄りに汚名悪名を以て正しき者を傷けんとする卑劣な企ては、物の見事に粉砕されたではありませんか。今彼等何の顔色あって社会に直面することが出求るでせうか」「『小学生全集』のために憂慮して下すった皆さま、どうぞ御安心下さい」「実に『小学生全集』万歳!万々歳ではありませんか」
(略)
両者とも膨大な広告費をつぎ込んで、発刊計画は頓挫。いずれの全集も、完結することはなかった。

明治20年の図々しい嫁募集広告

一、無財産にして負債アリ。ただし償却の方法確定せり。
一、現職は奏任五等にして上給俸を受ける。
一、たとえ現職を辞めても独立生計の道アリ。だめなら離婚を許す。
一、和漢学の素養と美学を修め、翻訳の能カアリ。
一、身体壮健にして活発なれど、酒・タバコはやらず。
一、男女同権はもとより許す。東洋風待遇はけっしてせぬことをちかう。
一、年齢は二十九歳三ヵ月。再婚、子あれども他家に養わる。

大正二年、長谷川まつ子の写真入り婿募集と思いきや

・学歴 帝国大学もしくは早稲田、慶応、明治、日本、国学院など官私立大学卒業の方
・年齢 二十三歳以上三十一、二歳まで
・収入 財産は別段に希望はないが、下女一人くらいを使い、中流生活に不自由なき収入
・持参金 金一万円也。ただし十ヵ年間は当方の名義で銀行預金、利息は化粧料に使用す
・身長 五尺五寸以上、中肉、どちらかといえば肥満して血色よき方
・体質 淋病もしくは梅毒など、花柳病にかかっている方

と、なにやら怪しげになってきた。なんのことはない、淋病の新薬の広告である。写真の送り先は星、すなわち星製薬。つまり広告主。「不束なる私の写真と、ホシゴノールの薬品名をお忘れなきよう」と結んでいる。
 楽しみながらつくったにちがいない。

うーん、さすが星新一の父。広告の現物写真「ホシゴノール」でぐぐると一発で出ます。ついでに「毒滅」でぐぐると森下の梅毒薬広告が。