- 作者: 岩村充
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/09/05
- メディア: 単行本
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1833年に銀行券が法貨とされる一方で、その発行高に対して比例的な金準備の保有を義務付けられるようになります。そして、1844年にはピール銀行条例という法律が制定され、イングランド銀行に銀行券の独占発行権が認められ、これで中央銀行であるイングランド銀行を頂点とする金本位制のモデルが完成したと言われています。
(略)
[ピール銀行条例制定は黒船来航の9年前にすぎない]
私たち日本人は、開国そして明治維新というプロセスの中で金本位制というものに接したせいか、金本位制というのは西欧先進国で確立した伝統ある貨幣制度の大原則のように思っていることが多いのですが、実はそれほど普遍的な制度だったということでもないのです。しかも、中央銀行による金兌換ということが金本位制の本質だとすれば、そうした正統的金本位制は1930年代の世界大恐慌の中で次々に停止あるいは廃止されていきますから、その制度としての存続期間は百年足らずでしかありません。(略)
金貨あるいは銀貨の時代と現代の貨幣制度をつなぐジョイントのような位置にあると考えた方が良いかもしれません。
日本の金本位制コンプレックス
1885年に発券業務を始めた日本銀行が何を裏付けにして銀行券を発行したかというと、これが金ではなく銀でした。(略)
[1871年の]新貨条例により金本位制を目指しながら西南戦争という内戦によって挫折した明治政府は、松方財政によるデフレという代償を払いながらも財政を立て直し、金とのリンクは無理でも国内向けに銀に貨幣価値をリンクさせるというところまで持ち込んだわけです。
銀とのリンクは優れた現実策だったと思いますが、これには副作用もありました。そうした「やむを得ずしての国内限定銀本位制」という気分が、その後の日本に「金本位制こそが正しい通貨制度」だという認識を強くインプリントすることにもなったからです。これは後における金本位制復帰と停止を巡る経緯の中で、日本の決定が微妙にタイミングを外してしまう原因の一つにもなっていきます。(略)
[日清戦争の賠償金で念願の金本位制へ。第一次世界大戦で世界中一斉に金兌換停止。]
問題はその後で起きます。
第一次世界大戦が終結すると、欧米各国は急速に金本位制に復帰していくことになります。(略)[1922年のジェノア会議で]旧平価によらない金本位制復帰も対外債務不履行に当たらないというコンセンサスが成立した[から](略)
ところが、日本はこの波に乗り遅れてしまいます。(略)平価での復帰にこだわったことが大きいようです。背景には平価を切り下げるなど、日露戦争と第一次世界大戦を経て強国の仲間入りをしたはずの日本、その日本にとって屈辱だ、という大国意識があったように思います。
金兌換にこだわる日本・巨利をむさぼる財閥
[1929年末ようやく金兌換復活、だがそれは最悪のタイミングだった]
当時の雰囲気では世界恐慌があれほどまでに深刻になるとは予想されていなかったようで、その点からみれば金解禁という最初の判断自体を責めるのは井上に対して酷でしょう。問題があったとすれば、その後で、大不況が深刻化する中、まるで意地になったように金兌換政策を維持し続けたことの方です。
(略)
[1931年9月]金本位制の総本山ともいうべきイギリスまでもが金兌換を停止したにもかかわらず、なお金解禁政策を維持し大量の投機を浴びたことは、単なる経済財政問題にとどまらない影響を日本に与えました。この投機の中心的役割を演じたのが当時の財界の主導的立場にあって自由主義経済を標榜していた三井財閥だったこともあって、「人々の苦しみの中で巨利をむさぼる財閥とその活動を許す政党政治」という見方が図式として定着し、そうして図式化された政治経済体制への反発が、財閥を抑えて軍部が国家を指導すべきとする昭和軍国主義の思想的底流になっていったからです。
- 金以外のアンカー
第一次世界大戦後ドイツの猛烈なインフレを停止させたレンテンマルク。地代・地租徴収権を意味する「レンテン」。
猛烈なインフレの中で走り回るほかなかった一般の人々がそこまで[レンテンマルクの仕組みを]理解していたとは思えません。おそらく19世紀まで存在していた「レンテン」という用語を使うことで、貨幣が土地を裏付けにすることになる、それなら何の裏付けもない紙幣マルクも少しは安心なものになるだろう、という気分を起こすことに成功したことが重要だったのではないでしょうか。
レンテンマルクは、名目価値の海を漂ってしまっていた紙幣マルクに対して、その発行銀行であるライヒスバンクのバランスシートに土地の経済価値という実質価値を押し込み、それで当時の貨幣価値全体を漂流から救ったのだというように言っても良いでしょう。
繰り返しになりますが、レンテンマルクが「奇跡」である理由は、レンテンマルクを発行し始めたとたんに、紙幣マルクの際限のない価値崩壊にストップがかかったことです。レンテンマルクは紙幣マルクを退場させてインフレを止めたのではなく、インフレを止めて紙幣マルクの機能を生き返らせたのです。重要なのは、レンテンマルクが実質価値の裏付けを持っていたということではありません。それは仕掛けの上からも当たり前です。そのことではなくて、レンテンマルクを通じて、制度的にはまったくの不換紙幣であることに変わりがないはずの紙幣マルクの価値が安定し、その流通も実取引を反映して回復していったということが大切です。
国債というアンカー
18世紀フランスのミシシッピー会社が「事件」になったのは、不換紙幣を使って国債を買い支えたからですが、これは長持ちせず五年ほどで崩壊しました。それに対して国債を大量に買い入れている第二次世界大戦後の世界の貨幣制度は五十年を超えて安定しているようにみえます。いったい、なぜなのでしょうか。
(略)
現代の政府とルイ王政下のフランスのどこが違うかといえば、この財政運営に関するスタンスです。このことは、貨幣のアンカーというものについて、私たちに重要なヒントを与えてくれます。それは、一定の条件を備えた財政運営を前提にすれば、中央銀行が保有する国債はバブルの原因になるのではなく、むしろ貨幣価値のアンカーになってくれるのではないかという予想です。
シルヴィオ・ゲゼル
[1916年] ゲゼルが提案したのはスタンプ付紙幣と呼ばれる方式です。これは、紙幣の保有者に保有期間に応じた枚数のスタンプを購入させ、そのスタンプを貼り付けておかなければ貨幣としての価値が維持できないと定めておくという制度です。
(略)
ゲゼル型貨幣は既存概念への挑戦という点では、貨幣に関する歴史の中でも特筆すべきアイディアでしょう。ところが、彼のアイディアについては、ケインズが『一般理論』の中で「不当に無視された予言者」と呼んで多くの紙幅を費やして議論しているのを除けば、いわゆる「正統的な経済学」の世界ではほぼ完全に無視されてきました。(略)その結果、ゲゼル型貨幣と言えば、いわゆる地域通貨運動の貨幣であるかのように解釈されてしまった
もっとも、ゲゼルがスタンプ付紙幣を提案した理由は、素直に経済学的な問題意識によるものだったようです。ゲゼルが考えたのは、実物財として市場で取引される多くの商品が腐ったり時代遅れになったりして時間の経過とともに劣化して行く中で、貨幣だけが腐りもせず時代遅れにもならずに価値が維持されるのはおかしいというものでした。彼の考えは、貨幣の保有にコストをかけさせ、時間の経過とともに価値が劣化するような仕掛けを作った方が、貨幣が退蔵されることがなくなり、人々の経済活動への参加が促進されるはずだというものだったのです。
経済が縮小してゼロになるという極端なシナリオ
そうした状況でも貨幣一枚がパン一枚と常に同じ価値を持っているのが良いのかどうかは悩ましい問題です。そうした世界で物価が完全に安定していたら、最後の最後には、パン一枚だけの実物財とパン数百万枚にも相当する貨幣が残っている状態に行き着いてしまうはずだからです。もちろん、この場合でも、政府がどんどん税率を引き上げれば貨幣もどんどん還流しますから、物価を安定させておくことは理論的には可能です。でも、そんな乱暴な課税政策によってまで貨幣価値を支える意味はどこにあるのでしょう。(略)
貨幣は財の交換つまりは人々の経済活動を便利にするために生まれたものだったのですから、その経済活動が縮小して消えていくときには、貨幣価値もだんだん縮小していき、すべての経済活動が終わる最後の最後には貨幣価値も静かにゼロになるという方が望ましい、そう考えることもできるのではないでしょうか。