夜戦と永遠

第二部「ピエール・ルジャンドル〜」をチラ読み。

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル

夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル

中世解釈者革命とは何か

[6世紀に]編纂された『ローマ法大全』は、11世紀末に「再発見」されるまで全く「理解不能」なものとされていた。(略)
[再発見されたローマ法を読解・注釈・修正・編纂、インデックスをつけ検索可能にする]
こうした、まさに「文書化」の「情報化」の作業が延々と繰り返されていった。「権力の姿をデッサンし直すためのドグマ学的な組み立て作業の職人たち」の黙々とした作業が。「目録」を作り、註釈と本文の「並列表記」を案出し、それを足場として「文法的な小さな操作」を加えていく。そう、それはローマ法の条文や断片のちょっとした抹消であったり、消去であり、書き換えだった。地道にすぎる法典編纂の作業のなかに、静かに浸透していく「書き換え」の、地味だがあからさまな作為の作業。「複写、裁断、文法的操作の、極めて精緻化された政治的な手続き」。偽作の作業。「たとえば、ある断片の著者を変えるとか、ある接続詞を削ったり加えたりするとか、テクストを短縮してしまうとか等々……」。だから、その影響下に未だにあり続ける「近代ヨーロッパはこう考えるのだ、ひとつの文章は、無限に書き直せると」。このようなことすら、ヨーロッパのヴァージョンにすぎないのだ。
 こうして、このような繊細で気の遠くなるような作業が200年以上続く。ここにおいて、テクストはわれわれが知っているような「テクスト」になる。つまり、文書に。情報の器に。

「脱宗教化」したように見せかけて世界をキリスト教

「情報技術革命」が、ひそやかに「生ける文章」を侵食していく。なぜすべては情報によって、データベースによって解決できるのに、あのような「野蛮」な上演された姿などが必要だというのだろうか。テクストは文章であり、情報なのに。あのようなイメージや歌や儀礼など、必要ないではないか。
(略)
かくして宗教は衰退し、そこに〈国家〉は誕生する。しかし、事態は何も変わっていない。逆に言えば、世俗化とは根拠を担う〈生ける文章〉を〈国家〉の名のもとに、より扱いやすい「可塑的」な形で丸ごと保存しつづけるひとつの術策でしかないことになる。
(略)
近代国家はルジャンドルの言う「キリスト教規範空間」の内部にいまだにありつづけている。ということは、世俗化という概念は、このキリスト教規範空間の更新と延命と拡大のための「アリバイ」として機能したということになる。(略)
世俗化において、ヨーロッパで生れた制度は「脱宗教化」され、「客観化」され、「中性化」したとみなされた。だからそれは普遍的であり、ゆえに世界大にまで拡大することが可能であり、さまざまな社会の制度に輸入され、世界のさまざまな国家の制度はすべて「近代化」することになった。グローバルな世界がここに誕生した。しかしルジャンドルはこの過程を、正確に「改宗の事業」と呼ぶ。世界の近代化は、キリスト教への改宗に他ならない。もっと正確に言えば「征服」に。

「信仰の自由」

[ルジャンドルは言う]
「信仰の自由」というのがまたとない西洋の武器なのですよ。(略)アフリカでは、誰も個人の意志で神を選んでいるわけではないし、それはいかなる意味でも私的な信仰ではありません。だから「信仰の自由」というのは、一見公平な開かれた条件のように見えますが、それ自体すでにきわめて西洋的な枠組みであって、それを輸出すれば西洋は自らの概念装置を輸出したことになります。

広告と〈解釈者革命〉

 広告とマーケティングという武器を携えた管理経営、マネージメントは、根本的に〈解釈者革命〉の後継者でありつづける。いうなればその鬼子でありつづける。彼らは〈解釈者革命〉が起動したテクストの情報化の忠実な狂信者として、〈国家〉も〈法〉すらも押し流そうとする。それらは、自らが法学者であることを認めない法学者であり、ゆえに法無くして「統治術」の再編のみで事を済ませられると思い込んでいる。すでに語ったように、それは系譜原理を「国家」に丸投げし、後ろ手でイメージや詩的な「隠喩」を操作するのだ。自分がドグマに携わる者であることを認めたくないだけがために。「損失補填」なしに博打を打つことを恐れているがゆえに。

何かが終わりつつあるのだとすれば、それはたぶん中世です

 ピエール・ルジャンドルは言う、何も終わらないと言う。片がついたものなどありはしないと言う。いま何かが終わりつつあるのだとすれば、それはたぶん中世です。
(略)
いわく、官僚制は終わらない。いわく、封建制は終わらない。いわく、法は終わらない。いわく、儀礼は終わらない。いわく、われわれが野蛮から脱することなどない。そして彼は言う、「宗教が終わる? 宗教が無くなることなどない。近代化は万能ではない」

つづきの第三部フーコーは後日。