再現、ビスマルク、トウェイン、キプリング

インタビュアーのバイアスがかかった描写とはいえ、歴史上の人物が鮮やかに再現されて不思議な気持に。と言いつつ人物描写部分は割愛して面白トークを主に。

マルクスからヒトラーまで インタヴューズ 1

マルクスからヒトラーまで インタヴューズ 1

  • 発売日: 1998/10/29
  • メディア: 単行本

ビスマルク、立憲議会政治を語る

わたしはロシアの路上で、学士の学位をもった夜警に何人も出会ったことがある。こんなに残酷なことはあるだろうか、こんなにばかげたことはあるだろうか。そういう連中は、自分より上にあって繁栄しているものを目にすると、羨望と憎悪をいだき、たちまち陰謀と犯罪に走る。かれらはものごとの建設には適さず、破壊する知恵しかもっていない。あがなうよりも損害を与えることのほうが、ずっとたやすい。そこでかれらは悪事をはたらき、それをあがないだと称する。
(略)
立憲議会政治というものは、きわめて高度な政体である。その基礎になるのは、広範で特別な知識と、多数の賢明な妥協だ。すっきりした英語でいえば、つまり、ギブ・アンド・テイクだ。これを無知な連中の手に、政治の歴史も現実もまったくわきまえていない理論家、夢想家、狂信者どもの手に、ゆだねることは、まったく愚かなことというか、危険にあふれた狂気の沙汰というべきだ。かれらにたいして唯一相手となるのは、強大な権力だ。もちろんそれは公平で高潔なものでなければならず、もしできることなら、慈愛にあふれたものであるべきだ。いっぽう、無制限な権力とその行使は、役人を強くしてしまう。結局はかれらも人の子だから。官僚形式主義は不快で有害なものだ。だが、国家の権力と威厳をあまり極端に制限するのも賢明ではない。英国の場合は、議会が国家権力に干渉する機能をもちすぎ、政府を困らせているように思う。ロシアはその正反対だ。とはいえ、英国は長らく議会制をつづけてきた国だから、国民も政党活勣にはなじみがあるし、肝心のときにはたがいに譲歩が必要なこともよく知っている。ところが、さっきもいったように、ロシアは自分たちがなにを必要としているのか、いつ主張をつらぬき、いつ譲歩すべきなのか、わかっていない。かれらは自分たちの理解できない政治における過激主義者であり、場合によってはドグマと観念の餌食になっている。

マーク・トウェイン著作権を語る

著作権? まあ、道義的な人も、そうでない人もいる。(略)
以前、一筋縄ではいかないやつがいた。もう死んでると思うが、よく短編を持っていかれたよ。ああなると泥棒とも海賊とも言えない。はるかに上だ。一つずつ短いのを取っていっては、まとめて本にしてしまう。(略)
物書きを雇って、きっちり商売にかなうように、加筆したり削除したりする。そのうちに『マーク・トウェインの歯科医論』なんて本が出る。(略)神学でもって、もう一冊できる。切りがない。ああいうのは非道だ。侮辱ものだ。もう死んでるだろう。私が殺したわけじゃないが。
[国際間の著作権問題]
 不動産の流儀でいけば、おのずと解決する。もし国会が、人の寿命は160年を越えるべからず、なんて法案を持ち出したら、お笑いぐさだろう。該当者なしだよ。人間が司法の外に出る。著作権の年数条項は、まさにそういうことなんだ。(略)
 カリフォルニアにトトルタウンという町が(略)できあがって、繁華になって、消えた。いまから行ったって跡形もありゃしない。町は死んだ。ロンドンは滅びていない。ビル・スミスという物書きが一冊の本を出して、その翌年くらいまでは読まれたが、あれはトトルタウンの不動産だな。ウィリアム・シェイクスピアの書いたものは津々浦々で読まれている。ああいうのはロンドンの不動産だ。ビル・スミスにも、とうにお亡くなりのシェイクスピアにも、しっかり不動産を管理するような同等の権利を持たせればいい。これを賭博や酒で人手に渡すのも勝手。教会に寄付するもよし。相続した人間もまたしかり。

トウェイン、自伝とは

自分の意志とは無関係に、あるいは必死に逆らおうとしても、人間が本当の姿をさらけだすのが自伝なのだという。
 「ミシシッピ川での暮らしの様子は、相当に自伝的だったのでしょう?」と私は言った。
 「可能なかぎり。自分について本に書こうとするときの限界までは。ただ、純然たる自伝を書こうとすると、案外、真実は書けなくなる。なおかつ読者には、その真実をめぐる印象だけは伝わるものだ。(略)
[友人に自伝を書かせてみたところ]
すこぶるつきの正直者であるのに――その人生上、私も熟知している逐一の点において、とんでもない嘘つきになっていた。そうなってしまったのだから仕方ない。
 自己の真実を書くなんて人間性に合わない。ところが書き手がペテン師だろうが正直者だろうが、読者にはおのずと伝わる印象がある。たとえば、ある女の髪も目も歯も姿形も覚えてはいないのに、いい女だと思ったりしたのはなぜかわからないように、読者にもわからない。それでいて伝わる印象は正しい」
(略)
少々の打ち明け話があった。初対面で聞ける程度ではあるが、成長期のことや、両親はいかなる前例となって影響を残したかという話だった。濃い眉の下に目が光っていて、その目がしゃべっているようだ。ほどなく少女のような軽やかな足取りで室内を歩きだし(略)
彼が私の肩に手をのせるということが、たしかに一度だけあった。これはインド星勲章を授けられたのに匹敵する。(略)今後、人の世の有為転変によって、この私が落ちぶれ果て、救貧院に身を寄せる仕儀となったとしたら、監督官にこう言おう――かつてマーク・トウェインが私の肩に手をのせた……。そうすれば私には個室があたえられ、タバコの割り当ても二倍になるだろう。

キプリング

さて上記のマーク・トウェインにインタビューできて感激ですと書いているのはキプリング、自分も新聞記者だったキプリング。そんな彼がインタビューされる側になると。

[記者と聞くと、有刺鉄線をくぐって逃亡、追いすがる記者に]
「インタビューお断り。あんなものは犯罪行為だ。されたことはないし、される気もない。天下の往来でひとを襲うとは不埒千万。[書面で提出せよと言い残し脱兎のごとく逃亡。どうにか部屋に通されるも]
(略)
「はて、何の用ですかな。なぜ個人の家へ踏み込むのです? インタヴューはお断わりだと言いませんでしたか?」と、ポンポンまくしたてる。(略)
「なぜ私がインタヴューを拒むか? 道徳に反するからですよ。犯罪に等しい。身体に危害を加えるのと同じで、処罰の対象となっていいものだ。卑劣にして悪質。まともな人間ならインタヴューなどを求めず、いわんや応ずることはありますまい」
(略)
いつぞや、ある小さな町で殺人事件があったというので、フィラデルフィアの記者連中と出かけたことがあったが、やつらの筆にかかれば、地獄さながらの悪の町になってしまった。いやはやセンセーショナリズムというものだ。まったくご免こうむる」(略)
「何も書かないでほしいね。引用されたくないから」
(略)
[最後の捨て台詞は]
「ええ、野人ですよ。それでけっこう。かまうもんか。そのように書いたらよろしい」

疲れたので明日に続く。