石堂淑朗回顧録

「頭の中で虚実がすぐに入り乱れてしまう昨今のことだから、怪しい」などと書いてる著者。

偏屈老人の銀幕茫々

偏屈老人の銀幕茫々

憧れの同級生をレイプされて包丁を片手に駒場寮に突入するも逆に投げ飛ばされて未遂、噂が学内に広まり学校に行き辛くなったなどという思い出話。その相手がのちの藤田敏八。もし刺殺成功していれば、藤田敏八石堂淑朗も存在してなかったのか。
酔っ払いながら将棋でコテンパンにしてたら怒った種村季弘が耳に噛み付いてきたとか昔の東大生は激烈。[種村を偲ぶ会の発起人の顔ぶれは若い世代。病気で欠席した石堂、世代が違いすぎて話が合わなかったとは出席した松山俊太郎の談。若い世代ってツボちゃんたちのことだろうな]

藤田は学生時代、繁と名乗っていたと記憶している。その後、繁矢になったり、敏八になったりと、しょっちゅう改名するので気にしていたら、果たせるかな高級官僚の婚外子だと言うのである。
 このことを知った時、彼が、乱暴な手段で私の初恋の女に手を出した事の意味が多少理解できたのであった。
(略)
[40歳代になって同窓会があった数日後に再会]
その頃売れていた小型車ミゼットを彼が運転していた。ギアを入れながら言うのだ。「まだ怒っているのかね」例の某女レイプのことである。(略)
 某女もじつに久しぶりに顔を出していた。「まだ怒っているのか」と彼が唐突に言ったのは、某女と久しぶりに同席したことを言っていたのだ。こういう重大なことをさり気なく口語体で切り出すのは彼の映画と同じスタイルである。答えようもなくて黙っていると、話はそのまま途切れた。それはいいのだが、ミゼットが一向に動かないのだ。私が重すぎるのとミゼットのエンジンが弱すぎるのだ。「降りてくれ」、私は坂道の途中で歩き出し、ミゼットはそのまま走り出した。

妄想が止まらない

内緒事を書き始めたら、記録映画監督の松本俊夫が、あの時代日共党員であることを隠したまま大島渚に接近したのかどうか、それは党の文化指導部の方針だったのか否かが気になりだした。しかし私の妄想はさらに翼を得て幾らでも飛びたがる。同時代の山田洋次は実は秘密党員だったりはしなかったのだろうか。いかにも日共の秘密党員にぴったりである。

新婚大島渚宅に佐藤重臣が花の新進監督同士で盛り上がるだろうと浦山桐郎を連れて行った。新妻小山明子が出したスパゲティをこんなもの食えるかと投げ飛ばす浦山。

 要するに浦山は大島と反りが合わなかったのだ。新人監督として売り出した途端、時の看板女優(略)と結婚して豪邸とはいわないが、とにかく新居を構えた典型的立身出世型の京都人と、東京調布市の一角に転がっていたオンボロ木造アパートに、全く売れない新劇女優と暮らしていた素浪人タイプの浦山が、話が合うわけは無かったのだ。
(略)
[松竹退社となった『日本の夜と霧』試写]
社長城戸四郎を真ん中に左右を大島、石堂が控えた。上映が終わった直後、いきなり城戸が高飛車に、こんなもの一体誰が見るのかね、と切り出した。「社長、若い連中が一杯押しかけて来ます」「信じられん」この繰り返しが延々と続くだけであったが、大島の爽やかな断言調が徐々に城戸を追い込み最後城戸は負けて退席という形になった。(略)言い負かされて段々と引いてゆく城戸の顔を私は今もありありと覚えている。空前絶後の光景だった。(略)
[俺にはこの真似はできぬ、監督にはなれん]
大島の背後をうろついている大男が俺だという思いが大船での未来を絶ったのだ。

幕末太陽傳

監督は川島だが、脚本は彼と今村の合作ということになっている。しかし実際は勤勉な今村一人の書き物と判断してよい。『幕末太陽傳』は落語ネタと品川の英国大使館襲撃事件を絡ませた話だが、川島雄三じつは落語に全く不案内だったという怖い話がある。

吉行淳之介『暗室』映画化。監督は浦山桐郎

[主役の木村理恵は]エロチックな雰囲気は稀薄、演技力弱く、典型的な女中面だった。(略)助演の三浦真弓嬢の方がよほど主役に良い(略)
 この映画には、途中からアメリカ人の見学者が付き纏っていた。一部に熟狂的ファンの居る作家、「アメリカの鱒釣り」のリチャード・ブローティガン、彼は吉行さんのファンで、試写の後一同についてまわリ最後六本木狸穴にあるバーまで来てしまった。ここで、彼が突然この映画全面否定を言い出したのだ。
 これは暗室である。ラストは小説同様に暗い部屋の中で終わらねばならぬのに外のロケーションで陽気に終わるとは何事か。脚本家のお前はどうなんだと厳しい。
[石堂も暗室ラストにしたかったが浦山に押し切られていた]

このとき石堂51歳あたり

この夜は付録が付いた。バーのマダムの別宅に一同雪崩れ込み、乱交パーティーらしき会合が始ったのである。吉行さんは呆れて帰宅、私はマダムの股間に挿入に成功、さあこれからという時に、浦山がブローティガンと怒鳴りあいながら出現、私をマダムから剥がしてしまった。

『俺も女をイかせてみたい』w
石堂26歳初めてヒーヒー言わす

 ところが、いつもショートだからか、私は女も快楽を感じて時には声すら出すということをずっと知らなかったのである。
 だから、ある日、種村が「俺はテクニシャンだからさ、大体の女をヒーヒー言わせるさ」というのを聞いても何のことだか解らないのだった。
 「ヒーヒーって、一体、何のことだ」
 「え?」
 種村はあまりのことに呆れたらしく、しかし、たちまち勝誇った顔になると[性感帯解説]
(略)
 それからというもの、私は赤線に行くたびに、クリトリスに手をやり、乳首を吸おうとするのだが、女たちは一様に私の手も口もはねのけ、
「早く出しな」と冷くあしらうのだ。
 それが三十三年の冬、いよいよ赤線の火も消えようという寒い夜のことだった。
[安くするから泊まりにしないかと言われ](略)
 結局、有金はたいて泊ることにしたのだがその夜、私は、女もまた快感を感じるのだ、ということをはじめて知ったのだった。(略)
 二十六年から三十三年まで、七年の間、女を買いつづけてはじめて女体の神秘を知ったのだったが、それにしても、赤線は間もなく消えようというのだ。おそすぎた。

と全く関係ないが、先日観たシックス・フィート・アンダー、バツ2となったお母さんが持て余した時間でカルチャーセンター三昧、『ブライト・ライツ、ビッグ・シティ』20周年記念ジェイ・マキナニー朗読会に行く行かないてな話が出てワロタ。