「気に掛かる」猫猫先生の読解力

以前、猫猫先生

古代ギリシャ・ローマ文化は中世には忘れられていて、ルネサンス期にイスラームから逆輸入されたとある。村上陽一郎がそう書いているらしく、私もむかし村上に教わって以来長くそう信じていたが、実は間違い。

と書いているけど間違っていますよと
kingfish.hatenablog.com
上記リンク先文章で指摘したのだが、答えにもならない答え。そんな小谷野敦氏が数日後のチラシの裏ブログにこのようなことを書いていた。
2008-05-08 猫猫ブログより

こないだ中から田中貴子の書いたものについて私が言ったことについて何か言う人がいて、しかし彼らがおしなべて『一冊の本』を見ていないということが、私は気に掛かる。そんなに見つけるのが難しいのか、それともブロガーというのは引きこもりが多いから、アマゾンが配達してくれるものしか読めないのか・・・。

えー、この文章のどこが突っ込みどころかというと「村上陽一郎がそう書いているらしく」などと書いている当人が人に説教しているところですね。猫猫風に突っ込むなら、「しかし小谷野が村上陽一郎の本を見ていないということが、私は気に掛かる」だね。なにより「気に掛かる」のは中学生でも気付く矛盾に気付かない猫猫先生の脇の甘さである。「オマエモナー」と2ちゃんねらーに突っ込んで欲しいところである。
だが話はそれで終わらない。さすが猫猫先生、おっしゃるとおりに問題の『一冊の本』を図書館でチェックしたら、恐ろしい事実が判明。
小谷野敦が間違いを指摘した田中貴子氏の文章の抜粋。

 イタリアを中心として十四・五世紀に興ったルネサンスは、「文芸復興」という訳語があてられることもある通り、古代ギリシャ・ローマの文化を規範としつつ中世キリスト教的価値観からの脱却をはかった運動と一般的に理解されている(近年の研究ではルネサンスそのものの見直しが行われているが)。
(略)
ルネサンスが理想化した古代ギリシャ・ローマの文化は、連綿と「古典」として尊敬されてきたわけではなかった。それらを初めに「発見」したのはイスラムの人々であり、西欧ではアラビア語に訳された文献から重訳してはじめてその価値に気づいたといわれている(村上陽一郎『やりなおし教養講座』NTT出版、二〇〇四年など)。

どうですか、この文章から田中&村上が14世紀のイタリア・ルネサンスまで暗黒だったと思い込んでると思い込むのは「私もむかし村上に教わって以来長くそう信じていた」猫猫先生くらいなのです。『一冊の本』レベルの文章ですらまともに読解できない先生の能力が「気に掛かり」ます。
たとえ読解力が不足していたとしても村上陽一郎『やりなおし教養講座』をチェックすればまだ悲劇は防げたのに、なぜそうしなかったのか「気に掛かる」。では村上さんの本をチェックしてみましょう。

やりなおし教養講座    NTT出版ライブラリーレゾナント005

やりなおし教養講座 NTT出版ライブラリーレゾナント005

 先ほど、十二世紀ルネサンスという言葉を使ったんですが、十二世紀までのヨーロッパでは古典的な時代のギリシア・ローマのことを、少なくとも学問の上ではほとんど知りませんでした。(略)
[イスラムがのこしていった文献を調べると]
(略)
いままでまったく知らなかった世界が、知の世界がそこに開けてくる。たとえばいま挙げたアリストテレス

「十二世紀ルネサンス」を語る村上陽一郎の本を紹介する田中貴子の文章を読んで、「村上陽一郎がそう書いているらしく、私もむかし村上に教わって以来長くそう信じていたが、実は間違い」と二人を不勉強者扱いしている小谷野敦。さて、この三人の中にカワイソウな人が一人いるのだが、誰だかわかりますか。
自らコメント欄にこう書き込んでいる猫猫先生

いや、村上に教わった時に私が勘違いしたこともありえますが、田中貴子ははっきりそう書いていて、参考文献は『やりなおし教養講座』です。別に村上を不勉強とは書いていないのだが・・・。「間違い」は田中貴子にかかるのです。

田中貴子も間違えていないのですよ、間違えているのは小谷野さん。「参考文献は『やりなおし教養講座』です」などと書いているくせになぜチェックしないのか「気に掛かる」。
田中貴子にすれば「あわてんぼうね、小谷野クン。それにしてもなぜ村上陽一郎の本をチェックしないのか気に掛かる」というところでしょうか。男女間の感情をこじらせて粘着してくる相手がまともに文章も読めない人だと怖いだろうなあ。
[オマケ]
小谷野先生が田中貴子に推奨した『ヨーロッパ文学とラテン的中世』(正式名称『ヨーロッパ文学とラテン中世』、誤りを指摘したのに本のタイトルさえ訂正しない自分に甘い猫猫先生、万歳!マイルーラ小谷野と呼んであげたい)もついでに引用しておこうか。

ヨーロッパ文学とラテン中世

ヨーロッパ文学とラテン中世

12世紀には「新しい」アリストテレス――すなわち,このギリシア哲学者の自然学,形而上学倫理学政治学の滲透がはじまった. この書物と思想の厖大な群はアラビア語ギリシア語からの翻訳――それはスペインとシチリアでほとんど同時に行なわれたが,この翻訳によって西洋に伝えられた.アラビア語のテキストは,ギリシア語をシリア語に翻訳したものに基づいていた.したがってユダヤ人およびアラビア人の学者と注釈家は欠かすことができなかった

[https://kingfish.hatenablog.com/entry/comment?date=20080507#c">2008-05-07 猫猫ブログへの疑問 コメント欄

jun-jun1965jun-jun1965 2008/05/08 23:51 いや、村上に教わった時に私が勘違いしたこともありえますが、田中貴子ははっきりそう書いていて、参考文献は『やりなおし教養講座』です。別に村上を不勉強とは書いていないのだが・・・。「間違い」は田中貴子にかかるのです。

kingfishkingfish 2008/05/09 00:43 田中貴子批判が主眼であるというのは判りますが、仮に村上陽一郎小谷野敦に入れ替えてですね、「小谷野敦がそう書いているらしく、私もむかし小谷野に教わって以来長くそう信じていたが、実は間違い。」と書かれた文章を目にして、小谷野さんは「うーむ、これは田中批判が主眼であるから、俺は全然腹が立たない」となるのかなという気はします。「俺の講義をちゃんと聴け、俺の本をちゃんと読め」と怒らないですかねw。
同じ田中貴子批判をするなら「村上陽一郎はそんなことは書いていないぞ、不勉強者」とでも書いた方が効果があるのではないでしょうか。
(小谷野さんが村上さんの知識をどうこう言うつもりがないというはわかった上で)プラトンアリストテレスに関しては村上陽一郎の見解の方が小谷野さんの見解より、僕が読んだいくつかの本の説に沿ってるように思われるのですが。

jun-jun1965jun-jun1965 2008/05/10 01:15 いや、村上陽一郎が何か言ってきたら実にしめたもので、あぁすみませんでした、しかし佐伯順子に山崎賞をやったのはなぜだ、と問い詰める、という筋書きつき。

kingfishkingfish 2008/05/10 22:22 日頃、俺が指摘した誤りを訂正しないとはけしからぬと激怒されている方とは思えぬ回答ぶりですね。今度からは「色々あるんだろうな、俺もわかるよ」と人に優しくなれそうですか。学生に誤りを指摘されて「君を試したのだよ」と小谷野先生が答えれば、これがほんとの猫猫だまし。
御本人がノー・プロブレムなら、なんの因果もない第三者は特別言う事はありませんが、金毘羅大明神やチキチキ炎上カレッジといった方々のいい酒の肴ですね。
指摘感謝即訂正で簡単に済む話だと思うのですが、やはり田中貴子ネタということで、錆びたノコギリ膣痙攣なのでしょうか。