モッドと高田渡

ホームレス予備軍が読むと憤死しそうな皿漁り本ゆえスルーしかけたが借りてしまった。
緊急入院&手術のくだりで心和んでしまいました、ファンの皆さんスマンソン。

手術の終わり頃、一度だけ覚醒した。
自分の右脚のほうで医師たちの言葉が一瞬だけ聴こえた。
ピチカート・ファイヴなんだって?」
「こんなオッサンが?」
もちろん夢だったかも知れない。
けれども「このオッサンが?」でも「こんなオヤジが?」でもなくて「こんなオッサンが?」だったことは憶えている

ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008

ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008

小西康陽の考える「モッド」とは

 彼はとても知的でセンスがいい。ただ彼自身は独創的なスタイルを持っているわけでもなければ、何かを作り出すことの出来る才能を持ち合わせているわけでもない。ただ彼に出来るのは、数多くある物の中から、センスの良いと思われるものを選び取ることだけなのだ。(略)
 うまく伝わるだろうか。そう、チャーリィ・パーカーはモッドではない。パーカーはイノヴェイターである。だがチャーリィ・パーカーを支持した白人のジャズ・ファンたちはおそらくモッドなのだ。
(略)
 ボブ・ディランは革新者になったが、高田渡は取捨選択のセンスのあるイミテイターもしくはインタープリターである。だがぼくはディランより高田渡を愛している。レイ・チャールズよりもペドラーズを愛している。ホーギー・カーマイケルよりジョージィ・フェイムを愛している。

意外にデストロイな人なのね

サバービアの御用コメンテイターの小西康陽です
(略)
 右に載せたのはサバービアの橋本徹氏から依頼されて書いたライナーの原稿で、冒頭の“御用コメンテイター”という部分を差し替えて欲しいと再三頼まれたのだが、こちらがそれを断ったために結局ボツとなったものだ。サバービアの犬こと小西康陽です、というのはどうですか? と言ってみたが取り合ってくれなかった。