評伝ウェイン・ショーター・その2

前日のつづき。

フット・プリンツ

フット・プリンツ

「そーか」の魔の手が迫る。
再婚してできた娘が障害児。友人のハービー・ハンコックが自身のバンドのベース経由で入信

ステージのあと、バックステージでハービーはバスターを捕まえると、こう言った。「新しい哲学か何かにはまっているって聞いたんだけど、ほんと?そのおかげであんなすごいベースが弾けるっていうのなら、僕もぜひ、そいつを知りたいんだけど」。バスターは鷹揚に微笑むと、こう言った。「君にそれを伝えるためにも、僕は前から唱題*1していたんだ」。

最初は物欲から

日蓮宗系の教えの場合、題目を唱えるだけで良いとするシンプルな教えゆえに、教義がゆがんだ形で解釈され、その尊さが汚されてしまう場合もある。1970年代、この宗派が全米にそれほど広まる以前、新入信者たちには物質的利益---たとえばメルセデス・ベンツなどの高級外車から、果ては現金に至るまで---を求めての唱題を奨励することも少なくなかった。彼らは仏教の深い教えに対する説明も受けずに、ただただ物欲のままにこれを行ったのである。確かに、日蓮宗系の信徒は現在でも、まずは何でも構わないから自分の欲しいものを手に入れるために唱題することを奨励される。(略)
[これは物欲に走れというのではなく、まずとりあえず唱題をし]
最終的にはそうした欲望によっては真の幸せがもたらされることがないことに気付く

ハンコック経由でまず妻が

ご利益を手にできたことに深く感謝したハービーは、友人らと幸せを分かち合いたいと思い、この教えの素晴らしさを熱心に説き始める。そして、ウェインの妻アナ・マリアにこれを勧めたことで、彼は自らの使命を全うした。題目を唱えることで、イスカ*2の世話による緊張とプレッシャーから解放され、少しでも楽になるのではないか。ハービーはそう考えたのである。アナはこの教えにすぐに興味を持ち、唱題によってイスカの具合が良くなるかもしれないという点に強く惹かれた。でもウェインは最初、それほど興味を示さなかったとハービーは言う。「彼は成長や悟りといった僕らが求めているものを得るのに、儀式に頼る必要はないと思っていたんだ。彼の態度にはちょっと傲慢なところがあったね---いや、ちょっとどころじゃなかったかな。それに、ウェインはこういったことを軽々しく人に伝え、広めるような人間じゃなかった。何かを伝えることにすごく慎重なタイプだったんだ」

優しき夫として妻と一緒に「ナム・ミョーホー・レンゲ・キョー」を唱えたりもするショーターだが、まだ半信半疑。妻・友人に外堀埋められても持ちこたえていたが、ウェザー・リポートが1973年来日した際についに学会からの使者が。
三日教えを説かれ正本堂へ。

「(先生を見て)どのような感じを受けましたか?」ウェインの答えは「ノブ、池田大作氏は僕にこう言ったように思う。私には、自分がこれから何をするつもりなのかがよく分かっています。あなたがこれから何をするつもりなのかも分かっています。さあ、それを一緒にしましょう、と」。

そしてこんな手書きのメッセージ入りポスターを残して日本を発つ。

ノブヘ。思いっきり行こう。そして楽しもう!もっともっともっと!ドウモアリガトウ。アリガトウゴザイマス。1973年8月7日、神々の声が高らかに鳴り響いた日!もうすぐ西暦2000年がやってくる。健全なる未来の父親と母親たちに新世紀を残そう。日蓮大聖人の信徒の未来は真実。なぜなら、今が真実だから!
ウェイン・ショーター

うわー。
ハンコックのサックリ加減と比べると、ショーターは実に真面目にナニしたわけで、ちょっと同情してしまうけど。
そいうわけでウェザー・リポート後半、音楽的に引いた状態だったのは、バンド内覇権闘争に敗れたわけではなく、単に宗教に心が行っていたから。

[レンジが広いリリコン]を使えば、ベースもフルートも奏でることができた。だからジャコを解放してやるために、時々あれを使ったんだ。(略)僕がリリコンでベースを吹けば、ジャコはドゥーン・ドゥ・ドゥーなんて感じで、メロディーを弾くことができると思った。でも、そうしたらジャコはすごく短い音、ウォーキングどころか一歩にも足りないような音を出してきた。ラ・ラ・ラ(サーカス楽団が奏でるバイオリンのような楽しげな音)とね。やっぱり、彼はとてつもない才能とショーマンシップを兼ね備えたアーティストだと思うな。ジャコはジェイムズ・ブラウンが好きだったからね。(略)
[互いの音のデカさを競うジョー・ザビヌルとジャコ・パストリアス]
ウェインは仲裁役として、音楽面からジョーとジャコの戦いを収めようとしたわけだが、効果はあまりなかった。というのも、ふたりの勝負は実際、音楽とは無関係のところにあったからだ。彼らの争いはエゴとエゴとのぶつかり合いで、ようするに最新機器で武装した自分を見せびらかしたいだけ、と言うこともできた。
[ザビヌルがムーグを導入すると、ジャコは外見的にインパクトのある超小型ベースで対抗]

ミルトン・ナシメント

「彼はジョビンとは違っていた。インドとかアマゾンとかアフリカとかの要素が強く感じられたな。ミルトン本人に聞いたんだけど、彼は小さい頃から自分の声の音を表現したくなったら、外に行き、故郷の自然の中で納得できるまで歌ったそうだよ」そのミルトンの“音”がウェインに伝わったのである。「コルトレーンもマイルスも同じことを言っていた。自分の音があれば、楽器を使うよりもずうっと遠くまで行くことができるって。多くの人の声は1次元の音なんだ。ヴォーカル・カルテットはどれも同じ。たとえば、高い声で歌うモータウンのシンガーたちもそう。高音一辺倒だから、聴くほうは高波にさらわれて溺れちゃうんだよ」。

コメディ映画になりそうな、ティナ・ターナー

1976年夏のある日、ウェインがツアーから戻ると、自宅のキッチンの床を、ソウル・ディーヴァ、ティナ・ターナーが磨いていた。ティナも創価学会員で、夫アイクと離婚しようとしていた大変な時期を、ショーター夫妻と共に暮らして過ごしていた。
当然と言えばそれまでだが、ティナに仏教を勧めたのはアイクだった。「唱題って聞いたことあるか?」アイクはそう言ってヴァレリー・ビショップという女性を彼女に紹介した。(略)
その後、ティナも唱題を始めるのだが、すぐに彼女の中に自信が生まれ、アイクの肉体的、精神的虐待に屈することもなくなっていった。一方、アイクは唱題によってティナが自信を深めていることに気づき、彼女にこれをやめさせようとする。でもそれは、ティナに題目の力を再認識させることにしかならなかった。(略)
[夫から逃れてショーター家に居候]
「炊事に洗濯に掃除、なんでもやっていたよ」とウェインは言う。「着の身着のまま飛び出してきたから、うちにいた4ヵ月間、彼女は何も持っていなかったんだ。

実話マイルス小話

マイルスと演っていた頃、ヴィレッジ・ゲートの楽屋にカメラを持った白人がやって来たことがある。するとマイルスは「てめえ、何やってるんだ!」と怒鳴って、カメラを床に叩き落した。「てめえが白人だから、どんな写真でも撮れると思ってるのか!」とね。別の日に今度は黒人が写真を撮ろうと楽屋に現れたんだけど、マイルスはやっぱり「てめえ、何やってるんだ!黒人だからどんな写真でも撮れると思ってるのか!」と怒鳴ったんだ。

コルトレーンの亜流とのからかいに韻を踏む

「ウェインはトレインに乗ったんだろ」
すると間髪を入れず、
「スペインでインセインとね」

1stに参加したアイアート・モレイラ、加入を誘われるが、大口を叩くザビヌルが信用できなくて断る。じゃあ代わりを紹介しろと迫られて「僕よりうまいやつを知ってる」と言ってしまう。そのドン・ウン・ロマンがヨーロッパ・ツアーに参加。

ところが、ヨーロッパに行くと、ファースト・アルバムを聴いていた人々が、アイアートはどうしたんだ、としつこく訊ねてきた。そのたびにジョーは「ああ、今回は彼の師匠を連れてきたんだ。アイアートにパーカッションを教えた人物さ」と答えたという(のちにアイアートがキャノンボール・アダレイとヨーロッパをツアーした際、彼はマスコミから「師匠」についてあれこれと質問を受ける羽目になり、そのたびにアイアートは「え?誰にも習っていないけど」と答えたそうだ)。

悪者役のザビヌル

一方、ジョーはバンドを引っ張り、マネージメントに関する雑務をこなした。彼はプロモーターたちと激しくやり合い、新たなメンバーを雇い、そして首を切った---故郷オーストリアでの少年時代、ナチス親衛隊の横暴ぶりを目の当たりにしてきたジョーにとって、そんなのは何でもないことだった。彼はまた、ビジネスのやり方をキャノンボール・アダレイからも学んでいた。互いにあえて口には出さなかったが、ウェインとジョーのふたりには、バンドをどのように運営していったらいいのかがよく分かっていたのである。ジョーは言う。「僕が悪者で、ウェインは善人。そういうことさ」

*1:チャント

*2:障害児の娘