中世都市と暴力・その2

前日のつづき。

中世都市と暴力

中世都市と暴力

都市における強姦の日常化

については、ヴェネツィアの例からもわかる。(略)都市の商業活動が、性的に不安定な人間を呼び寄せたことから説明される。航海による夫たちの不在。求人に引きつけられて都市に集まる大量の若者たち。そこから男女の均衡に危険な混乱が生じた。都市社会で強姦が頻繁に起きたのは、おそらく男女の実数の不均衡に由来すると思われる。また大学都市でこうした犯罪が増加するのも、「恋愛」に飢えた若い男性人口の集中から説明できる。彼らは自分たちが聖職身分によって保護されており、家族の監督から自由になったと感じて、その分より暴力的になった。

夫がいても関係ねえ

しかし妻の身分であっても、強姦からより良く守られているわけではなかった。既婚女性は自分の家のなかでも襲われ、夫の目の前で手込めにされることすらあった。こうした暴力を説明するのに、赦免状は犠牲者たちの「軽率さ」に言及している。彼女が愛想の良い陽気な性格で、通りで近所の男たちと進んで話したりすれば、それだけで「ふしだら」という評判を得ることになった。またもしも結婚前に強姦にあったり、前述のような独身生活を送っていたなら、そうした過去が災いして、彼女の被る暴力の原因となった。

集団レイプ

品行方正な婦人たちは、遅い時間に無謀にも外出したりすると、同伴者がいても売春婦と間違われる可能性があった。(略)
襲撃の多くは、戸の破壊や家宅侵入を伴っていた。なぜなら強姦者たちは、館や部屋のなかへやってきて、目をつけた女性に乱暴したからである。ときには、彼らは女性をどこかある場所へ連れて行き、一晩中、「思い通りに」した。このような襲撃は、昼間でもぽつんと離れた袋小路や、宿屋の裏部屋や離れで行われた。(略)
襲撃する前に、一味は数日前から用心深く、犠牲となる女性を公的な恥辱の的にしようと冷やかしたり、扉のノッカーを叩いたり、窓の下で騒いだりした。犯行の際には、犠牲者の叫び声にもかかわらず、隣人はめったに介入しなかった。そんなことをすれば、窓に石が投げ込まれ、最も大胆な者をも慎重にさせてしまった。むしろ女性たちの多くは、隣人たちを不安にさせるために、「火事だ!」と叫ぶことを選んだ。
単独の強姦と同様、集団的強姦も、中世の住宅が持つプライヴァシーの低さを示している。どんなに堅固な門も、独身であれ、寡婦であれ、既婚であれ、女性たちを大胆不敵な攻撃から保護することはできなかった。襲撃者はあらゆる手段を用いて、必要とあらば屋根を伝ってでも家や部屋に入り込んだ。

若者を「飼い慣らすこと」

都市当局の政策は、常に現実的で、慎重だった。為政者たちは、若い息子たちが放蕩に身を委ねることが、現実には公の平和の維持に有益な「憂さ晴らし」になることを理解していた。公の平和は、実際にはもろい均衡の上に成り立っていた。そこで為政者たちは、馬鹿騒ぎや、野卑な言葉使いや、カーニヴァルで生ずる損害には目をつぶり(略)
それは若者たちの情熱を抑圧すること(そのような課題は不可能に見えた)ではなかった。単に若者たちの情熱が許容できる範囲内にとどまるよう、彼らの欲望の充足を組織化しようとしたのである。

晒しあげ

居心地の悪い姿勢で、通行人の冷やかしや攻撃を受けながら、何時間も晒し者になる苦しみ。(略)
受刑者にとって、こうした恥辱と、責め苦の道具と、どちらがより苦しみを与えただろうか。見物人に受刑者の卑劣さをよりよく知らせるために、彼に司教冠を被せることもあったが、そこには受刑者の大罪が絵で描かれたり、文字で説明されていた。この習慣は、見物人が受刑者の犯罪について知るために、目と鼻の先まで近寄れることを前提としている。他方で受刑者を見張る役人は、刑の宣告の理由を町中に大声で知らせたり、あるいは晒し者にする場所に住民を召集する任務を帯びていた。こうして名誉の破壊は徹底して行われ、対象となる人間に決定的な烙印を押すことになった。さらに追加刑として、こうした晒し刑を何日も繰り返すこともあった。二日目、あるいは三日目には、見物人たちは飽きるどころか、かえって互いに約束して集まり、対象となる犠牲者に彼らの攻撃性をむき出しにした。

残酷な光景

過ちを犯した男女は、役人による鞭打ちと、見物人の冷やかしを受けながら、町中の通りを裸で走ることを強いられた。性犯罪に対して公の場で去勢が行われ(略)
都市の住民たちには、処刑の見物に加え、絞首台にかけられた死体が腐敗してゆく光景を見ることも課せられた。(略)溺死刑の死体は手足を縛ったり、嬰児殺人犯のように袋に詰められて川に捨てられた。

死後、彼らの死体は四つ裂きにされ、都市の主要な門や通りに吊るされた。地獄のはずれでダンテの前に立てられた警告には、「ここに入ったら、おまえはすべての希望を捨てよ」と書かれているが、中世都市の門をくぐる者たちも、こうした冷酷な裁きの不気味な証拠を目の当たりにして、自分が暴力の世界に入ろうとしていることを思い知ったに違いない。
このように都市の住民は、極端に残酷な光景から逃れることは出来なかった。絞首刑になった者のやせ細った体。四つ裂きの刑になった者の血に染まった四肢。火刑台の上で縮んで反り返った死体。さらに煮立った油や湯のなかに、生きたまま投げ込まれた偽金造りの恐ろしい断末魔。どれもが恐怖の光景であり、そのうちのいくつかは、住民にとってなじみ深いものだった。都市の住民は生涯を通じて、この種の公的な死刑に数多く立ち会うことになったからである。