グレン・グールド発言集

グレン・グールド発言集

グレン・グールド発言集

若人へのアドバイス

「お互いの演奏を聴くのをやめなさい。とにかく何よりもまず、特定の楽譜あるいは一揃いの楽譜を決めて、自分がこうしたいと考えているものを達成しようと努力したらいい。それが実現し、この種の音楽の弾き方はこれだとはっきりわかったあとであれば、個人の楽しみや驚きのためならかまわない。仲間や、先輩格の人などの演奏に耳を傾ければいい。けれども自分なりの考えがまとまらないうちは決して聴いてはいけないし、信奉するべき解釈上の伝統とおぼしきものに基づいて考えをまとめてもいけない」と。自分の考えがまとまりきらないうちに、あるいはまとめる代わりに仲間の演奏を聴くのは、ピアノ演奏の伝統として受け継がれていくものの多くを取り込んで考えを固めてしまうことのようです。
(略)
確かに、ある段階では、誰もがアイドルを持つものです。(略)そういう段階を経由して、やがて自分の中から追い出します。はやりの言葉を使うなら、役割モデルですが、これはある段階では必要なのです。ところが成熟した演奏家は違います。必ず信奉すべき統一見解があって、それは、ひとつの作品の真理がどこにあるかを知るためにさまざまな録音を学んだりあらゆる演奏を聴いたりしなくてはならないとか、中道を行く伝統的な演奏に近づくほどましになるといった考え方は、まったく滑稽だと思いますね。

私が信じられないのは、わざわざこう言う人がいることです。「この曲を弾いてみようと思います。なぜならXとYとZが弾いているからです。ただし私なりの独自性を少々主張するために、ほとんどXの弾き方を踏襲しつつ、Yの弾き方の10%を加味し、もしかしたらZのテンポを採用するかもしれません。そうすればこの三人の誰とも微妙に異なって思えるでしょうから、前にもそうやって弾いた人がいたよ、などと言われずに済みます。」
(略)
許されるのは音楽史を形作る根本的な感覚から生まれる限定要素だけです。そこからは何らかのヒントを得られるわけで(略)ベートーヴェンが作品ニを書いていたときは、三曲のピアノ三重奏曲を仕上げた直後だった、だから彼は室内楽のつもりで書いていたのだ、といったヒントです。

1965年のマーシャル・マクルーハンとの対談

マクルーハン 聴衆としての人々は、いよいよ作曲家に変貌しますね。(略)人々は、製品の製造者兼設計者となるのです。(略)
ジェイムズ・ジョイスはこう語っています。「私の消費者たちは、私の制作者ではないのか?」と。聴衆からのこの種の迅速なフィードバックによって、芸術家は、人々の潜在力をいっそう意識するようになります。その潜在力を自分の芸術的効果の一部を成すものと見なすのです。すると、芸術家本人は、古いロマン主義的な流儀にあったような、自分の姿を聴衆に押しつけたり、聴衆に投影させたりする代わりに、聴衆という集団的イメージすなわち仮面を自分のものにしようとする。
(略)
グールド(略)参加における重なり合いが厚かましくも創造的構造の一部分になるという事実は、専門化の必要性や権威が衰えることを示唆していると考えるべきではありません。むしろ起こるのは、完全に新しい参加領域の発達、そして、特定の芸術作品の製作にますます多くの人の手が求められることです。これは、未来の音楽の参加にあっては、創造的な人物が解釈者として直接表現したり、聴取者としての自分自身の楽しみのためにそれを行なうのだという意味ではありません。むしろ、未来の音楽における参加の領域が、参加者が担う責任を膨大な数に膨れ上がらせることを意味するのです。二番目に起こるのは、この非常な複雑さゆえに、一個の芸術作品の完成に実に多くの人の手が合わさるがゆえに、歴史的プロセス内部でのアイデンティティの本質を規定する専門化した情報概念の存在感がたいへん弱くなります。

うわっ、40年前にニュース・サイトの本質をついてる発言

マクルーハン ふむ、電信によるニュース・サーヴィスと奇妙な類似がありますね。このサーヴィスではどんな物語が届くかどうかは問題ではない。このサーヴィスの目的はその日を満たすモザイクを供給することであって、特定の物語の筋を供給することではないのです。サーヴィスはその日のあなたを満たす。発信地と日付が「これが本日のあなたの環境です」と言うのです。

ブログ&写メ

マクルーハン 郊外では、各家庭が映画制作を始め、来客や友人をその家庭の生活を写した拡大的なドキュメンタリーに組み込んでしまう状況がすでに起こっており、郊外の生活の恐ろしくかつ不愉快な特徴となっています。多くの人は、他人の家にむやみに入ることはためらうものですが、自分の家族の生活の様子や家族旅行を映画にしてしまうと、そうでもなくなるのです。本来は自分で何かを作ることで得られる喜びがあったのに、こういう参加は、そういう喜びを、他人が何かを作っている様子を自分にマッチさせたり、評価したりする喜びにすり替えてしまうのです。

ペダル踏弥に会ったかい

私が好むピアノの響きは、一部の人たちによれば、あまりピアノにふさわしくない響きです。今でも覚えていますが、学校に通い始めて間もない頃、ほかの生徒がペダルをたくさん踏んで弾いているのを聴くのが大嫌いでした。下品なやり方だと思ったのです。(略)
作品が特別に、絶対的にペダルの使用を求めていることがない限り、私はペダルをまったく踏みません。骨抜きにされたハープシコードを少々思わせるような響きになったときがいちばん幸せです。

どういうわけか、私はペダルの濫用が大嫌いなのです。例外は、響きにわずかに光沢をもたせてビートをはっきりさせるといった強調をするときです。そのときだけです。実は私にはペダルを踏みならす悪い癖がありますが、これはこの強調のためです。しかし、彩りを加えるとか、楽譜に何かを施す意味では、ペダルを嫌います。実は、私がほかのピアニストを評価するときに、ペダルの使い方をある程度見ます。私が絶讃しているピアニストは、みなペダルの使い方が非常に控え目だからです。ただし、おかしなことに、シュナーベルだけは例外です。彼はペダルの常習犯でしたから。何らかの技術的な欠点を補うためだったのではないかと思いますが、彼はほとんど誰よりも上手にペダルを踏みました。

オルガンから学んだ演奏法

実は最初、私はオルガニストとしてデビューしたのです。(略)バッハをピアノで弾くときの方法を私にもたらしたのは、オルガンで演奏すること、特にオルガンで演奏するときの指の触感にほかならないと思います。(略)
何が言いたいかというと、オルガンでは、フレージングに関してあるひとつのメソッドを、もしくは極端に対照的な二つのメソッドを真剣に検討したとしても、響きのさまざまな平らなプラトー状態に効果を与える音栓操作にでも訴えない限り、何をしても、たとえゆっくりと階調をつけていったとしても、ロマンティックな固まりのような音以外、生み出すことは不可能だということです。つまり、声部を明確にし、音を区切る効果を達成するには、音を叩いたあと指を上げておき、次の音を叩くまでその音が鳴り出さないようにしておくしかないのです。私がオルガンで学んだ演奏法とは当然これでした。そして私はこれをそのままピアノに移し替えたのです。

長時間の練習よりテープに録音してチェック。

テープを作ってもらって、翌朝聴き直しました。すると曲の韻律的な形態がわからなかった。拍を数えることすらできませんでした。奇妙でした。演奏中、内なる耳ではリズムを感じていたと思っていましたから。私は自分のテープ・レコーダーで同じ楽章を何回か録音し、聴き直しました。この欠点を克服できるかどうか見極めるためです。ついにわかりました。非常にゆっくりとしたテンポの作品の場合、私は次の和音に移行する前に長く待ちすぎる傾向があるのです。和音を叩くべきときに、筋肉に力が入っている。そのときにはすでに遅れているのです。それから、この意外な新事実のおかけで、ほかの曲でもこれをたくさんやっていたことがわかりました。重大な発見でした。内なる耳に聞こえるものが出てくるものと同じとは限らないことを私は学びました。

演奏会が嫌いで、録音が好きなら、演奏会を録音すればいいじゃないかという問いに対し

たとえスヴャトスラフ・リヒテルのような大演奏家の演奏会を録音しても、結局それはレコードには成り得ないのではないかという疑問です。つまり、スタジオ・プロダクトにはならないのです。作れるのは、演奏の複写にすぎません。(略)
まさに一種の後光です。たいへん神聖な後光。それがこの記録の一ページを縁取る。そのおかげで人々は、腰を下ろしてこう言えるのです。「これは1964年11月16日のリヒテルだよ」と。しかしこれで録音ができたとは言えない。なぜなら録音は記録という定義からすれば、ある種の完全主義を志向するからです。この完全主義は、単に演奏がそっくり収まればいいというものではありません。なぜなら、ある夕べのリヒテルからその演奏を入手できるかもしれませんが、録音が目指すのは響きの完全主義でもあり(略)
こうしたものは、[……」演奏会をただ録音しても得られようがない。私の感覚としては、つまり個人的には、録音は未来で、演奏会の舞台は過去だったのです。