俗語が語るニューヨーク・その3

前日のつづき。

俗語が語るニューヨーク―アメリカの都市社会と大衆言語

俗語が語るニューヨーク―アメリカの都市社会と大衆言語

 

不健康なスポーツマン

1850年頃には、「the sporting life」、それを短くした「sporting」ないし「sport」といえば、男の目から見るかぎり、酒場での仲間づき合い、賭博上での賭事、娼婦相手の遊びを意味した。(略)1830年以来、「sporting gentleman」といえば賭博師を意味していた。1850年代後半には「sporting house」とは賭博師や酒飲みたちが出入りする施設のこと、1870年代にはもっぱら売春宿を意味するようになる。「sporting lady」はいうまでもなく売春婦、特に売春宿で働く売春婦のことであり、「sportsman」ないし単に「sport」といえば、熱心な賭博師、酒飲み、売春宿の顧客を意味した。

ぽよよーん&池乃めだかウォーク

"bum's rush"をされた時に強いられる歩き方が、「spanish walk」で、辞書編集者のロバート・L・チャップマンによれば、「南米北東部沿岸部のカリブ海域で、海賊たちが捕虜を連行する際、首をつかんで無理やり歩かせるために、捕虜たちの足がほとんど甲板につかず、爪先だって歩くかたちになる、その歩き方」が「スパニッシュ・ウォーク」である。あるいはこの表現は、辞書編集者ローレンス・アーダンによれば、「(男の)フラメンコ・ダンサーが、ちょうどスペイン人歩きを強制された人のように、……音楽に合わせて踵を激しく床に叩きつける前に爪先だけで歩く、そのときのイメージを喚起する」ところから出ているのかもしれない。この強制追い出しは、「French walk」とも呼ばれたが、おそらくその理由は、追い出される男がしばしばうつぶせにされ、手足を「カエル」のように広げた格好で運び出されたためだろう。「カエル」(frog)は、フランス人一般に対する古い蔑称であった。いずれにしろ、酒場のスイング・ドアから空を飛ぶように投げ出される男の視覚的イメージは、都会のポピュラー・カルチャーではおなじみのイメージの一つである。

「ザ・テンダーロイン」

売春街地区担当になった悪徳警官がこれからは賄賂でテンダーロインが食えるようになるぜと言ったのがはじまり

ニューヨークの紅灯地区に対する呼び名は「The Tenderloin」である。(略)この言葉が活字として最初に使われたのは、知られているかぎりでは1885年である。最初この言葉は、ニューヨーク第29警察管区内の不法営業に、警察官が手心を加えることで手にする賄賂に言及していた。ある警察官は、それを「このサーヴィスのおいしい部分」と呼んでいた。(略)
「ザ・テンダーロイン」のこの俗語的表現は、一つには「腰肉」(loin)がもつ性的な意味もあって、すぐさま、紅灯地区での営みを意味する言葉に拡大された。性を食物のメタファーで表現するのは、性に関する俗語では普通のことであり、その種のメタファーが、性的活動を専門とする地域名にまで広げられたとしても不思議はない。その上で、私はもう一点つけ加えたい。「やさしい好意」(tender favor)といえば、19世紀初頭には売春行為を意味していた。その「テンダー」に腰肉の「ロイン」が加われば、おいしい性的なイメージは完璧である。

Pioughed

Pioughed

 

バットホールを聴く三千里マルコ

「hurdy-gurdy man」と呼ばれる大道音楽家は、かつては、マンハッタンの下町であればどこにでも見られたもので、町の四方八方からは「サンタ・ルチア」や「フニクリ・フニクラ」の調べが盛んに聞こえてきた。「ハーディガーディ」とは、中世の頃に使われていたリュートに似た手まわしの弦楽器のことだが、ハーディガーディ・マンが必ずしもハーディガーディを演奏していたわけではない。むしろ彼らはバレル・オルガンやハンド・オルガンのほうをより多く演奏していたのだが、これらの楽器も手まわし楽器であったため混乱が起こったのだ。手まわしオルガンのうち、小ぶりなものは「モンキー・オルガン」と呼ばれ、棒の上に据えられ、運ぶ時にはオルガン弾きが背負って歩いた。より大型のオルガンやストリート・ピアノは車の上に乗せられた。ハーディガーディ・マンは猿を使うこともあったが、猿は小さなカップを持ちまわってコインを集めるように訓練され、普通はズワーヴ兵(アルジェリア人によって編成されたフランスの軽騎兵)の服を着せられ、名前は常にJocko(「猿」を意味する)であった。(略)彼らの多くは、自分の物といえるものは何一つ持ち合わせてはおらず、オルガンから猿、猿がかぶるトルコ帽にいたるまで、すべては元締めから借り受けていたものである。

豚だらけの街

19世紀もほとんど中頃にいたるまで、ニューヨークのほとんどの町並みは、通りを逍遥する豚たちによって清掃されていた。もっともこれを清掃と言えるならのことである。この豚たちは「street hog」と呼ばれ、町の貧しい人たちが犬や山羊と一緒に飼っていたものである。当時の人々は、一日が終わると、家庭から出た生ごみ---果物類、野菜類、肉切れなど---を通りに投げ捨てるのが習慣であり、この生ごみを、この豚たちが犬や山羊と一緒に繰り出しては始末していた。1817年には、ニューヨークの町並みにはおよそ二万頭の豚が自由に歩きまわっていたと言われる。たまりかねた住民たちは豚の功罪について論じたが、結局その結論は、生ごみが法律に反して投げ捨てられている以上、豚たちは公共の利益に役立っているというものだった。しかしその豚も、子供たちにとっては楽しみの大いなる源泉だった。子供たちはそれを追いかけ、カウボーイよろしく投げ縄でとらえては楽しんでいた。

こんなとこでいいか。残りは俗語辞典風に。

gold-digger

芽の出なかったコーラス・ガールのうちで、性的関係を許したり、あるいは許すという約束のもとに、贈り物や家賃や扶助料をもらって「かこわれている」女性

劣悪な棟割長屋

社会改良家たちやジャーナリストたちは、そうした最悪の棟割長屋を、「犬小屋」(kennel)、「獣の穴」(lair)、「ウサギの飼育場」(warren)、「カラスの繁殖場」(rookery)、「ハチの巣」(hive)などと呼んで、貧しい住人たちの動物レベルの生活を暗示した。

butter-and-egg man ナイトクラブで豪遊する田舎成金

fanner 公衆電話を見ると返却レバーをガチャンと「fan」してみないと気のすまない人のこと。