俗語が語るニューヨーク

俗語が語るニューヨーク―アメリカの都市社会と大衆言語

俗語が語るニューヨーク―アメリカの都市社会と大衆言語

ストリート

アメリカの都市文学や大衆言語では、「通り」はすでにもう長いこと、社会を破壊するものの象徴だった。(略)
下層階級にとっては、よりよい場所に移り住むということは、より高いステータスを求めて社会的に移動をするということである。「あとに残された者たちには〈通り〉があるだけである。それは、そこに住む者たちを堕落させ、その可能性を破壊し、よりよいステータスに移行するのを妨害する凝集されたあらゆる環境の力の象徴、比喩的意昧での悪意に満ちた〈通り〉である。」
(略)
通り、歩道、縁石と連想される戸外世界で、合法的なものはほとんどない。大衆表現のなかでは、形容詞としての「ストリート」は、中産階級的な正規の制度からはずれて存在し、営まれている様々な活動、制度、人々を意味している。例えば、「浮浪児」(street arab)、「放浪クリスチャン」(street Christian)ないしは「街頭伝道」(street ministry)(略)

オン・ザ・ストリート

1900年までには、the street(s)やon the streetsという表現は、麻薬その他の悪徳にふけることのできる牢獄外の世界を意味する犯罪者用語であった。「street time」といえば、刑期中一時獄外に出る仮釈放期間のことである。「歩道にいる」(on the sidewalkあるいはon the pavement)という表現も、また、何らかの犯罪関与を匂わせる表現である。麻薬常用者たちの言葉では、「街を歩きまわる」(pound the pavement)とは、麻薬を求めて執拗に歩きまわること、「the street」は麻薬常習者仲間たちの社会、「on the street」は麻薬を探し求めることである。「street money」といえば、麻薬取引や売春で得た金のことである。

street-smart street-wise

都会のジャングルと呼ばれる弱肉強食的な社会環境のなかで、人が生き残りはい上がっていくために必要な、タフで、狡猾で、シニカルな心的態度やその種の特殊な知恵をもっていることを意味している。(略)ウィリアム・サファイアの記述によると、すでに彼は1950年代に「ストリート・スマーツ」という言葉を聞いているが、当時、この言葉は、厚かましい、非知的な態度で現実世界の混乱を切り抜けていく政治家の手腕を意味していた。その後、「ストリート・スマーツ」は一般俗語の仲間入りをして、政治的、経済的な問題、特にワシントン・ジャングルやニューヨークのウォール・ストリート・ジャングルを扱う際の、高度に実用的な手腕を意味するようになった。

stoop

オランダ語のstoep(=step)から出ている米語のstoopは、歩道のレベルから一段高くなったニューヨークの連続住宅や棟割長屋のメイン・フロアーヘとつながる短い階段と踊り場を意味していた。この建築様式は、オランダからの植民者たちによって持ちこまれたものだが、もともと本国オランダでは、一階への浸水を防ぐために作られていたものである。ニューヨーク市民も次第にこれに慣れ、その外観が気に入るようになった。
(略)
夏の棟割長屋のむせるような暑さから逃れる場所として、また、通りの光景を眺める一段高い席として、そこに座っては近隣の者たちと交わる社交の場として使われてきた。

棟割長屋の条件

プライバシーの欠如は、ごみごみとした下層階級の都市生活にはつきものだった。(略)『他の半分の人々の生活』(1890)のなかで、ジェイコブ・リースは、正真正銘の棟割長屋には三つの条件が必要であると言う。玄関のドアに鍵がかかっていないこと、正面の玄関入口にはそれぞれのフラットを呼び出すベルがないこと、そして、廊下は「昼夜をとわず、誰かれとなく出入りできる公道」であること、である。しばしば廊下は、手狭なフラットの延長として使われ、ストゥープよりももう一歩屋内に近い存在にすぎなかった。ドアもしばしば開け放されたままで、家族の生活はむき出しのままだった。敷居もドアも、ここでは社会的な障壁にはなりえなかった。
(略)
居住者同士の生活が密接にからみ合う棟割長屋生活の象徴といえば、一家の洗濯物をありったけ干す、例の洗濯ひもである。(略)裏庭いっぱいに洗濯物がはためく光景は、無数の絵画や映画のシーンでもおなじみである。(略)下着から何から、隣人の目に白日のもとにさらされる家族の洗濯物。(略)大衆言語では、この洗濯物は、通りの人々、世間一般の人々の詮索の目にさらされるべく「吊るされた」、個人生活の詳細のメタファーとなった。事実、「洗濯ひも」(clothesline)という俗語表現には、かつてはゴシップとか噂話の意味があった。二十世紀に入ってからも、個人的な問題や家族内の問題は「洗濯ひも」と呼ばれてきた。家族内のいざこざや個人的な問題、すなわち「リンネルの汚れ」は、「洗濯ひも」に吊るされて衆人環視の目にさらされるようになる頃には、人も戸惑うほどに「汚れた洗濯物」(dirty wash)、「汚れたリンネル」(soiled linen)になっているのが普通である。

ジャングル

イーフー・チュアンは、工業都市の台頭以来、「イメージが逆転して、荒野が秩序(生態学的秩序)と自由を意味するようになる一方で、都市中心部は、無秩序、社会の除け者たちによって支配されるジャングル、と見なされるにいたったのだ」と述べている。ジャングルがこうした意味の言葉として特に知られるようになるのは、1906年、シカゴの屠殺場を舞台としたアプトン・シンクレアの小説『ジャングル』が出版されて以来のことである。シンクレアがこの小説を書いた頃は、社会的ダーウィン主義時代精神と適者生存理論の安易な正当化が、自由放任の資本主義経済の背景のなかで支配的な時代であった。産業労働者たちは生存ぎりぎりの安賃金で働き、野蛮な生存の戦いが展開されるジャングルの動物たちと同じように、生き残るために職を求めて互いに争いあっていた。

アイルランド人の歩道

19世紀中頃の貧しいエスニック・グループは、街路、特に路地とは密接な連想をともなっていた。かつて都市のストリートは、アイルランド人への侮蔑をこめて「アイルランド人の歩道」という俗語で呼ばれていた。おそらく、嫌われ者のアイルランド人には歩道よりは街路、もっと正確に言えば車道のほうがふさわしいということであり、あるいは、愚かな彼らには車道と歩道の区別もつかない、ということなのだろう。こうした中傷は、けんかのときの飛び道具として使う岩や煉瓦のかけらを言う「アイルランドの紙玉」(Irish confetti)という表現に受け継がれる。これは、1832年頃からニューヨークの街路に敷かれはじめた敷石、「ベルギー煉瓦」を指す一般的な表現である。19世紀の中頃、ファイブ・ポインツやバワリーではアイルランド人ギャングたちによる暴動がよく起こり、ときにはそれが数日間も続くことがあった。その際、彼らはこの煉瓦を舗道から引き剥がしては、武器として使ったからだ。

縁石の正義

curbstone justiceといえば、ミランダ警告規則ができる以前、旧式な非公式の懲罰として、貧民街の子供たちなどを警官がリズミカルに殴りつけることを言った。

アメリ証券取引所の出自

ニューヨーク証券取引所が初めて組織されて屋内に入った時、なかに入れなかった仲買人たちの多くは通りにとり残され、あるいは失業した。通りで商売を続けた仲買人たちは、1848年までには「カーブストーン・ブローカー」(場外取引仲買人)と呼ばれ、1856年までには「ストリート・ブローカー」と呼ばれるようになる。(略)
その組織は1911年に<ニューヨーク場外市場協会>と命名され、ついに1953年〈アメリ証券取引所〉となって、縁石から始まった出自の汚名を払拭することになる

gutter music

「ガタースナイプ」の呼び名は、通りの物乞いや、帽子をまわしてお金を集める街頭音楽家にも言われるようになる。排水溝の連想を伴う音楽用語はほかにもある。「マッド・ガター(mud gutterつまり「縁石」)・バンドが、あるダンス・ホールの前で調子はずれの音楽を演奏していた」と、1892年、ニューヨークのある社会評論家が書いている。1900年頃の音楽用語では、「ガター・ミュージック」とは、排水溝を行進していく葬式やパレード用の街頭音楽を言った。ジャズ・ミュージシャンたちは、その後、評判の悪かった初期のラグタイムやジャズを「ガター・ミュージック」と呼ぶようになる

ザ・ビッグ・アップル

この名前は、1930年代、40年代のジャズ・ミュージシャンたちが「ニューヨークでの出演契約をものする」という意味の用語から出たとする説が、最も有力である。ハーレムの高級クラブで演奏したり、52丁目のクラブで演奏するのは、彼らにとっては最高の栄誉であり出世であった。この栄誉を、彼らは「ザ・ビッグ・アップル」と呼んだ。しかし、この表現はそれ以前にも別の分野で使われていた。はるか以前の1909年に、アメリカを支配する大都市という意味で、ニューヨークに対する批判的なメタファーとして活字化された。「ニューヨークは、ミシシッピー川流域に根を張り、その大技を両大洋間に広げるあの巨大な樹アメリカの一つの果実にすぎなかった。……にもかかわらず、この大きなリンゴは、国家の樹液を不当に吸い上げている。」

延々こんな調子なので、今日はここまで。明日につづく。