安易な第二弾ではありません。「差別・言葉狩り」ネタだった前作に代わって、今度は「著作権問題」を扱っています。そこらへん目の付け所が時流を捉えてるなあ(半分は前作に収録できなかったネタだけど)。最終的に「金じゃなくて、ささいな感情のもつれが封印の原因」と結論付けるのはどうなのだろう。大きな金が絡んでくるから、些細な感情が拡大されるわけで。
キャンディ・キャンディ裁判
『キャンディ』裁判の場合、原作者は「これは著作権問題なのではなく、単なる契約不履行の詐欺」だと主張し、講談社も原作者側についている(まあ講談社が漫画家の方の言い分を認めたら、他の原作付き漫画にまで話が及ぶわけで、そりゃそうなるだろうけど)。
[講談社社員]「通常の常識からしたら、いがらしさんがメチャクチャなことをしているわけですよ。単行本にもアニメのクレジットにも『原作・水木杏子』と書いてあって著作権料も6対4で分けて、それまで20年間ずっと来ていたわけです。それを、後になって『原作者じゃない』というのは無理がある」
講談社が「原作が原著作物である」という判断をしたのはなぜですか?
「はじめは私も漠然と、「共同著作物」かなとは思っていましたが、社の顧問弁護士と相談したら『原作者は原著作者にあたる』ということになりまして、社内の方針としてそうなりました。『キャンディ』の場合、漫画化される以前には原作は世に出ていなかったわけですが、制作の順序としては原作を見ながら漫画が描かれるということで、そうした手順の問題だと思っています。ただ、原著作物であったにせよ、共同著作物であったにせよ、双方の同意が得られなければ出版や商品化はできないわけであって、そこは大きな問題ではないと思います」
竹熊健太郎が語る、原作者の弱い立場
漫画原作者の難しい立場はここにある。原作者としての名誉や収入とは別に、作家性そのものを時に否定されかねないのだ。竹熊はこう打ち明ける。「梶原一騎にしても、小池一夫にしても、なんで有名な原作者が一様にコワモテになっていくのかわからなかったんですよ。でも、自分でやってよくわかりました。ある意味、そこまでやっていかないと原作の個性ってなくなってしまう。漫画家にしても編集者にしても、たたき台にくらいにしか思ってませんから。それなのになぜ原作が必要とされるのかというと、無から作品を立ち上げるのは大変だから、何かよりどころになるストーリーの骨格というか設定が欲しいわけですよ。それから後は、それこそ『原作なんかいらない』なんてことになりかねない」
原作付きの場合はアメコミ方式にしてくれと竹熊
アメコミだと、漫画やキャラクターの著作権は会社が持っています。
(略)
僕はアメコミと同じように、原作付き漫画の場合は、作品の企画を立てて内容に口を出す以上、出版社も著作権を持つべきだと思っています。本来、編集者はプロデューサー的な役割を持っているのに、出来上がった作品には著作権を持たない。それだと、出版社が出版権をきちんと管理できているうちはトラブルは避けられるんだけど、作品が出版社から独立したら何の歯止めにもならなくなっちゃう。『キャンディ』の問題はそこが大きかったんだと思います
気持ちはよくわかるのだけれど、これだとさらに原作者の立場は弱くなるのじゃないだろうか。現状なら原作者はキャンディPt2なんて作らせないと断固主張できるが、会社主導でキャンディPt2を作れるとなれば結局押し切られてしまうのじゃないだろうか。しかも絵は同じ人間を使うだろうが、原作者は微妙。融通のきく新人を使うのでは。
サンダーマスクの場合
第19話「サンダーマスク発狂」
特撮ファンの間で語り草になっている回だ。プラモデルを作る少年やマニキュアを塗る少女たちが写り、「こんな楽しいひと時にも危険が……」と不吉なナレーションで始まる。サイケデリックなBGMが流れる中、シンナーに酔う若者達を補導した婦警。その正体は、変身したデカンダだった。そこで呼び出されるのが、シンナーマンだ。人間の頭蓋骨に穴を開けて、ストローで脳みそをちゅうちゅう吸う姿は、確かに衝撃的だ。
かなり爆笑できますが、これが封印の原因ではありません。特撮マニアが自虐的に語ったせいで珍作扱いされていますが、実は普通の特撮であって放送できない内容ではない。フィルムが紛失したせいでもなかった。
---『サンダーマスク』の映像はなぜ幻になっているんでしょう?
「これは大変おかしなことがありましてね。結局、企画制作という形では、ひろみプロがやったんですよ。でも、日本テレビで放送が終わった後、代理店の東洋エージェンシーが『すべての権利は自分のところにある』と言ってきて、否も応もなくフィルムを持っていってしまったんです。(ため息をつくような声で)力関係ですね……。私どもは本当に小さな会社でしたから……。東洋エージェンシーの言い分は『制作費を払ったのだから、海外売りを含めた全権利がある』ということでした。こちらにはそういう契約をした覚えはなかったんですけどね」
(略)
70年代は、現在にくらべて権利関係の処理がいい加減だったんでしょうか。
「本当にいい加減でしたね。安藤さんはまだお若いようですからわからないかもしれないですけど、一時期、ひどかった時代がありましたね。もう本当に、おかしなことがまかり通る世界で、私はとにかく伏魔殿だと思っていました
そんな極道エージェンシーはアノ会社だった
『ガンダム』がここまでヒットする以前、創通エージェンシーは中堅の広告代理店にすぎなかった。その歴史は意外に古く、創業は62年までさかのぼる。当時は、読売ジャイアンツの元選手が社長となって設立された「巨報堂」という小さな会社だった。文字どおり「巨人軍」の「広報」をしていたが、65年に東洋エージェンシーと改名。ジャイアンツの専属代理店として球団グッズの商品化を事業の柱とするようになった。この60年代から70年代の初めにかけて行なわれた負の歴史が、最近になって白日の下にさらされている。彼らは王・長嶋両選手の「直筆サインボール」を約二十万個、偽造して販売していたのだった。
ひろみプロダクション設立の経緯
[虫プロが機能停止状態のため、手塚プロでアニメもやっていたが]
手塚作品以外も企画しようとすると、どうしても手塚プロの名前でやるわけにはいかない。それで作ったのがひろみプロだったんです。手塚先生のマネージャーもしている自分が前面に立つわけにはいかないので、経理をやっていた斎藤ひろみさんに社長になってもらいました。(略)
---『サンダーマスク』を制作することになった経緯は?
「(略)”手塚版のウルトラマン”を作れないかということで、日活時代の仲間や円谷プロの人たちに声をかけたんです。当初はサンダーマスクのデザインも、ウルトラマンのデザイナーの成田亨さんに頼んだんです。ただ、彼はサンダーマスクのデザイン画を描いてくれたんですが、ギャラが合わなかったため途中で降りて『突撃!ヒューマン!!』という別の特撮番組の方に行ってしまいました。それで、私が米軍のグリーンベレーをモデルにデザインし直したんです」(略)
『サンダーマスク』の権利はどうなっているんでしょうか?
「映像に関しては、放送権とか意匠権などをひろみさんがだまし取られるような形で、束洋エージェンシーが持って行ったのは確かです。『フィルムをうちで保管する』とか言われてね。ただ、サンダーマスクのデザインは私、怪獣のデザインは成田マキホと、みんなこちらでやってますし、ちゃんとラフ画という証拠も残っています。こちらには無断で使えないはずですよ。ただ、それっきり創通から何の連絡もないです。もう関わりたくないんでしょ! 創通もガンダムで儲かってるのに、余計なトラブルを持ち込みたくないんですよ」
結論、ひろみプロと創通の間で著作権がクリアになっていなかった。
しかも、ピープロ裁判*1のこともあり、創通があの時権利を買ったと主張しても、衛星放送権は当然買ってない(買えない)わけで、色々と面倒なことになる。