視覚のアメリカン・ルネサンス

視覚のアメリカン・ルネサンス

視覚のアメリカン・ルネサンス

リチャード三世の身体とアメリカン・ルネサンス

常山菜穂子

シェイクスピア作品の中でも、「不具者」の成り上がり物語が19世紀前半のアメリカで受けたのか

みずからの意志とは関係なく「奇形」を与えられ、自己決定を可能にする健全なる身体を持たない「不具者」は自分自身の所有者となり得ない。舞台上のリチャードはセルフ・メイド・マンの理想像を逆さに映し出し、その存在は、健全な身体を前提に成り立つ個人主義、ひいてはそうした個人を一単位として、その上に成り立つ近代国家アメリカを再規定する。

セルフ・メイド・マンなる一つの規範を掲げ、かかる個人を最小単位として形成されるアメリカという国家像が標榜された果てに、その規範からはずれる存在が生じ、抑圧される状態となった。個人主義が唱えられる反面、平等という美名のもと同質化が進行し、一元性が横行していく。舞台上のリチャードやフリーク・ショーの出演者の身体は、このような民主主義社会の矛盾を露呈する存在であり、観客に不安を与える脅威でもあった。

ポーと新たなサブライムの意匠(伊藤詔子)

アメリカン・サブライム

ポーの風景が編みだされ始める1820年代、アメリカ独自の絵画様式が確立し、18世紀のサブライムの美学をアメリカ化した、〈アメリカン・サブライム〉と〈ピクチャレスク〉の名画が生みだされ(略)国土拡張のナショナリズムを支える強力な修辞となっていった。
(略)
アメリカン・サブライム〉はそれを担った白人中産階級の人々にとって、〈歴史の欠如した空漠たる大平原〉やロッキー山脈やナイアガラ等の壮大で驚異的規模の自然の圧倒的畏怖の印象、それを目前にしたときの自我の矮小さの感覚とともに自己の無化作用、やがて大地全体を総体的なサブライムな場と感じ、自然の教えに聞き入る中で起こる超絶体験や恍惚感などを特質とする。

ポーによる解体

ポーは新しい視覚をアメリカ的風景の中でなく旧世界に移植することでも〈アメリカン・サブライム〉の技法を同時代作家とは異質なものとしていったといえよう。
しかしここで注意したいのはデュパンの遊歩したパリには、当時フランクリンが発明し、フィラデルフィアにしか普及していなかった避雷針が犯人侵入経路の重要な所にでてきて、犯人は避雷針から窓に飛び移り、まさに稲妻のように室内に入り込む。鐘楼に上る悪魔はアメリカにポテト飢饉で大量に移民してきたアイルランド人の、アイルランド音楽のステップを踏む面影があることが議論されている。またホップ・フロッグが奇想する、人間をオランウータンに変じる羽とタールは、当時アメリカ各地で見られたリンチの常套手段であった。つまりポー作品の旧世界のロケーションには、アメリカ固有の人種的怨嗟が織り込まれ、アメリカ的問題に浸潤された新世界のトポスが担われて、作品の恐怖の要素は徹底してアメリカの社会状況がもたらすものへと質的変化を遂げていることである。
このように風景構築家としてのポーは、時代を席巻していくウィルダネスや西部を素材にするサブライムな文学を、その凡庸さと時に帝国主義的な政治性から批評し、自らの作品の風景では、都市へと移動することで壮大な自然風景は消去され、〈アメリカン・サブライム〉を解体していくことになる。

マーク・トウェイン旅行記と絵画

里内克巳

「クエーカー・シティ」号が周遊旅行を行なった頃の世界情勢を鑑みるならば、「観光旅行」の記録と銘打ったものの、『赤毛布外遊記』がある種の政治的性格を帯びてしまうのも当然と言える。この時期はオスマン・トルコ帝国が凋落の一途をたどる一方で、ヨーロッパの帝国主義がロシアの出方を睨みながら本格的に動き出す頃にあたる。イギリスと協力してロシアの進出を抑えたクリミア戦争以後、フランスはトルコに対する協調的な姿勢を表向きは保ちつつ、中東への進出を着々と目論んでいく。その大きな「成果」であるレセップスによるスエズ運河開通は、1869年のことであるが、同年に出版された旅行記赤毛布外遊記』もこうした歴史の趨勢にある程度歩調を合わせているところがある。
ここで注意を向けておきたいのは、批評家エドワード・サイードの代表的な著作『オリエンタリズム』のなかで、19世紀に聖地を訪れた「西洋」の文学者としてトウェインの名前が四回挙げられている、ということである。そして名指しされないものの彼が念頭に置いているトウェインの作品は、『赤毛布外遊記』であることは明らかである。(略)
作品前半部に現われた異文化をあくまで現実的に理解しようとする姿勢は、かなりの程度後半部にも引き継がれていることは、前節で指摘したとおりである。そしてこの姿勢こそ、『オリエンタリズム』のなかでサイードが批判してやまないヨーロッパの旅行記作者たちとトウェインとの間に一線を画するものであり、サイードによる『赤毛布外遊記』の位置づけに若干の疑念を生じさせる点でもある。というのも、トウェインは作家たちの提示するヴィジョンをー歩離れた地点から皮肉に眺めようとしているのに、そのような側面にサイードはまったく触れようとしないのだから。