広告する小説

 

著者はフェミポモみたいだけど面白い。

広告と文学

「近代」文学の誕生に広告が立ち会っていたにもかかわらず、この両者の親密な関係も、やがて文学が自己充足的なジャンルとして持て囃されるようになってからは、しかと認められることがなくなってしまう裏には、いったいどんな事情がからんでいたのだろう? 広告は「作者」を形成し、宗教の領域外に一般読者層を開拓することにかけては、きわめて中心的な役割を果たしたが、しかし、こと現実に作品を書いたり読者に読ませたりすることに関しては広告といえども口だしできなかった。従来にない社会的認知を得て意気盛んの文学はまた、あたらしい市場での生存競争を強いられ息をつく間もないほどだった。

広告と新聞

広告はもはや、世俗的な本そのものをやわらかくつつみこみ、その魅力をあますところなく伝える、魔法の光雲ではなくなったのである。
 文学の流通方法を発明・促進し、文学を文学たらしめた、定義上は序文の頁である初期の広告は、「文学」という輪郭を描きだすことに終始していた。しかし17世紀も後半になると、「アドヴァタイジング」と呼ばれた宣伝方法は文学作品の扉頁から抜け出し新聞をつくることに貢献し、『アドヴァタイザー』誌の名が新聞雑誌の総称になった。広告の柔軟性がまったく別個の出版メディアである新聞にかたちをあたえ、新聞はそうした初期の頃の広告スペースから直接生まれてきたのである。

映像も写真も広告から

映像も写真も、絵や彫刻や文学に取ってかわる審美的な革命を引き起こした芸術形態だったのではなくて、ともに商業的な広告企画から生まれてきたのである。早い話が、写真の最初の第一義的な用途は商売用地とその商業的発展を記録し、それによって金融投資家たちにもろもろの資産が「本物」だと納得させることだったし、最初の初歩的な映像装置もまた、製造業者に精巧な機械を宣伝する目的で、作動している機械の複雑な動きをとらえるために発明されたのである。

ニュースと広告は表裏一体

広告の出現は、最初の新聞が出現したのと一緒で、ネイザン・タイラーの『インテリジェンサー』紙(1647年)に遡ることができる。ネイザン・タイラーがとった手法はニュースの足りないところを広告で埋めるというやり方で、その結果、ニュースと広告という二つの別個の要素は区別しがたいものになっていった。ある紙面にどこそこの船が港に入ったという告示が載ったなら、別の箇所にはどこの船がどんな積み荷を運んできたとかこなかったとかいう一覧表が載った。船が入港したことと、どんな商売ができるかは、紙面の上で表立って結びつけられていたわけではなかったし、ましてこの新聞を読んでいたのは船主たちに限られていたようである。それでも、一種の商売用の告知文であったものが「ニュース」として取り扱われたことで、埋め草と情報提供が半々くらいの、広告の新しい立場が固まったのである。(略)
新聞を編集する側のうやむやな態度は、次第に固まりつつあった広告のどっちつかずの立場を反映していた---逃亡した奴隷や奉公人をさがす尋ね人広告と、そうした逃亡があったことを伝える「ニュース」とのあいだにはこれといって明確な区別はなかった。

コーヒーハウスというニューメディア。

階級を越えたアクセスで広告収入。

19世紀に入って、広告はかなり異なる二つ流れに分岐していった。一方において、広告はこれもかなり不安定な新しい社会的営為であったニュースと手を結んで、社会的な情報ないしは談話の一種になっていった。もう一方で、広告は客が常に出入りするコーヒーハウスのような集合場所に侵入しはじめた。(略)
コーヒーハウス社会のなかで培われた形式ばらない広告のひとつに、小売り商人が客寄せのためのビラを貼ることができる掲示板ないしは伝言板システムがあった。次第にこの伝言板のシステムは発展し、コーヒーハウスの主人が引き受けて、時には料金をとって、商取引のメッセージを取次いだり、買い手と売り手が互いに接触できる場を提供したりするようになった。この伝言板システムは言葉を媒介にして機能していたわけだが、コーヒーハウスが階級という境界線を越えてさまざまな人々を集め、広告というユニークな情報をもっと容易に受け入れることができる大衆を創造した都会的な場所だったということもあって、このシステムがもっていた影響力は並々ならぬものがあった。コーヒーハウスのなかで商売をしたいのならば、とにもかくにもまずはコーヒーを飲むという当時はまだ珍しかった行為をなんとか受け入れなければならなかった。

実生活から広告の魔法を学んだディケンズ

「ひとつの製品を他から区別するためにラベルを貼る」という魔法。

少年ディケンズはウォレン靴墨商会の倉庫のなかで猫の絵がついたのと同じようなラベルを瓶に貼る賃仕事に就き、みるみるうちに「ひとつひとつの瓶が薬屋で売られている軟膏のつぼくらい格好よく見えてくる」のを目の当たりにしていた。(略)
少年ディケンズはただたんに広告ラベルを靴墨の瓶に貼るようにいわれただけではなく、彼はその仕事をするのに相応しい場所として外からまるみえの一階の窓べのところで働かされたのであり、道行く人々に対して、倉庫全体の真面目さや勤勉さをアピールするような一種の「働く人間広告」となるべく、彼の頭上の「ウォレン靴墨」の看板に相応しい人目をひく人間お飾りとして据えられたのである。

やがて広告文を書く仕事に就き

ディケンズは他のいかなる19世紀作家ともちがって、広告の世界から叩き上げてその世界の外に名をはせた作家であり、元祖広告書きのひとりなのである。

広告からその下の生活を想像するディケンズ

スケッチはその商売が何であるとか、それぞれがどんなように異なった運命を辿るかといったことには別段触れないのだが、正面の窓に描かれる寄せ集めの広告がしだいに増えていって、しまいにその家のもともとの稼業が、あとから付けられた看板や広告によって跡形もなく消えうせていくのをみて、商売が変わったんだなと察しがつくのである。ディケンズは、「背表紙から本の中身を読む」要領で、標識、ビラ、窓の飾り文字、商店のウィンドー・ディスプレイといったものをそれぞれ、読むべき「本」として扱い、ダイアル一家の住む付近一帯をテクスト化している。(略)ディケンズは都市を広告から「読んだ」

娯楽が広告に侵食される

『骨董屋』の中間部に登場する興行師たちは、いまや入念な枠で表象のまわりをとり囲むことが必要であることを、そしてそういった枠の仕掛けを横取りすることにかけて、どれほど広告が貪欲であるかを、知り過ぎるほど知っている。大衆はエンターテインメントにもう飽きてしまっている。だからこそそういう大衆を楽しませるために、口説いて、誘惑して、つまりは広告しなければならないと彼らは考えている。(略)
広告のテクニックが美的表象を目立たせ、したがってどこにも負けない競争力をつくるのだ、というこの興行師たちが暗に語っている考え方は、広告で大々的に宣伝して売るという、ディケンズ自身の小説のありようをも彷彿とさせる。こうした巡回興行師たちにとって脅威なのは、広告が彼らの領分を横取りしつつあること---巨人、小人、パンチ人形芝居が商品のアウラをつくるために利用され食われつつあることである。(略)
ディケンズは『骨董屋』のなかでこの緊張関係を正面きってとりあげ、文学表象と広告の近親関係をあきらかにし、美的のみならず社会的な可視性の獲得競争において、その鍵を握ることになるのは広告であると予測しているのである。

まだまだ続く。