世界を覆う白い幻影

『白鯨』「法的」所有権に関わる不条理性。

収奪所有した者勝ち。

だれでも口にする諺に、「持つことは法律の半分にはなる」というが、それは、どうして手に入ったかは問題にしないわけであろう。だが、それどころか、しばしば、持つことは法律のすべてになるのだ。ロシアの農奴や共和国の奴隷たちの肉体と魂とは、仕止め鯨であって、そこでは所有は法のすべてをなすのではなかろうか。

南北戦争前夜

1850年代という南北戦争前夜の状況は、メルヴィル後期の詩集にも散見されるように、既成の政党すら分裂を繰り返し、経済人は流動する政情の中で自らの利害のみに関心を寄せ、また言論人は状況の過激な展開に極端から極端へと動揺する、といった激動期であり、しかも大衆すべてが、財産のみならず、生命の危険を直接的に感じ取る時期であったのであるから、そのような危機に投げ込まれた人々がいかに「信念」をもたず、ひたすら利己主義者へと純化するものであるか

シャーマン将軍の「海への進撃」に代表される、非戦闘員の生命や財産への無差別攻撃をもたらした最初の近代戦争である南北戦争で、科学技術を駆使した大量殺戮兵器が使用されていることに深い懸念を寄せている。

クラレル』(1876)での民主主義観

そうさ民主主義なんてやつは人をバサバサ切り落とすだけ。
でもそいつの温床がどこにあるっていうんだ。未来にあるってのか?
自分は何物も継承しない、なんて自慢するそんなものに
未来なんて何の意味があるっていうんだ?
大体口先ばかりで、心には未来など何も無いんだ。
民主々義は「過去」に背を向ける、それでいてそいつの救いの場ってのは
過去の他には何もないんだ。
あの「善」と称する部分がやつの悪を生き長らえさせてやっているってわけだ。
見ろよ、女衒たちが民主々義に王冠をかぶらせ歓呼するさまを、
まるで馬上の売女がエペソ人の群衆の中に馬を乗り入れて
踏みにじっているみたいだ。しかもそのエペソ人自身が、
この希代の汚辱の女神を褒め讃えているときている。
まったく民主主義なんてのは下賎の農奴からのし上がった
無神の時代のとっておきの売春婦ってわけだ