フィレンツェの政体

同時代のマキャベリが失脚して末端にいたのに対し、著者は名門貴族で高級官僚だったが、後世において忘れ去られる。

大衆に政治は無理

このようなことは権力が一人の人間にのみ、あるいは少数の人間にのみ存しているような政権に可能なのです。なぜなら彼らにはこのようなことを考える時間があり、勤勉さがあり、知性があるからです。その必要性を認めれば、彼らは状況に従って対抗措置を取ることができるからです。これらすべてのことは大衆の政権にとっては完全に無縁なことです。なぜなら、大衆の政権は物を考えないし、物に専念しないし、何事をも見ないし、理解しないからです。事態がいよいよ誰にでも明らかになる時点に至って初めて、それに気付くからです。次いで、事態を正すためには大きな危険を伴い、大きな苦難を経て、しかも耐え難き失費を伴って初めて為されねばなりません。初めに何らかの措置が取られていれば、安全に、費用もかからず、少しの労力で済んでいたのです。何か起こっているかを時宜に合わせて見て取ることのできる市民が一人や二人いたとしても、それだけでは十分ではありません。なぜならば、彼らが救済策を提案しても大衆は理性に盲目で大声をあげて反対するからです。その際提案された措置に反対するだけではありません。市民たちの行動を野心あるいはその他個人的な欲望のせいにするのです。他方、市民たちにも責任があります。危険の迫るのを認めても、機会を捉えてえて勇気をもってその危険を指摘しようとはしないからです。自分たちが嘲弄され疑惑の目で見られているのを知っているのです。大衆は常に次のような意見を抱いております。すなわち、優れた人びとは自由な政権に満足していない、したがって、絶えず戦争や揉め事を望んで自由を圧殺する機会を狙っている、あるいは少なくとも平穏な時以上に、フィレンツェが彼らを官職に就かせざるを得なくなる機会を狙っている、とこのような意見を抱いております。したがって、大衆はこのような人びとの権威に動かされません。なぜなら、彼らを信頼していないからです。大衆は彼らの議論に納得いたしません。議論を理解できないからです。このような誤った考えのために、多くの共和国が破滅してまいりました。

大衆は傭兵を「できれば迫害致します」。

まさに「笛吹き男」状態。

ベルナルド・デル・ネロ 民主政権は傭兵隊長や兵を信用することができません。一人の支配者の場合とは異なります。と申しますのも、傭兵と大衆との間にはほとんど生来の敵意が存しているからです。大衆は戦争の際、いたしかたなく傭兵を使います。平和が実現すれば、傭兵に報酬を支払うことなく、お払い箱に致します。できれば迫害致します。傭兵の方は一人の人間に仕えているのではないのを知っておりますから、できるだけ長く利益を引き出すために戦争を長引かせようと考えているか、あるいは裏切って敵の支配者に取り入ろうとするか、あるいは少なくとも大衆には冷ややかに仕えているか、そのいずれかなのです。大衆には愛情を抱かず、また彼らにいかなる期待も寄せておりませんので、仕えるのもいい加減なのです。したがって、父祖の時代には賢明な市民たちは必要やむを得ない場合を除いて戦争を行うことを常に反対していました。私はこのような反対を讃美致しますが、それだけでは済みません。なぜなら、戦争を行うことはしばしば必要なことだからです。
[脚注]フィレンツェは後にピサ攻撃のために傭った有名な傭兵隊長パオロ・ヴィッテルリを無実の罪で処刑することになる。

大衆

大衆の欲望や意図は極めて不安定なものであり、しばしば理性よりも事件の偶然の流れによって決定されるので、権力を掌握する望みを彼らに託す人がいればそれは無意味なことである。大衆が何を欲しているかを推測するのは知恵というより幸運の問題である。

暴君の下で生きる50の方法

祖国において、おまえが血に飢えた野獣のごとき暴君のもとで生きざるを得ない状況であれば、亡命せよという以外、おまえに教えるべき規則はない。しかし暴君が自制をもって臨む場合には、たとえそれが用心のためであれ、あるいはそうせざるを得ないからであれ、あるいは彼の統治の状況のためであれ、いずれにせよその場合には、おまえは一目おかれるように、そして勇気はあるが物静かな性格で、強制されない限り暴動を起こそうなどという気はさらさらない、そういう人間と思われるよう努めねばならない。その場合には暴君はおまえに優しく接し、革命を起こそうなどというきっかけをおまえに与えないよう努めるであろう。しかし、おまえが落ち着きがないと思えば、暴君はそうはしないであろう。その場合には、何をしようともおまえがおとなしくしていないことを知り、おまえを破滅させる機会を求めざるを得なくなるであろう。

ほどほど

自由な都市にいようと、狭い政体の下にいようと、あるいは君主の下にいようと、おまえの計画はすべて達成することができないということを建前としておくように。それゆえ、計画の一つが失敗しても激怒したりあるいは反乱を企てようとしたりしないで、自分の立場を維持してそれに満足していなければならない。