最初の経済学体系

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ジェイムズ・ステュアート『経済の原理』

アダム・スミスがあえて無視する程の存在だったのに、一時は忘れ去られたジェイムズ・ステュアートの『経済の原理』(1767)は『国富論』に先立つこと9年。

ステュアートには国民経済の成熟した段階というイメージがあって、そこでは土地担保発券銀行の詳密な構想があり、それは財宝としての貴金属という概念をはるかうしろに追いやって、広大な国内市場という認識のうえにいわゆる紙券重商主義の計画を展開させている。そうしてこの構想は、ラーナー的な機能的財政の思想にはるかにさきがけて、公債・財政政策における政府支出の重視の思想の展開となり、ここでも大筋ではケインズと相応じているのだから、これをたんにスミス以前的な理論とだけはいいきれないのである。(略)
『経済の原理』の租税論では、こういう大衆的剰余=大衆的富から消費税を徴収することの意義が積極的に論ぜられているのである。

当然ケインズは読むことがなかった

『経済の原理』における政策主体は、諸国の政体の如何にかかわらず実質的な最高権力を保有する為政者である。彼は国民のなかで唯一人公共心に従うと想定される人物であり、スミスの「見えない手」のかわりに知性にもとづく「公平な于」(impartial hand)を働かせてたえず経済に介入する。しかしそれなら、『経済の原理』は「自然の法則」を認めないのであろうか?否である。為政者が政策を実施できるのは、国民各自が利己心にのみ則って行動し、したがってその経済的帰趨を見分けうるゆえに、そのエネルギーの流れを別の方向に導くべき水路を--やはり彼らの利己心を利用しつつ--つくることができるからである。(略)
為政者による経済への介入は、経済自体の近代化の促進のために行われる介入でなくてはならず、しかも近代経済の機構は複雑なものであるから、慎重にかつソフトに実施されるのでなくてはならない。(略)
なお比喩をかさねるとすれば、ヨーロッパの諸国民のそれぞれは特定の港をめざす船であり、各国の為政者はそれらの船長であって、利己心という貿易風に巧みに帆をあやつって早い着港をこころざすのが船長の役目なのである

有効需要という語の創始者

この有効需要という語は--非有効需要(ineffectual demand)の語とともに--わたくしの知るかぎりではステュアートの創始した術語であり、周知のようにスミスは『国富論』の自然・市場価格論で、彼のいう絶対需要--たんなる欲求--との対比において、これを継承したのであった。しかし『国富論』はその第四編における重商主義批判で、貨幣商品である金銀に対する有効需要は最もたやすく充足されうる--つまり売りの行為が買いの行為よりも容易である--という、強引な立論をあえてしているのである。しかし、ステュアートは、商品生産に内蔵される有効需要の不足という本質的傾向を、一貫してきわめて深くこころにとどめていた。そうしてここから、(略)
それを可能ならしめるためには為政者の不断の、しかもしだいに複雑化する、有効需要創出政策が不可欠であるとする、十分に自覚された立場が生ずる。

重商主義ではなかった

輸出貿易がさかんに行われる段階では、有効需要は外国から来る。したがって為政者の関心は、国民経済の円滑な運行を進めるかぎりでの輸出の促進と輸入の阻止とに向けられ、生産者たちの就業の増加は外国貿易の部面に求められる。ここではまさしく『経済の原理』の重商主義が顕現するのである。しかし、「世界市民」の立場を守るステュアートのペンからは、このばあい、特定の国民産業のための保護主義のエネルギーは感じられない。貿易統制が保護主義と結合するとしても、それは有効需要創出政策の一局面にしかすぎないのである。したがって貿易にかんする統制の諸策は、集中的には『経済の原理』の第二編「トレードとインダストリ」の一半で論じられているにとどまる。そうしてもとよりステュアートは、「鋳貨[=金銀]はわれわれの富のうちの一品目ではあるが、富の尺度ではけっしてありえない」ということをよく心得ていた。金銀はそれが流通にあることによって、「つまりはインダストリによって」、国の富であり力であるといいうるものであった。

アメリカの金銀ではなく市民的自由によって

「インダストリの拡大を求めた一般的な風潮こそが、これほど多量の貨幣を流通にもたらした事情なのであって、アメリカの発見がそれをもたらしたのではなかった。(略)
アメリカの金銀はヨーロッパの洗練の原因ではなかった。そうではなくて、市民的自由が拡大したがゆえに、いつの時代にも人の切望してきた財宝の所有者たちが、以前にはもっとも豊かな者たちの財産の一部を成していた、人々の奉仕を買い入れるために、自分の宝庫を開かせられたのである。この自由こそがトレードとインダストリとの基礎である」--ステュアートが単純に重商主義者とはいえないこと、彼の目が古典古代にまで遡って財宝と商品流通とのかかわりを見すえていたことは、以上の点からも知られるであろう。