南北戦争の遺産

 

冷戦時代の1961年に小説家・詩人・批評家である著者はアメリカ文学の重鎮。薄いので短時間で読めます。

「強固な南部」の誕生

敗北して初めて「強固な南部」が生まれた。(略)
[ケンタッキー、テネシーミシシッピー各州]の住人たちは、自分たちはいまや「南部人」であるのだと考えられるようになった。リー将軍がグラント将軍に降伏した瞬間に初めて、南部連合は生まれたといえるだろう。言いかえれば、南部連合はその死の瞬間に不滅の状態にはいったのである。

アメリカの戦争

南北戦争はたとえば、アメリカの戦争という概念を作りあげた。グラント将軍がヴァージニア州の森林地帯で大胆な機動作戦を試み、リー将軍がグラント将軍を攻撃してからというもの、連邦政府は軍事に関して、かつての巧妙な戦術や高等戦略といった作戦と同じくらい、供給、輸送、軍需品、消耗といった問題を重視するようになった。(略)
南北戦争から全面戦争という概念が生まれ、それが北部に勝利をもたらした鍵だった。

奴隷解放という正義のためには

奴隷の死もやむなしという論理

「道徳律」を唱える奴隷解放論者は、神の啓示という理由をふりかざして真理はすべて自分にあるとした。ひそかに神の意志に通じていると自認する人間はいちいち議論することにがまんできず、自分の側だけにすべての正当な理由と美徳があると思いこんで、再考をうながす理性をはねつけ、すぐに流血で決着をつけようとしてしまうのである。こうして、りっぱな大義名分のもとに勇敢に事を起こした人びとが、焦りのあまり、ときには自由を求める気持と血への渇望との区別がつかなくなってしまうほど、本来もっていた高潔さが病的なものになってしまうという悲しむべき状況が生まれたのである。そして彼らの狂信的な計算によって、「もしアメリカ中の奴隷が、男も女も無力な赤ん坊もみな、戦場に倒れるか、復讐の犠牲になったとしても、……全員で勝ちとった自由を、生き残ったひとりの奴隷が昧わえるならば、このたったひとりの黒人の自由は、……彼の仲間や圧政者たちが皆殺しになったその代償としての価値はあるだろう」という理屈が生まれるのだ。

連邦離脱の権利ありとしたことで、北部政府と戦う時に、

南部政府にすら反抗することに。

1861年までにはすっかり批判を抑圧する閉鎖的な社会となってしまっていた南部が、開戦と同時に極端なまでに開放的になったようにみえるのはわが国の歴史の皮肉である。(略)
南部連合政府は、政治的民主主義と市民権−言論の自由不当逮捕を免れる自由、正当な法の手続−にたいして細心の配慮をすることに、狂信的なまでにこだわってしまっていた。政府にたいする不信も、煽動行為も、不当な利益も、搾取もみな、市民権という隠れ蓑に身を包むことができた。(略)
これにたいし、北部では合計300以上の新聞が弾圧されたことを思い起こしてみるとよい。リンカンが「民衆のために必要だから」という理由で、議会を通さずに独断で人身保護令状を停止したことも、また北部で一万五千人以上の人びとが、無制限に保証されている大統領の権限に基づいて、正当な法手統など踏まずに大統領の命令によって逮捕されたことも思い起こしてみるとよい。
ここで言いたいことは、リンカンが独裁者でデイヴィスがそうではなかったということではない。はっきりしているのは、リンカンが現実主義者でデイヴィスがそうではなかったということである。だがもうひとつ興味深い重要なことがある。南部の法律尊重主義的で論理一辺倒な偏向というものは、彼らがアメリカ全体の少数派として、病的なほど激しい猜疑心を抱いて自己防御的に行動していたときに、奴隷制奴隷制に基づく社会を正当化するために助長されたものなのである。しかし、連邦を離脱するという行為によって、南部が国家内部の自己防御的少数派という立場から独立国家という立場に変わるとたちまち、その同じ法律尊重主義的で論理一辺倒な偏向はさらに助長され、新たにできた国家では、個人に権利があるとする別の前提に基づいた主張ができると考えるようになった。(略)
自分たちの州に権利があるとする考え方と、きわめて非論理的な個人主義という少数派心理のせいで、今度は北部政府にではなく、南部政府にたいして反抗するようになったのである。

論理的政党制はこりごり。ことなかれで。

社会の、地域の、道徳の、思想の力が、この二大政党制にそのまま論理的に反映された選挙は、1860年の選挙だった。このときは、開票が終わっても仕事がいつものように再開されなかったのである。多くのアメリカ人はこれが骨身にしみて、この選挙から教訓を得たのだった。つまり、論理的な政党制は論理的な銃撃戦を論理的に導くことになりかねないということを知り、そんなものはもうこりごりだと思ったのである。アメリカ人は、論理性は常識によって抑制、制御されない限り狂信主義に向かい、排他的になって復讐心を抱いてしまうほど論戦を激しいものにしかねないと感じているのだ。(略)
政党制は、論点を消費者である大衆のために加工する焼き網であり、裏ごし器であり、肉びき器なのだ。南北戦争はこのやり方を好む体質を堅固なものにした。われわれは、政治は霧に包まれていて、時おり光る稲妻も劇的効果を盛りあげるだけで、うまいぐあいにニアミス程度ですむのがいいと思っているのである。

ひとりよがりな正義漢の孤立

わが国は正義の味方気取りで孤立している。(略)
[隠密外交、裏取引、etcに走りがちな]外国人のほうでは、政治的手腕にたけていると思われることを気に病んでいるわけではない。むしろそう思われたいと考えているのだ。外国人からみて奇妙に映るのは、アメリカ人が腐敗とは無縁とばかりに、無意識に輝かせる独善という目の光である。ひとりよがりの正義漢は、自分の行動に自信があるため、結果を考える必要を感じない。(略)
アメリカ人は自分の正当性を確信しているため、道徳的にはまちがっていないかもしれないが、まさにそのために政治的には無責任になりかねないこともあるのだ。

民主主義は南北戦争から生まれた

第二次世界大戦中にとくに宣伝活動に利用されたのが、独立戦争ではなく南北戦争だったこと、映画の二本立てが終わったあときまってスクリーンに映し出されたのがワシントンやジェファソンではなく、リンカンの肖像だったこと、若い空軍士官向けの授業で(おそらく他のところでも)よく指摘されたのが、建国の父祖が「民主主義的」だったのではなく、民主主義は南北戦争から生まれたのだということ