前回の続き

(前回の続きのような)
ただのメルヘン不思議少女では片付けられない
斉藤由貴の大物ぶりを認識したのは
「結局オザキとやっていたわけですか、ニヤニヤ」
というような状況で行われた会見を見たときでした。
芸能レポーターというのは軽蔑とかには敏感で
詰問を否定すれば怒るし、逆にひたすら低姿勢でごもっともですと
対応すればカサにかかるし、どうにもならないものなのである。
それなのに斉藤はオザキとの関係を
「同志」というヘンテコな言葉で表現した。
「同志」ということは二人が同志として立ち向かうべき
イヤな状況があるわけで、あの状況でそういう言葉を使えば
目の前のレポーターに対し嫌悪というものを示すことになるのだが、
斉藤は質問にただ真摯に答えて「同志」と言い、
一方のレポーター達も自分達を軽蔑することなく答える態度に、
素直にその答えを受け止めていたのだった。
大概の不思議ちゃんは別に何かを考えているわけではなく、
ただ「カワイイ」と呼ばれることへの反発だったり、
自分の何が「カワイイ」のかわからなくなって
その不安感からおかしくなってたり、
単に子供のままでいたいだけだったりするのだが、
どうも斉藤由貴は何か考えていて回りはそれをメルヘンとして
認識するしかないことになってしまうのではなかろうか。
情熱大陸西原理恵子を見た時、その仕草に何故だか
斉藤由貴と似たものを感じたのだが。それはなんだろうか。
(眠くなったので、明日、書き足したい)