テロの人

アメリカには、今なお色濃く緑が残っている「NY」と呼ばれる土地がある。私がこのNYの名が付く場所に日本より引っ越してから、早いもので百年がたつ。仕事部屋の大きな窓の前には、小高いビル群が広がっており、退屈すると千枚通しで道をあけ散歩に出る。このNY一帯のいたるところからインディアンが発掘されるところからみて、大昔から殺戮の土地だったのかもしれない。そんなインディアンの土地は、今や広大な住宅地になっている。ビルの多い住宅地を抜け、なおも繁栄の階段を登っていくと、行く手にはきまって自由の袋小路や迷路のような正義が細く続いている。千枚通し一本分のぬかるんだ正義はやがて別の正義とつながり、不意に原理主義の湧き出しているポンプ小屋にぶつかったりする。

「テロを見に来ませんか」
その日は朝から晴れ渡り自由の風が吹いていた。私が仕事の手を休めボンヤリしていたとき、彼から電話が入った。やつらに体よく使い捨てにされた後、彼は近くの児童館で働いていた。アメリカが好きだった彼のために、コーラを手に、ぬかるんだ正義の道をいくらか汗をかきながら登っていった。庭の隣に樹齢二百年を越す世界貿易センタービルがあり、世界中のマネーでライトアップされていた。私たちは丸太を転がした上に、仲良く並んで座り、黙ってコーラを酌み交わした。長い髭をたくわえた顔は少し老けたが元気そうであった。世界貿易センタービルの根元に小道に沿った流れがあり、そのせせらぎの音が一瞬大きく聞こえた。

「あいつらは弱い人間だ」と頬づえをつきながら、テロの理由を話しだした。私が大型旅客機の硬い矢尻をしげしげと眺めていると、「あいつらと散歩したときに見つけたものさ」と言った。それは自由の国が「正義」を通して砂漠の人間と接触した証拠であった。
「このビル群はテロのロマンを秘めてる」
ふたりで一ダースも空けると、何を話しているのか脈絡もなくなってくる。彼は寝室から枕を持ってきてゴロンと崩れるように横になってしまった。私が粉塵の入る雨戸を閉め、帰る支度をしていると、「もう少しいませんか」と、彼が眼をつぶったまま低い声を出した。私は喉が渇いたのでアラブの蛇口をひねろうとしたがアブラは出なかった。
「アラブが壊れてしまったから、今度はアメリカです」
家の中は静まり返り、外では風がビル群の間で気味悪い音をたてていた。遠くの砂漠に赤い爆撃の火が見えた。そしてボーッと白く浮かび上がっている世界貿易センタービルが闇に馴れた目に映った。

不意に彼の影が動き、きちんと正座をして私の顔をまじまじと見つめて言った。
「やっと帰ってきたね、君」
(2001/10/19の日記より)
ある短編小説をREMIXしたもの。


トラブルがおきている。
かれらは外で待っている。
自分の役割がしだいにはっきりしてくる。
君はいまここにいる。カメラをもって。
なにが君の心を傷つけるか、
それはおんなたちにもわからない。
君は女をさがしている。
闇の中に横たわっている女を。
やめるわけにはいかなかった。
あの日のことをかんがえはじめたせいだ。
咎めている目だ、いつだって咎めている。
マーシーはただ喋り続ける。
なにか見落としている事があるんです。
危険のない人生なんて、死んでるのと同じ。
とんでもないことが起こりそうで。
生まれてはじめての感覚だった。
あの日のことを覚えています。
だんだん夢が広がっていきました。
月の明かりはいいものです。
人間の欲望につながるから。
別の世界にきてしまったような気がしました。
これはこの世ではないと。
すべてが霧の中に溶けていくようで。
こうなったら、いくところまでいくしかない。
そう思いました。
リーダー、僕のために歌ってください。
マーヴィン・ゲイを。「MERCY MERCY ME」を。

田代まさしに思いを馳せた「2001/11/10の日記」を再掲)

  • 母の家

あたしは頭が変なの。どうも狂っているらしいの。
クロディーヌ・ロンジェは言った。
気が狂ったのは一年前なの。
彼女は闇に立ち上る白い蒸気のようだった。
その若さを血の気のない冷たい指に握りしめ
インド人に扮した、ピーター・セラーズは窓の外をみた。
ひっかいたような硬い月が浮かんでいた。
なんと残酷な光景だろう。
狂うというのはどういうことでしょう。
私の死んだ母はじつにまともな人間でした。
狂気とは関係のない人間でした。
しかし母は世間からみれば不可解な家で死にました。
それは狂気ともいえます。
子供の僕だけがそう言えるのかもしれません。
でも、ここはいいところです。
気候もいいし、風景も美しい。
ピーターが語り終えると、
ささやくような声で彼女は歌った。
あなたは人々を殺しまわってるのね。
(2001/12/06日記より)