近代日本の音楽文化とタカラヅカ・その2

前日のつづき。

近代日本の音楽文化とタカラヅカ

近代日本の音楽文化とタカラヅカ

パリに学ぶ白井鐵造

衣装は大てい背景と同じ調子の色を使ってゐるが、背景にすい込まれることもなく、場面毎に色を代えて行くレビュウには、色の変りがはっきりして効果あり。(略)白い花を持った白いスカートの大きい衣装の女達が退場すると、背景の後ろの黒幕のみが開く。と、その後ろにも、前の花と同じ調子の背景、同じ女達がゐる。もっと踊子を多さん出して、幕が開いたとき踊ってゐる方面白し。
この記述を見る限り、エログロの世界は微塵も感じられない。宝塚少女歌劇の舞台に、円熟した男女が演じるエログロのパリ・レビューをそのまま移すには無理がある。ノートには、宝塚に移せるアイディアのみを記したのであろう。この時点で白井を通して、パリ・ミュージック・ホールの見せ物的、色物寄席的なレビューは、宝塚向けに美化、醇化されていたのである。この当時の演出家は、脚本も書き、踊りの振付に作詞も担当していたので、公演の印象だけでなく、物語のあらすじ、舞台のスケッチ、ダンスの足の運びに至るまで事細かに記録している。

すみれの花咲く頃

私が一番興味があり、知りたい曲、それは今も歌い継がれ宝塚を象徴する歌となっている《すみれの花咲く頃》である。ノートを繰っていくと《Les lilas》と書かれたページがあった。
春!春!人は皆お前を森の中に待てゐる。そして恋人達は二人連れで幸福な時を過すために、又お前を待ってゐる。(略)白きリラの花再び咲くとき、人も再び心を悩ます、人の心酔はし、奴れいにするのはそれは春だ、リラの白き花再び咲くとき、人はあらゆる誓言の声をきくだろう。
と、二ぺージにわたって訳されている。
この訳詞から悩ましい恋の思い出が歌われていることは理解できるが、「リラの白き花再び咲くとき」の歌詞が繰り返され、所々「彼女を自分の腕に抱くために」「熱烈な接吻を」などの官能的な仏語歌詞も見られる。宝塚では「春、すみれ咲き春を告げる(略)すみれの花咲く頃、初めて君を知りぬ」という淡く悩ましい初恋の歌詞に置き換えられた。

藤田嗣治

[コンセルマイヨール]で上演された『En Plein Jeunesse(若さいっぱい)』というレビューは、藤田が登場する場面もあって、世界中の芸術家が集まるモンパルナスの愉快な生活をうかがえる面白いものであったようだ。白井がパリから持ち帰った原曲の楽譜の表紙には、「コンセルマイヨールで大成功のレビュー」と印刷され、おかっぱ頭にロイド眼鏡、チョビ髭の藤田嗣治の似顔絵が描かれている。
ノートに戻って、のフレーズは「女達は皆変妙なフジタのために(略)彼女達は彼のおカッパ頭を讃嘆する、彼のニツの小さ耳輪、(略)彼の筆法を知ることは可笑しい モンパルナス、モンパルノ」と訳が付いた。(略)
宝塚の舞台では、「フジタを気取り集まるところ あモンパルナス、あモンパルノ」と歌われ、橘薫がフジタに扮して客席を湧かせた。丁度藤田画伯が帰国していた時期で話題性があり、一層客の興味を引いた。

あと北陸にもタカラヅカがあったというローカルネタがあったんですがあまりにもローカルか。どうしよう。明日追加するかも。

七人の恋人

七人の恋人

特に「ごっつ」というか松本人志ワールドに思えた箇所。
『ほとんど×三宅マン』より
三宅マンとか言って何もできないじゃんとテツロウに突っ込まれ、いや三宅マンじゃないから

三宅 「ほとんど三宅マンだからね!正しくは!ほとんど三宅なわけだから!『ほとんど』があるのとないのとでは全然違いますからね」
テツロウ 「・・・はい」
三宅 「ほとんどって言うのは、ウチらの業界じゃ95パーぐらいを指すわけ、要するに5%だけヒーロー的な要素が混じった三宅弘城なわけ!100%を期待されても困るわけ、わかるよねえ!」
テツロウ 「・・・分かんないよ」
三宅 「逆に言うと、全てのヒーローに三宅的な要素は混じってるからね」
テツロウ 「本当かよ」
三宅 「例えばスパイダーマンているじゃん、あれ、うちらの業界じゃ『いささか三宅マン』て呼んでるから」
テツロウ 「いささかって・・・スパイダーマンのどこがいささか三宅なの?」
三宅 「ん〜〜ネガティブな所かなー」
テツロウ 「バットマンは?」
三宅 「ふとした瞬間に見せる表情がそこはかとなく三宅マン」
テツロウ 「タケちゃんマンは?」
三宅 「あれはたけしさんですよ」
テツロウ 「基準が分かんねえよ!」

『むねさん』が「とかげのおっさん」的後味。