遠読――〈世界文学システム〉への挑戦

 

先に訳者(秋草俊一郎)あとがきから

 北米の文学研究において、ニュークリティシズム以降、金科玉条となった「精読 close reading」。(略)
モレッティが提唱するのは、その「精読」の対立概念としての「遠読」である。そこに著者の挑戦的、挑発的な姿勢が凝縮されている。
 もちろん、モレッティも研究の出発点からこのような大胆な方法をとってきたわけではない。初期は、18世紀から19世紀を中心にヨーロッパ文学の正典[カノン]を読みこんでいくスタイルだった。(略)
2005年には単著『グラフ、地図、樹――文学史の抽象モデル』を出版。これは文学研究におけるグラフ、地図、樹系図の有用性を理論的に論証しようとしたもので(略)
膨大な小説群のタイトルを統計処理した「スタイル株式会社――七千タイトルの省察」(1740年から1850年のイギリス小説)」(2009年)、『ハムレット』やディケンズの作品と、『紅楼夢』を、テレビドラマの人物相関図のような図表に落としこんで分析を試みた「ネットワーク理論、プロット分析」(2011年)といった論文を精力的に発表しつづけている。(略)
コンピュータを駆使し、グラフや地図、樹系図を用いたアプローチは、モレッティの代名詞になっていった。(略)
ビッグデータを扱うかのように、テクストの一要素をぬきだしグラフ化・図式化して提示するモレッティの手つきはあざやかだ。結論に完全に同意することができないにしても(略)
 反面、伝統的な文学研究の教育を受けてきた人間が、遠読に違和感をおぼえ、反発したくなるのも無理はない。前節でも触れたとおり、文学部では(略)原語でテクストを熟読吟味するよう、徹底的に教えこまれる。ましてや、翻訳作品について研究論文を書くなどもってのほかだ。「遠読」はそういった伝統を否定する行為にも映るだろう。しかし、注意しなくてはならないのは、モレッティは、精読を否定しているわけではないということだ。重要なのは、精読と遠読の分業なのだとモレッティは主張している。実際、モレッティが本書でおこなっている遠読にしても、モレッティ自身の膨大な読書量(正典の読みこみ)があってはじめて成立している面も大きい。(略)
 遠読に問題がないわけではない。まず、当然ながらというべきか、翻訳で文学作品を扱うという行為には、常に危険がつきまとう。いや、翻訳以前に、まったく異なる文化圏の作品を論じれば、気づかぬうちに地雷を踏みぬいている可能性があるのだ。本書所収の論文の場合、それがもっとも端的に露呈してしまったのが、中国の白話小説と西洋文学を比較した「小説――理論と歴史」、「ネットワーク理論、プロット分析」の章だろう。(略)モレッティは無意識のうちに、非西洋圈の「文学」の分析に西洋のパラダイムを適用してしまっている。真に東西の文学を比べようとするなら、そもそもその前提の「文学」の成立の諸条件、背景についての知識が不可欠なのだが、そのことにモレッティは気づけないのだ(そして、これは多くの欧米の「世界文学」論者が陥りがちな罠でもある)。モレッティの試みの大胆さ、アプローチの斬新さは引き継ぎつつも、細部は専門家によって洗いなおしが必要な例だろう。
 そのほか、遠読にたいする比較的大きな疑問として、遠読というアプローチが向くものと、向かないものがあるのではないかというものがある。遠読は、ある一時期に大量に生産されたテクスト群(たとえば「文学の屠場」で扱った初期英国犯罪小説など)を扱うのには適していても、いわゆる「純文学」にはうまく当てはまらないケースが多いのではないか。モレッティ自身、うすうす感づいているようだが、こういった小説はそもそもが少部数しか生産されず、社会のかぎられた層にしか読まれない。その「評価」自体、売り上げや発行部数だけでは定まらず、出版社の力や仲間うちのサークルでの評価や書評、研究などといったずっと微妙かつ曖昧、数値化しづらい諸要素によって決定されるのだ。現代日本で考えるなら、どういった作品が芥川賞をとるのか、とってきたのかは指標化できないが、ライトノベルのタイトルの長さの推移には遠読がうまく使えそうだ(実際、そういった分析をしているサイトはすでにある)。
(略)
[「世界文学への試論」は]歴史家イマニュエル・ウォーラーステイン世界システム理論および、翻訳研究者イタマー・イヴン=ゾウハーのポリシステム論をモデルにしつつ、中心から半周辺、周辺へと文学の形式が伝播していくとモレッティは論じる。その結果、中心由来のプロットと周辺の素材、そして文体の組み合わせで世界各地の小説が形成されたのだ、と。ここでモレッティが証拠として提出するのが、世界各国の文学史をめぐる膨大な文献である――原書ではそれはおびただしい脚注となって摩天楼のように伸び、ページの上部に達せんとしているが、これもウォーラーステインを意識している。
(略)
 本論文が書かれた背景には、1980年代以降に西側で顕在化してきた比較文学というディシプリンの危機がある。ポストコロニアル理論の普及などによって、従来のようにヨーロッパ語文学同上の比較対照をやっていればよいというわけにはいかなくなってしまったのである。このような状況で、従来の比較文学に代わるものとしてひきずりだされたのが、19世紀にゲーテが提唱したとされる「世界文学」という概念である。
(略)
モレッティの観点からは、日本近代文学にたいする評価は低いものにならざるをえなくなる。たとえば『ヨーロッパ小説の地図帳』によれば、ロシアやラテンアメリカとは異なり、日本(やそのほかの地域)は、基本的に近代ヨーロッパが生んだ文学形式の模倣にとどまり、世界に波及する偉大な形式を生まなかったことになってしまう。
 もちろん、こうした議論にはただちに疑問符がなげかけられることだろう。
(略)
 このようなモレッティの議論のあらは、逆説的に日本の研究者が「世界文学」をめぐる議論に貢献できる余地がかなりあることを示しているとも言うことができる。

ここから本文。

フランス文学

18世紀ヨーロッパの具体的なコンテクストにおいて、「人間」という言葉は何を意味するのだろうか?不幸なことに、それは、世にふたつとない権力と野心を有する国民文学を理想化した(または抽象化し規範化した)解釈でしかない。結局のところ、文芸共和国とは、キリスト教共和国の嫡流の相続者というだけのことではないのか。フランス語が、精霊の聖なる言語として、ラテン語の後釜にすわりつつあったのだ。ポール・ヴァン・ティガンは書いている。「古典主義時代は、フランスが文学上の覇権を握っていた期間と一致している。それは、フランスが覇権を手にしたときに始まり、覇権を失ったときに終わったのだ……。ことほどさように、フランス精神は古典主義の理念を体現するものだった。ヨーロッパのある国々では、「古典的」と「フランス的」が同義語となるほどだった」。
(略)
大陸というチェス盤の上で、並ぶものとてない腕の冴え(と幸運)を発揮していたのだから。要するにフランス文学が成功した理由は、フランスという国そのもののうちにというよりも、むしろ他国との関係性のうちにあったのだ。(略)
フランスの文学的伝統は、ダンテやらシェイクスピアやら、はたまたゲーテやらスペイン黄金世紀の作家たちやらの圧力をまぬかれていた。他を圧倒する諸モデルの桎梏を逃れたフランス文学は、よその国にくらべると身も軽やかだった。より多くのテーブルでゲームを楽しみ、ヨーロッパ空間にひょっとあらわれた珍奇なものに対しても、ためらわず賭金を置いた。そして最後に、巨大な国民国家でありながら、フランスは政治や経済のアリーナで覇権を握られないままだった。万年二番手で、つねに切迫した状況にあることが、文化の領野への惜しげもない投資をうながしたといえるだろう。

「小説革命」

 新奇なもの[ノヴェルティ]のらせん。だが、その新奇さは色あせることなく、長きにわたって影響を及ぼす。実際、まさしく「小説革命」であったと評したところで、けっして誇張にはならない。文学もまた、経済とおなじく、出航するための前提条件を18世紀末までには整えていった。新進の(と言ってよい)作家、女性作家、またたく間にふくれあがる読者。各国がそれぞれのヴァリエーションを相知ることで織りなされる複合体。すぐれた形態上のしなやかさ、その核にあるイギリスとフランス。新しい分配のシステム(貨本屋)、早くもそれとわかる姿を現しはじめたカノン。そのとき、偶然が歴史の舞台に登場し、おあつらえ向きの瞬間におあつらえ向きの機会を提供するのだ。すなわち、フランス革命という偶然が。(略)
後代のトラウマとなる事件が次から次に起こった1789年から1815年にかけて、人間の行為は、判読を拒み、われわれを脅かすものとなったかにみえた。文字通りその意味を失ったかにみえた。こうした時代にあっては、「歴史の意味」を取りもどすことこそ、象徴をめぐる最重要課題のひとつとなる。しかも、この課題はほかでもない、小説家にぴったりのものだった。心を奪う物語(それは近代の新しいリズムの激しさを写し取らなければならない)に加えて、きちんと組織された物語(リズムは方向性と形をもたなければならない)も要求されるからである。
 かくして歴史のシナリオは、その錯綜ゆえに、形式をあらゆるレベルで刷新する一大チャンスを提供するのだ。たとえば、新しい時代が有する奇々怪々な側面は、サスペンスの技巧のうちに流れこみ、物語の結末がそれまでの展開に事後的に意味を付与することで、つつましやかなものとなる。政治的・社会的な闘争は、特定の登場人物たちの感情的な対立へと変形され、その不穏な抽象的性質が中和される(しかもハッピー・エンドは排除されない)。そしてまた、言語とイデオロギーの増殖も、洗練された会話スタイルの中庸をとり(小説の挿話にもっとも典型的に見られる)、全知の語り手がすべてを総覧することで、最終的におさえこまれる。
(略)
決壊して四方にちらばった象徴をふたたび架橋し、人物伝という物語の古いしきたりを通じて、近代史が失ってしまったかにみえる神人同形説を取りもどそうとする闘いだった。にもかかわらず、その努力のさなかに、ヨーロッパ小説は新しい物語を無限に生みだし、古典古代の物語の遺産をしりぞけ、読者の意識をますます遠く未来へと連れ去るのである。
(略)
 文学進化のふぞろいなリズム。新しい形式へと結合する素材をたくさん集めるのに、二世紀という時間が費やされた。ところが、ヨーロッパ全土を統一した近代「リアリズム」が生まれるには、多難な状況下にありながら、一世代かそこらで十分だったのだ。(略)
哲学的コントと教養小説という、それぞれの時代を代表する叙述形式が、両者の命運をわけることになった構造上の理由を示している。辛辣で冷然としたコントのプロットは、物語の面白さをそぐことを意図しているかのようだ。物語の面白さは、哲学的な抽象のまえに全面的に屈服している。これは哲学者による哲学者のための小説であり、テクストはテクストそのものと対立的な関係を結んでいるといってよい。火花を散らす批判的言語は、ストーリーの意味を止むことなく問いつづけるよう読者を強くうながすのだ。それに対し教養小説は、反省的な知性なぞ歯牙にもかけず、物語の尽きることない可能性を「青春」の不確かさから汲んでくる。ここで語りは、注解にひとしい意義をもつ。そして、変化に打ちのめされた社会が欲していたのは、まさしく次のようなことだった。語りの構造のうちに立ちあらわれる世界観を、あるいは語りの向こうに立ちあらわれる世界観を、それと知らずに、おそらくは確固不動のドクサの手を借りながらわがものとすること。くりかえそう。コントのもつ融通無碍なコスモポリタン的性格からすれば、国家という次元なぞわれ関せずといったところで、それどころか侮蔑の対象であったかもしれない。しかし、ヨーロッパは国家とナショナリズムを発明しつつあった。個人の社会化を描いた教養小説という物語は、国民文化のうちにしかと根をおろしており、新しい状況にはるかに適した決定的なものだったのである。

遠読

厳密にウォーラーステインのものと言えるテクストは[半分足らず](略)残りは引用だ。永年にわたる分析、つまりは他人の分析を、ウォーラーステインのページが、ひとつのシステムに統合しているのだ。
 さて、このモデルに本気でならおうとするなら(略)
文学史は現在あるものとは、即座にかけ離れてしまうだろう。それは、「受け売り」になるだろう。一行の原典読解すらしない、他人の研究のよせあつめだ。それでもなお野心的どころか、いまだかつてないほど野心的でさえある(世界文学だ!)。だが、野心はいまやテクストからの距離に正比例しているのだ。野心的になればなるほど、距離を遠くとらなくてはならない。
 合衆国は精読の国だ。だから、この思いつきが柏手喝采を浴びるなんて期待はしていない。だが(略)精読がかかえた問題は、ごく小規模のカノンに依存せざるをえないことだ。(略)
個々のテクストにかくも傾注できるのは、ごく少数のテクストが本当に重要だと考えるときのみだ。さもなくば、無意味だ。カノンの外側を見たくなっても(もちろん、世界文学はそうする――そうしないなんて、ばかげている!)、精読はそれをしない。そんな風にできていないどころか、その反対をするようにできているのだ。そもそもが、神学者が執りおこなう儀式めいている――至極少数のテクストにたいする、至極もったいぶった処置を、至極まじめくさっておこなう――しかるに、本当にしなくてはならないのは、悪魔とのちょっとした取引なのだ。テクストをいかに読めばいいかはわかっている、さあ、いかにテクストを読まないか字ぼうではないか。遠読――繰り返させてもらうなら、そこでは距離こそが知識をえる条件なのだ。それさえあれば、テクストよりずっと小さく、ずっと大きい単位に焦点を合わせることができるようになる。技巧、テーマ、文彩――あるいはジャンルやシステムについて。(略)
システムをまるごと理解しようとするなら、なにかを失うことを受けいれなくてはならない。理論的知識には代価がつきものだ。現実は限りなく豊かだが、概念は抽象的で貧しい。だがこの「貧しさ」こそが、それを扱うことを可能にし、結果として理解にいたる道筋をつけるのだ。これぞ、まさに「テクストなんかなくてもよい」理由なのだ。
(略)[9ページほど飛んで](略)
 きみが比較文学者になるのは、非常に単純な理由からだ――自分の観点のほうがすぐれていると確信しているからだ。説明能力も大きいし、コンセプトの上でもずっとエレガントだ。それに、あの醜い「一方的で視野の狭い心」をまぬがれている、などなど。重要なのは、世界文学研究を正当化するには、これ以外に方法はないということだ(略)
もし比較文学がこうじゃないなら、それは無だ。無。「自分自身を欺くな」。スタンダールは、自分のお気に入りの登場人物にあてて書いている。「きみにとって中道なんてないんだから」。同じことが私たちにもあてはまる。
(略)
精読とは、(「正典」[カノン]に対して!)いやはや、実に世俗化された神学ではないか。ニューヘイヴンのご機嫌な大学町から文学研究の全領域にあまねく広がった方法だ。そうではない別の技術が、より大きな文学史には求められる。すなわち、標本抽出、統計学、シリーズやタイトルや用語索引や書き出しをめぐる作業、そしておそらく、この小論で論じる「樹[ツリー]」。
 文学の屠場。そこで執行者たるのは読者である。読者は小説Aを読み、(しかしB、C、D、E、F、G、H……は読まず、)そしてAを次世代に「生かし」続ける。すると次の読者がAをまた次の世代に生かし、そうこうするうちにやがてAはカノンに入るのだ。教授ではなく読者がカノンを作る。学術的な決定なんて、完全に学界の外で展開しているプロセスのこだまに過ぎない。しぶしぶ与えたお墨つき、それだけのものだ。コナン・ドイルはそのものズバリの適例だ。
(略)
かくして、市場がカノンを選ぶ。だが、どうやって?

冒険という永久機関

「騎士は実に勇敢に戦った、だから襲撃者たちは打ち勝つことができなかった」。「彼らに見つからないように、すこし引き下がろう」。「あの騎士がどなたなのか存じませんが、実に勇敢な方なので喜んで愛をささげたいと思います」。こうした連続的で目的論的な構造をもった文が『散文ランスロ』には簡単に見つかる。ここでは、意味が先に控えていることにあまりに強く依存しているため、文は文字どおり次の文に向かって落ちていく。このような末末志向の配列が散文には遍在しており、これが物語のリズムを加速させる典型的な方法となるのだ。
(略)
 しかし、第二の出発点を考えることも可能であり、それは物語性ではなく複雑性に通じている。その出発点は「デリマージュ」の研究においてよく指摘される論点である。「デリマージュ」とは、13世紀における宮廷ロマンスの散文化のことであり、いわば、韻文か散文かの決断をくだす重要な瞬間のひとつだった。そのとき、形式を一方から一方に移行する際に必ず発生することがある――従属節の数が増加するのである。これは納得できる。韻文では、一行はある程度孤立していて、独立節が多くなる。対して散文は連続的でより構造的である。「霊感」の神話が散文については滅多に語られないのも偶然ではないだろう。霊感はそこで意味をなすにはあまりに瞬間的でありすぎ、天恵じみている。そして散文は天恵ではない、仕事なのだ。ルカーチは『小説の理論』のなかで散文を「精神の生産性」と呼んでいるが、この表現は正しい。従属構文はただ骨が折れるばかりでなく――先見や記憶、手段を目的に適合させることを必要とする――間違いなく生産的だ。得られる結果は単に部分の総和といったものではない。従属は節どうしにヒエラルキーを生み出し、意味が明瞭になり、以前には存在しなかった側面があらわれる……。こうして複雑性が生じるのである。
 物語の加速と複雑性の構築。どちらも事実だ。そして、両者はまったく食い違っている。小説にとって、散文は何を意味したのだろうか……?散文のおかげで、小説は二つの正反対の――大衆的また教養的――読者層に対応できるようになり、過去に例を見ないほどに適応力のある成功した形式となった。一方で、極端に分極化した形式でもある。(略)
私たちがいま考察の対象としているのは、二千年のときを経てお互いから離れて行っただけでなく、お互いに敵対しあっている両極端な文体なのだ。仮定節・譲歩節・条件節を用いる文体の複雑性は、未来志向の物語を救いがたく単純素朴で下等なもののように感じさせる。一方、形式の大衆性のほうでは、ありとあらゆる箇所で――語、文、段落、会話、どこであれ――複雑性を見つけ次第、それをずたずたにするのである。
(略)
 散文の文体を下の方から見ること……。デジタル・データベースのおかげで、今日では想像しやすくなった。(略)
文学研究者はみな文体的な構造を分析する――自由間接話法、意識の流れ、メロドラマ的過剰、などなど。しかし、重要なことに、私たちは実際にはこれらの形式の起源について何も知らない。それらの形式が目の前にあれば、どうすべきかはわかっている。だが、そもそも、いかにしてそれらはそこに現れたのだろうか?(略)
何千もの語尾変化や順列や近接をふるいにかけることで、デジタル・アーカイヴの数量的文体論が何らかの答えを出せるだろう。それは疑いなく困難な作業となるだろう、広範なアーカイヴを調査するのはひとつのテクストを研究するのとは訳が違うのだから。テクストとは私たちに向かって「話す」ようにできており、私たちが聴き方さえ知っていれば、つねに何かを教えてくれる。しかし、アーカイヴは私たちに向けられたメッセージではなく、こちらが正しい問いを発するまでは完全に沈黙している。そして困ったことに、われわれ文学研究者は問いを発するのが苦手なのだ。私たちは「問う」ようにでなく「聴く」ように訓練されているが、「問う」ことは「聴く」ことの対極にある。問うことによって批評は逆立ちし、ある種の実験となる。実験は「自然への問い」だと説明されるが、私がここで考えているのは文化への問いだ。困難ではあるだろう。だが、試みないのはもったいない。
(略)
小説は長い。というよりも、さまざまな長さのものがある――『ダフニスとクロエ』の2万語から(略)『紅楼夢』の80万語以上まで。(略)問題は「どうしてそんなことになったのか?」ということである。(略)
私はこう言うだろう――「冒険」と。冒険は小説を世界に対して開くことでそれを発展させる。救いを求める声がする――騎士は赳く。たいてい、何ひとつ問うこともなく。こうした展開が冒険の典型であり、ここで未知は恐怖ではなく、むしろ好機である。(略)
栄光は貯めておくことができないので、いつでもそれを新たにしなくてはならず、それゆえこの冒険という永久機関がどうしても必要なのだ……

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ヴァレリーの文学概念を支える主要な考えのひとつは、作者が無用であるだけでなく、作品も余計だというものである。(略)
ヴァレリーの関心はしかじかの作品よりも作品の「観念」にあるのである。(略)
作品の観念への接近は、作品じたいにあまり近づかないからこそ可能になる。作品に近づきすぎると、その個別性のなかに迷いこんでしまうからである。

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